テニス上達メモ080.お膳立ての成功体験vs.試行錯誤の失敗体験
▶子育ち
子育て、というよりも子育ち。
育てなくても、育ちます。
子どもが自ら成長する力を、親や周囲の大人が妨げなければ。
そしてテニスを始めたばかりの初心者は、実年齢は大人だとしても、テニスに関してはよちよち歩きの子どもという話は後述します。
親は、いろいろな知識を持っているものだから、それをもとに、さまざまなアドバイスを子どもへ伝えようとします。
確かに、アドバイスが上手く機能する場合もあるでしょう。
赤信号に突進しては、命が危険に晒されます。
信号を確認するアドバイスは有効。
だけどそのような致命的リスクを除けば、多くの場合、お節介となりがちではないでしょうか。
▶「ありのまま」をくじくとき
具体的には、危険を回避するための助言というよりも、主観的により良くしようとする、良かれと思ってのアドバイス。
子どもが自ら試行錯誤するチャンスを奪います。
親と子どもとは、当たり前ですが別人格です。
遺伝があるから似ているところはあっても、気質も才能もやりたいことも得手不得手や身体能力も違います。
なのに「ああしたらいい」「こうすればいい」といった類の親によるアドバイスは、子どもの「ああしてみたい」「こうしてみよう」とする「ありのまま」をくじきかねません。
▶そのアドバイスの本質は親の「不安」
親は、子どもが失敗しないようにと案ずる。
だからその安全を脅かそうとする要素があると(主観的に思うと)、不安になって、口を挟まずには居ても立ってもいられなくなります。
こちらでお伝えした、不安になると多くなるセルフトークを、「ああしたほうがいい」「そうしたらダメ」などと、子どもにぶつけるのです。
▶失敗が許されないと「自己肯定感」を損ねる
だけど、命を危険にさらす致命的なリスクでもない限り、失敗してもいいのではないでしょうか?
お膳立てされた成功体験からよりも、試行錯誤のうえで上手くいかなかった失敗体験からのほうが学べます。
むしろ「失敗するお前はダメだ」の烙印が、自己肯定感を損ねるのです。
▶ミルクをこぼした失敗の先に「ゾーン」がある
何が失敗かは、主観的で一時的な評価でしかなく、その時点では、分からなかったりします。
トーマス・エジソンは電球に使うフィラメントを探すにあたって、「実験で失敗など一度もしていない。これでは電球は光らないという発見を今までに1万回してきたのだ」と言ったのでした。
いいも悪いもありません。
サラリーマンには鬱陶しくても、百姓には恵みの雨。
ミスは悪いと言っても、自分にとっての失点は、相手にとっての得点です。
精神論のきれいごとではありません。
後述するように、私たちは転ぶ「失敗をする」から、タイミングの取り方やスピード感、バランス感覚といった運動神経を獲得できるのです。
いえ精神論からも、エビデンス・ベイスドの報告が確認されています。
子どもがこぼしたミルクをピチャピチャと手で遊び始めたなら、それが「ゾーン」に入るきっかけなのでした。
▶型にはめると罠にはまる
大人であっても初心者は、テニスは子どもです。
コート上ではよちよち歩き。
よかれと思ってフォームの矯正を強いると、せっかく自身が獲得しようとするタイミングの取り方やスピード感、バランス感覚の運動神経が、引き出されません。
どういうスイングが状況によりふさわしいかどうかは、打っていれば、自分なりの自分らしい対応を、そのうち見つけます。
それが見つからないのは、先に正しいフォームがあると決めつけて、型にはめようとするからです。
良かれと思って行うフォームに関するアドバイス。
だけど型にはめると、罠にはまるのです。
▶レールの上は走りやすいけど、レールの上しか走れない
親にレールを敷かれた子どもは、確かに走りやすいかもしれません。
レールの上に限っては。
言い換えればこの広い世界の、レールの上しか走れません。
レールを引かなければ子どもは、「自分の足」で、レールの引かれていない山だろうと川だろうと海だろうと、どこへだって行けるようになるのです。
テニスで言えば型(フォーム)にはめる矯正を強いる限り、状況に応じて自分なりの自分らしい対応ができるプレースタイルは、獲得されないのです。
▶親は木の上に立って見る
まだ多くのプレーヤーが天動説を信じるせいでなかなか理解されませんけれども、フォームに関する技術的アドバイスは、すべて後づけです。
打ち方なんて、ない。
「正しいフォームを身につければテニスが上達する」とは言われても、「それでも地球は回っている」のです。
常識的なテニス指導に習って先に型にはめてしまうと、身動き取れなくなります。
ではどうすればいいかというと、初心者はテニスでいえば子どもなのだから、やはり子育て、というよりも子育ち。
親という字は、「木の上に立って見る」と書くのでしたね。
最低限の安全は確保しつつ、あとは見守るのです。
▶レールの先にそびえる「高い壁」
最低限の安全とは何か?
