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「光る君へ」第31回 「月の下で」 すべてがまひろのもとへ…そして、「源氏物語」が始まる

はじめに
 ここまで長かった…しみじみ思う視聴者も少なくないでしょう。紫式部と言えば、「源氏物語」であり、中宮彰子付の女官という印象が一般的です。彼女が主役の大河ドラマの製作が発表されたとき、華やかでゆるふわ、乙女な貴族社会が描かれると期待、あるいは逆に不安を募らせた方々もいらっしゃったでしょう。

 しかし、蓋を開けてみれば、初回から紫式部の母親が惨殺されるわ、華やかからほど遠い貧困と身分差の苦労。貧しい下級貴族の悲哀を地でいくものでした。一方の主役、道長の側は、上流貴族ゆえに華やかですが、歴史の流れを担うキャラクターだけに政争を中心とした血生臭い事件や陰謀に翻弄されるばかり…二人は若き日から哀しい出来事を共に味わうこともありました。

 つまり、華やかな宮廷模様、様々な出来事に機転を働かせる紫式部の活躍は一先ずお預け、地味でツラい謎多き前半生に比重を置き、丹念に描く作りでした。これは華やかな物語を期待した人には酷であったかもしれません。しかし、「源氏物語」の持つ人間味豊かな人物造形、政治や社会への批評的な眼差し、そうした作品の魅力を考えると、その誕生には紫式部の稀有な人生観、当時の社会や政治を無視できません。

 「源氏物語」あっての彼女の華やかなりし後半生。「源氏物語」をリスペクトし、その誕生の経緯を探るには、紫式部…いや、まひろの半生、そしてソウルメイト道長の半生を丁寧に追う作劇が妥当だったのです。
 言い換えるなら、「源氏物語」が「源氏物語」足り得るためには、約30回分の二人の半生と彼らに関わる多くの人の人生が必要だったということです。そうでなければ、あれほど多種多様な人々が織り成す複雑な人間模様は描けなかったでしょう。また、「源氏物語」に出てくる人々は善悪で割り切れる人間ではありません。光も影も併せ持つその造形は、人間の酸いも甘いも知っていなければ描けないでしょう。やはり、苦悩の前半生は必須だったのです。第1~31回まで波瀾万丈の半生で幸せと不幸をさまざまに味わい、よきところも悪しきところも見せてきたまひろと道長。これまで二人のすべてが交錯し、集束していくとき、歴史を動かす物語が誕生します。

 そこで今回は、二人の交錯、これまでの話がどのように関わって、まひろの作家性がどう引き出されていくのかを追うことで、「源氏物語」誕生を寿ぐことにしましょう。

1.書き手としての強みを探るまひろ
(1)まひろを刺激する道長の依頼
 狩衣を着るというお忍び姿での道長の唐突な訪問は、まひろを戸惑わせます。「為時殿と娘ごは?」と世間話をされても妙なだけです。訝しみながらも「土御門でいつも父がお世話になっております」と、まずは生活を助けてくれたことへの礼を述べるのは、探りを入れるような気持ちがあるからでしょう。「…あ、いや」と意表を突かれたような反応の道長は、続く「ご聡明な頼通さまといつも父が感心致しております」との褒め言葉にも愛想笑い…世間話をするために来ていないことがバレバレです。

 間が持たないと判断したのでしょう。道長は、意を決し「四条宮で和歌を教えているそうだな」と切り出します。今度は、まひろが「何故それを?」と驚く番です。宣孝が亡くなって以降、為時の職を斡旋し、惟規も内記としてよくしてもらっており、彼が今も自分に愛情を持っていることはわかっていますが、さすがにまひろ自身の細かい事情まで知っているとは思わなかったのでしょう。事実、公任に聞くまで道長も知る由もなかったのですから、まひろが不思議に思うのも当然です。

 「公任に聞いた」とあっさり答えた道長は「学びの会の後にお前が語る「カササギ語り」という話が大層評判で、公任の北の方も女房たちも夢中になっておると言うではないか」と腕を組みながら話しますが、まひろと向き合うでなく、独り言のように話しているのが面白いですね。おそらく、道長は事前に考えていた台詞を、それらしく話しているつもりなのでしょう。芝居がかって何となくわざとらしいですね(笑)

