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テニス上達メモ096.「ゾーン」「フロー」への道しるべ
▶「狙わなくてもコントロールできた」ゾーン体験
究極の集中状態と言われる「ゾーン」「フロー」は、よく「無我の境地」とたとえられます。
心理学者ミハイ・チクセントミハイが提唱する日本版「フロー理論」が、禅でいう「無我の境地」でしょうか。
私は詳しくありませんでしたけれども、漫画『テニスの王子様』『新テニスの王子様』こと「テニプリ」でも、主人公の越前リョーマを始め「無我る」のだとか?
自分では何も意識していなかったけれど、最高のプレーが現れたときの心身状態。
「体が勝手に動く」
「自然とボールに追いついた」
「何も考えなくても真ん中でヒットする」
「狙わなくてもコントロールできた」
「無我の境地」をそんなふうに、選手は振り返ります。
▶無我へのエントリーを妨げるテニス指導
ところがどうしたことか、「手首を返せ」「腰を回せ」「腕をひねり出せ」……etc.
「ゾーン」「フロー」とは逆方向の「意識する」指導が行なわれます。
言いくるめるためには「リストワーク」「ローディング」「プロネーション」などとも言い換えられるというのは昨日述べたとおりです。
あえて横文字を使って「レガシーをワイズスペンディング」、あるいは聞き馴染みのない「写像」などと、言い出すのは意図は何?
意識すればするほど、「無我の境地」は遠のくばかりです。
▶打ち方やフォームの先にゾーンはない
そういったフォームや打ち方の基本を覚えたその先に、「ゾーン」「フロー」があるのでしょうか?
違います。
行動、言葉、思考の「身口意」は1回やるとパターン化が始まりますから、意識すれば意識する癖が強化されて、強化された癖に意識が一層二層とへばりつきます。
また意識は連想ゲームですから、「手首→リストワーク→トップスピン→ワイパースイング」など、どんどんその勢力は拡大。
もはや自分では意識しているつもりがなくても、ノイズとして脳裏をかすめます。
「手首を返せ」「腰を回せ」「腕をひねり出せ」の先に、「無我の境地」は決して訪れません。
▶「ビギナー」がうっかりフローする
「ゾーン」「フロー」などというと、アスリートの特権みたいに思われるかもしれません。
しかし、必ずしも「競技レベルの高さ=ゾーンの深さ」というわけではありません。
アマチュアであっても調子に乗って、「何だか分からないけど上手くいった!」という経験は少なくないはずです。
いわゆる「ビギナーズラック」はまさにそう。
初心者だから、何も知らないし、意識しないし、結果が伴わなくても気にしない。
そんな我のない(無我)だと、うっかり「フロー」に流れ込んだりします。
ところが少しかじって経験者になると、「この前はこうやったら上手くいった」「そうだ、ヒザを曲げて構えるんだった」「始めたばかりのビギナーには負けられない」などと考える我が出てくるから、「無我」ではなくなるのです。
▶資質は「生まれながら」に持っている
アスリートだけの特権ではありません。
幼児がテーブルにこぼしたミルクでピチャピチャと遊び始めたら、それが「ソーン」「フロー」にエントリーする入口なのでした。
それを親が咎めるか否かが、運命の分かれ道。
幼児であっても、「ゾーン」「フロー」に入ります。
いえ考えない幼児だから、頻繁に「ゾーン」「フロー」へ入ると言えるのです。
特に大人になるにつれ、考え事は増えますが、逆に言えばジュニアプレーヤーが驚異的なスピードで上達するのは、まだあまり「考えない」からです。
すなわち、「ゾーン」「フロー」へ入る資質は、生まれながらにして私たちはすでに備えている。
それを妨げるのが、「手首を返せ」「腰を回せ」「腕をひねり出せ」。
▶ボールの音しか聞こえなかった伊藤竜馬
タイガー・ウッズはゾーンに入ると、グリーンのカップがバケツ大に見えたそうです。
マイケル・ジョーダンはフロー状態において、リングがフラフープの大きさに見えることがあったといいます。
薄グリップのフラット系でピンポイントを射貫く、「ドラゴンショット」で知られる伊藤竜馬は全日本テニス選手権決勝戦でゾーンに入った体験について、「ボールの音しか聞こえなかった」と振り返りました。
衆人環視の中、人目も気にならない。
ショットの成否や勝ち負けの結果も気にしない。
もちろん、フォームに関する注意すべきチェックポイントは何ひとつない。
そういえば試合前には「西野カナを聞く」などと茶目っ気たっぷりに明かしたりするところが、素直(素のまま真っ直ぐ)な伊藤竜馬。
主観的に、すごく好感を覚える選手です。
その後の競技生活ではいろいろあったと聞きますけれども、今季限りの引退表明に時代の移ろいを感じます。
ちなみに、アラフィフの男が言うと誤解されそうですけれども、私も西野カナ、好きです。
あの世界観に完全にリスペクト。
▶「入ろう」と意識すると入れない「法則」
何も、いつもいつも完璧な「ゾーン」「フロー」に入らなくてもいいのです。
それは、一流のアスリートでも難しい。
なぜなら「入ろう」と意識すると、入れないのもまた「ゾーン」「フロー」だからです。
いつも説明するとおり、「逆」なのです。
追えば、逃げる。
逃げれば、追う。
入ろうとすると、入れない。
もはや「法則」といっていいくらいです。
▶いつでもどこでも誰でも「ゾーン」「フロー」に入れる
とはいえ、浅めの「ゾーン」「フロー」になら、いつでもどこでも誰でも入れる可能性はあります。
チクセントミハイは浅めのエントリーを「マイクロフロー」と名付けました。
先述したとおり私たちは生まれながらにして、「ゾーン」「フロー」へ入る資質を備えています。
その道しるべとなるのが、「考えない」「意識しない」。
普段はさんざん「自分の頭で考えろ」「フットワークを意識しろ」などと言われますけれども、そういった思考が正しいかどうかは別にして、一旦脇へ置いて頭の中を空っぽにします。
▶「考えない」ことを「考える」?
「そうか、考えなければいいのか」といえば簡単そうですけれども、何もなければ「考えない」のは、至難の業です。
試しに一旦目をつぶり、しばらく「考えない」ようにしてみても、すぐに「考えないことを考えたり」しがちです。
ですから考えるというのは、能動的ではなくて、すべての思考が受動的。
文筆家が文章が、音楽家がメロディが、漫画家がストーリーが、「降ってくる」というのはまさしくそのとおりで、それ以外はないすべて自動思考です。
▶言われなくても「考えている」
「考えろ」と人から言われなくても、意識がある限り死ぬまで、1秒も休まず考え続けているのが私たち人間です。
外見はどんなに大人しそうに見える人でも、温泉に浸かってのんびりくつろいでいるように映るとしても、ひっきりなしに考え続けています。
それに気づかないのは、自分が「考えている」からです。
考えると、認識力が落ちるからです。
この説明を読んで「うーん、そうかなぁ?」などと「考える」のです。
▶ボールの向こうに「ゾーン」「フロー」がある
先に「何もなければ」考えないのは至難の業と述べました。
それは恐らく不可能なのです。
何もなければ思考は、いつまでもどこまでも追いかけてきます。
そこで禅僧が考えないために用いたのが「呼吸」。
吸って履いての呼吸に集中することで、思考が鎮まります。
テニスプレーヤーにとって呼吸に変わる「お助けアイテム」が、「ボール」というわけですね。
ボールに集中すると、思考が鎮まります。
その先に「ゾーン」「フロー」があります。
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