その安全を脅かすのが、テニスでいえば、良かれと思ってアドバイスするフォーム指導、フォーム矯正なのです。
引かれたレールの先には、高い壁がそびえ立っています。
そのまま進めば壁にぶつかり、クラッシュして乗り越えられず、先へ進む行く手が阻まれます。
何せ型にはめられているから、自分で自由に動けません。
まるで鎧をまとい、手かせ足かせをつけられた不自由さが強いられます。
親(指導者)の役目は、そのリスクだけは回避を促し、あとは試行錯誤のうえで導かれる失敗体験から学ぶ子どもを見守ればいい、ということになるでしょう。
▶意識すると「わざとらしい」
私たちが運動神経を最も伸ばすのは、転ぶときです。
転びかける突っかかった瞬間に、体はタイミングの取り方やスピード感、バランス感覚を学びます。
まさかこのとき、「転びそうになったから腰を屈めて、腕を前へ差し出しつつ、右足着地でバランスを取ろう」などと、フォームを意識しません。
そんなフォームを意識していたら、顔から地面にずっこけます。
そのようなずっこける指導が、今の常識的なテニスレッスンでは行われているのです。
また故意に転ぼうとしても、体はタイミングの取り方やスピード感、バランス感覚といった運動神経を伸ばせません。
どうしても身構える「わざとらしさ」が出るからです。
フォームも同じです。
とっさに対応するから、タイミングの取り方やスピード感、バランス感覚を体は学びます。
意識すると「わざとらしさ」が出るのです。
▶その失敗は「成功の種」
「転ばぬ先の杖」は、確かに安全かもしれないけれど、子どもにはまだ必要ありません。
転ぶのを「失敗」と捉えるのは、そのときの主観的で一時的な評価でしかなく、客観的かつ将来的に見る親の立場を取れば、それは大事な学びとなり、「成功の種」と分かります。
エジソンが「また失敗した」「また失敗した」「また失敗した」と捉えていては、京都男山の真竹で作った2450時間灯るフィラメントは、発見されなかったかもしれないのです。
▶多少の病気や怪我や事故でさえ
転ぶに限った話ではなく、一事が万事。
そのときには失敗やミスだと主観的かつ一時的に思えた出来事は、決めつけなければそれが「成功の種」が蒔かれた布石なのかもしれません。
そう思えば、致命傷でなければ、多少の病気や怪我や事故や不調やイップスからも学べます。
筋肉が以前にも増してたくましくなる超回復は、トレーニングによって筋繊維が傷つかないと起こりません。
大丈夫。
失敗しながらも試行錯誤を重ねて、自分の足で自由に歩けるようになった子どもは、どこへでもどこまでも行ける。
テニスの子どもである初心者も、どこへでもどこまでも行けます。
真っ白な初心者だからこそ、可能性は無限大なのですから。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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