 まひろも横を向いてそれとなく聞くだけでしたが「その物語を俺にも読ませてくれぬか?」という話題には、さすがに「そのためにわざわざここへいらしたのでございますか?!」と素っ頓狂な声をあげます。「カササギ語り」は、まひろが精魂込めて書き上げた物語ですが、それは四条宮の「学びの会」という閉じた空間にて、女性たちだけで興じるためのもの。謂わば、プライベートの延長線上のようなものです。それを道長が読みたいというのは俄かに信じられません。

ですから、「そうだ」と答える道長に「そのようなお姿で?」とわざわざお忍びで来たことを余計に訝しみます。まひろの書いた「カササギ語り」が読みたいという頼みの小ささとお忍び姿の仰々しさのバランスがおかしいことに気づいた道長は「ん…?ああ…」と誤魔化すようにしながらも「「枕草子」より面白いと聞いたゆえ」と捻りだします。
 この言葉に「どうでしょう」と身をよじって照れ笑いを始めるまひろ。彼女は「枕草子」の最初期バージョンに触れていますから、ききょうの文才と教養に溢れたそれが優れたものであることを感じ取っています(影も知りたいとは言いましたが、欠点とまでは思ってはいないでしょう)。そんなききょう渾身の作品に適うなど考えたことはないものの、「カササギ語り」には手応えを感じているのも事実。自分のいないところでも、彼女らが「カササギ語り」を「枕草子」に比肩、あるいはそれ以上と言っているということは、嬉しくならないはずがありません。
 ただ、ネガティブなまひろですから、そんなバカなという自虐的な思いも混ざった、面倒くさい照れ笑いでしょう。まあ、書き手とは自虐と自負が入り混じるものですけど(笑)

 まひろの機嫌がよさげなのを見た道長は、そのまま勢いで「もし面白ければ、写させて中宮さまに献上したいと思っておる」と、一番言いたいところに話を持っていきます。まひろは一瞬、驚いた後、溜息をつくと「申し訳ないことながら、「カササギ語り」は燃えてしまってもうないのでございます…」と淡々と答えます。娘を理由にせず、自分が「燭を倒してしまい、残らず…」燃えてしまったのだと言うあたりに、彼女がこの一晩で、なんとか気持ちに整理をつけたことが窺えますね。あまりと言えば、あまりなタイミングです。藁をもすがる気持ちで来た道長は思わず「…その話は偽りであろう」と言ってしまいますが、床の炎の跡を見させられては「疑ったことは許せ」と言うしかありません。

 焼け跡を横目で見たまひろは、昨夜の気分が戻りそうになったのでしょう。振り切るようにして縁側に座ると、自虐的に「無念で昨夜は眠れませんでした」と素直に漏らします。おそらく、まひろが前回、書けなくなってしまっていたことの一つは、原稿喪失の無念を一人胸に抱えたままだったからでしょう。賢子を思えば、家人の誰にも言えませんし、賢子を放火にまで追い詰めたのは彼女自身です。こうして、道長に言えたことは、彼女にとってよかったかもしれません。道長は「気の毒であった」とお悔やみを言った上で「それをもう一度思い出して書くことはできぬか」と聞きますが「そういう気持ちにはなれませぬ」とあっさり返します。

 前回noteでも触れたように、書くということは字を綴るだけでなく思いがそこに載せられます。ですから、一度、消えてしまったものを再度、書き起こすことは、そのときの気持ちまで再現することになりますから、一から書くよりも労力と気力が必要になります。よしんば完全に同じ文章で書きあげられたとしても、それは元の作品ではありません。道長の問いは、書いたことがない人間の素朴な質問ですが、書くことを仕事にしている人が聞けば、逆鱗に触れる言葉ですね。まあ、今回の道長は、劇中のそこかしこで、不用意な発言をしているので、ここは無知ゆえと聞き流しましょう(笑)

 まひろは、さらに「燃えたということは残すほどのものではなかったと思いますので」と言い添えます。まひろの半生はさまざまなものを失う半生でもありました。だからこそ、そう思う耐え方を知っているのでしょう。ただ、一方で「カササギ語り」は、自分本位な今のまひろを体現しているところもあり、行き詰りを見せている面もありました。リセットを図るという意味では、結果的にまひろの言うことも正しいと言えるでしょう。

 道長は溜息をつきながらも、諦めがつきません。まひろだけが最後の鍵だからです。まひろの隣に座ると「ならば…中宮さまのために新しい物語を書いてくれぬか」と頼み込みます。道長の切羽詰まった様子に戸惑うまひろに、道長は「帝のお渡りもお召しもなく…寂しく暮らしておられる中宮様をお慰めしたいのだ」と、現在の自分たちの状況が決して芳しくないことを話し始めます。
 驚くまひろに「政のために入内させた娘といえ…親としては捨ておけぬ」と漏らします。ここには、政として中宮を扱う自身の立場と親心との板挟みに苦しむ道長の本音が見えます。この苦しみは、本来、一番近しい気持ちを持てる倫子へと告白すべきなのですが、それが出来ないまま、夫婦関係は拗れています。まひろにしか言えないところに道長の未熟と弱さがあるのでしょう。

 まひろも人の親になりました。彰子の不幸を何とかしたいという道長の気持ちには、はっとした顔になっています。ですから、「道長さまのお役に立ちたいとは存じます」とその思いを察しながらも、「されど…そうやすやすと 新しい物語は書けませぬ」と、作家としての苦しい心境を打ち明けます。前回、描かれたように「物語」を一度に失ったまひろは、紙を前にしても何も浮かばず、思い悩んでいたところでした。
 そうした彼女の心境がわからない道長は、思い詰めた表情のまま「お前には才がある、やろうと思えば出来るはずだ」と懇願しますが、今まさにスランプに入ったまひろは「買い被りでございます」とすげなく断るだけです。

 ただ、それでもなお、道長が「俺に力を貸してくれ」とすがる言葉に、まひろは一瞬、止まります。カメラは、その瞬間のまひろを斜め後ろから切り取り、その表情ははっきりとはわかりません…微かに彼女の心が創作へと一瞬動いた、ただそれだけを捉えたということでしょう。
 ですから、「また参る。どうか考えてくれ」と、後ろ髪引かれる思いで振り返りながら去る道長を門まで見送ることもせず、彼女は呆然と思案の狭間にいるような真顔になっているのです。道長の気持ちに応えたい…その素直な気持ちが、まひろを再び、動かすきっかけとなったようです。

(2)「枕草子」を知り、己を知ること
 まひろのなかで何かが動き出します。中宮への献上の条件は「「枕草子」より面白い」ということです。まひろ自身は、その洒脱な「軽みのある文章」を気に入りました。一方で、皇后の影も知りたいとは思ったものの、ききょうに言下に否定され、それは無いものねだりと引き下がっています。ですから、親友の書いたものという身贔屓も含めて、まひろの「枕草子」評は、比較的肯定的であることが窺えます。しかし、これが、自分の書く「物語」の質の基準となるのであれば、一読者としての目線で楽しんでいるだけでは駄目です。読者として作品を読むことと、書き手として作品を読むことは、質を異にします。今のまひろには後者の視点が必要です。

 その足がかりになりそうなのが、「私、読んでみましたけど、さほど面白いとは思いませんでした」(第30回)と、辛辣な「枕草子」評をしたあかねの言葉です。彼女の批判的な評は、まひろには見えていなかったものが見えているということだからです。ですから、四条宮サロンの折、まひろは「枕草子」をどのようにお読みになったのか、今一度お聞かせ願えませんか」と、あかねに問います。

 「何か言ったかしら…覚えてないわ」と返すあかねが興味深いところ。悪気のまったくないこの返事には、あかねが過去に囚われない女性であることを仄めかしています。彼女は、その瞬間、瞬間、「今」そのものを謳歌する女性なのです。そのことは、直感的な天才肌の才能とも深く結びついているでしょう。ただ、「覚えてないけど、あまり惹かれなかった」と「枕草子」の印象については再度、同じことを言います。その場のノリではなく、心底そう思ったということでしょう。

 そうそれとばかりに理由を問うまひろに「艶めかしさがないもの」と、色事に忙しい彼女らしい端的な答えが返ってきます。軽く驚くまひろに「「枕草子」は、気は利いているけれど人肌のぬくもりがないでしょ?だから胸に食い込んでこないのよ、巧みだなぁと思うだけで」と言い添え、補足します。
 要するに、「枕草子」は文章そのもの、そして内容は技術的に優れているけれど、そこには人間の強い情念(=人肌)、そのリアリティ(=ぬくもり)が存在しないということでしょう。「人肌のぬくもり」と喩えてしまうあたりは、R18指定キャラクターのあかねらしさが出ていますね。

 ここで、あかねが「黒髪の乱れもしらずうち伏せば まづ掻きやりし人ぞ恋しき」(意訳:黒髪の乱れるのも構わずにこうして横たわっていると、この髪を手でかき上げた人が恋しく思われる)」と、昨夜の情事を思い出すかのように、今の自分の想いをさらりと詠みあげてみせるのが、心憎いところ。彼女は「枕草子」に足りないものを、自らの和歌にて、即興で披露してみせたのですね。
 物事の本質を巧みにつかみ取り、さらりと形にすることで効果的で的確、なおかつ批評的な創作ができてしまう。なおかつ、それは、彼女自身の18禁的な世界観へと受け手を誘う力も持っている…あかねの天才性がよくよくわかる一幕です。

 一方、頭の良いまひろは、この和歌を聞いただけで、あかねの言いたいことをつかみとります。あかねの和歌は、人間の情念の奥底までをすくい上げています。彼女の恋愛遍歴からすれば、それはドロドロとしたものでしょう。しかし、恋愛は綺麗事ではありません。純愛だとしても、その裏には独占欲、肉欲などさまざまな後ろ暗いものがあるもの。それが、人間の情というものです。清濁を併せて吞む…そこに人間の真実があり、あかねはその真実にのみ、心が動かされるということでしょう。
 「枕草子」には、清少納言のネガティブな心情が織り込まれていますが、その一方で定子たちはどこまでも美しく、華やかなまま封じ込められています。それは、あかねには、人間の真実を越した上澄みのようなものにしか見えなかったのだと思われます。

 あかねの「枕草子」評には、まひろも思い当たることがあります。「私は皇后さまの陰も知りたい」…そのことです。それは、定子の一面しか描かれていないことへの物足りなさですが、それは、まひろ自身がその半生のなかで「人には光もあれば影もあります。人とはそういう生き物なのです。そして複雑であればあるほど魅力がある」(第29回)と確信しているからです。その思いが、あかねの和歌と響き合ったと思われます。

 あかねのおかげで、きっかけを得たまひろは、居ても経ってもいられません。自らの目で再度、読み直し、自らの思うところが正しいか、否か、「枕草子」とは何なのかを確認しなければならない…そんな思いに駆られたまひろは、あかねから「枕草子」の写本を借りると、早速、黙々と読み耽ります。
 読みながら、思い返されるのは、「皇后さまに影などございません!」「あったとしても、書く気はございません。華やかなお姿だけを人々の心に残したいのです」と言った、かの日のききょう(清少納言)の言葉です。まひろは、「枕草子」をただただ楽しむだけでなく、そこに織り込まれたききょうの思いまでを汲み取るように読んでいることが窺えます。随筆ですから、そこまで深く落ちていく読み方ができるのです。紙をめくることも、次々と本を取り出すことも止まらぬまま、白々と夜が明け始めます。

 本にせよ、ゲームにせよ、眠ることも忘れて熱中した経験がある方であれば、よくおわかりでしょう。面白くないものを分析するだけならば、こういうことはできません。作品の魅力にハマったときだけです。まひろは、あかねとは違い「枕草子」の世界観にきっちり引き込まれているのですね。まひろは、学問、そして、それを巧みに使う機知を好むという点では、ききょうと相通ずるものがあり、共感できるところも多々あるのです。ききょうの思いも感じ、あかねの言う欠点も理解しながら、ききょうにしかできない世界観を堪能したと思われます。まひろやあかねの感じた物足りなさもまた、魅力の一部なのでしょう。

 まひろは「枕草子」を読み尽くすことで、自分が相対しなければならない作品のレベルを実感しました。そのことをとおして感じたことは、「枕草子」を書いたききょうも、それを批判したあかねも、独自の世界観を持ち、その世界へ引きずり込む文才を持っているということです。ききょうは随筆によって、人々の憧れを風雅へと囲い、あかねは和歌によって、人々の激しい恋慕を揺蕩う艶めかしさへと導きます。二人は、それぞれに自分に相応しい作品を生み出している…そのことを前に思うのは、果たして、自分は自分に相応しいものを書くことができるのか…自分にしか書けないものはあるのかということなのではないでしょうか。

 惟規の酒につきあったある夜、「惟規の自分らしさって何だと思う?」と問うたのは、その思いに悩んだ結果でしょう。それまで気分よく呑んでいた惟規、姉の唐突な質問に「は?」とあからさまに顔をしかめます。この姉弟には妙な気遣いはなく、惟規の反応も正直なものです。それだけに「答えてよ」とまひろのほうも遠慮がありません。
 惟規は、少し考えてから「嫌なことがあってもすぐに忘れて生きているところかな」と答えます。「そうね」と答えるまひろも、視聴者も、惟規が案外、自分をよくわかっていて感心したのではないでしょうか(笑)彼もまた為時一家の苦難の時代をまひろとともに過ごしています。ただ、彼は生来の呑気さからか、その苦しさを顔に出すことはありませんでしたね。姉のようにあれこれ思い悩むのではなく、ある種の達観と割り切りでそんなものと受け流していく。そうした柔らかい逞しさ…いや、図々しさが彼の強さなのでしょう。

 まひろは続けて「じゃあ、私らしさって何?」と問います。自分をある程度、正確に見られる弟が自分をどう見ているのかという意見は参考になりそうです。「ええ…?!難しいなぁ…」と、あからさまに嫌な顔をしたのは、相変わらず面倒くさいと思ったからに他なりませんが、実は思い悩んだ末で質問しているまひろは、「私って難しいと思う、私も」と、こちらは文言どおり「説明しづらい」の意味で同意を返しているのがおかしいですね。
 「いや、そういう意味じゃなくて…」と姉の勘違いを正そうとした惟規に、まひろはあろうことか「もっと言って。人と話しているとわかることもあるから。色々言って」と詰め寄ります。自分本位で、人の話を聞いていない彼女に呆れた惟規は「そういうことを、グダグダ考えるところが姉上らしいよ」と揶揄するのですが、当のまひろは真剣な顔で「へー、そんなんだ」という様子、暖簾に腕押しです。多少、いらっとしたのか惟規は、「そういうややこしいところ。根が暗くて鬱陶しいところ」と、ダイレクトに踏み込んだ意見を言います。

 「根が暗くて鬱陶しいところ」…「いくらなんでも酷い」と惟規を責めるより、「あーあー、言っちゃったよ(笑)」と思った視聴者の方々のほうが多そうですね。おそらく、彼女に肯定的な「まひろ×道長」推しの方すら、彼女の頑なで自虐的で地味な性格の根幹が「根が暗くて鬱陶しいところ」とは薄々わかって…いや、そういう彼女だからこそ応援していたのではないでしょうか。なかには、自分自身を不器用なまひろに投影なさっていた方も少なくないような気がします(笑)そして、わざわざこの言葉が出たということは、脚本家の大石静さんもまひろの人物造形の根幹にしていたということでしょう。
 惟規の嫌味な一言に「根が暗くて鬱陶しい…」とおうむ返しに答えたまひろの表情は、一気に思案げで思索に耽るモードへ変わります。姉の怒りもしない真顔がかえって不気味に思える惟規が「怒るなよ、自分で聞いたんだから」「色々言ってって言ったんだから」と狼狽えて、取り繕うのですが、まひろはそれも無視、何かに気づいたように、その場を立ち去っていきます。

 おそらくまひろは、弟の太平楽とは対照的な「根が暗くて鬱陶しい」からこそ、思いと言動がちぐはぐになる自分自身に苦しみ、その正体を突き詰めようと悩んできたということに気づいたのでしょう。そして、その苦悩の先には、いつも「書く」ことが横たわっていました。

 例えば、若き日の代筆業について、まひろは「代筆仕事は私が私でいられる場所なのです。この家では死んでいるのに、あそこでは生きていられる。色んな人の気持ちになって歌を読んだりするときだけ6年前のことが忘れられるのです」(第2回)と述べています。母を理不尽な死のままにした父との関係に悩み、母を殺してしまった苦しみに耐えるのが、「書く」ということでした。
 直秀と出会い、散楽の台本を書いたことも、石山寺で寧子に「書く」ことで自分を慰めた話も、文字を教えたことも、喧嘩したさわとの仲直りも、まひろの悩みと深く関係していました。

 それは、「人には光もあれば影もあります。人とはそういう生き物なのです。そして複雑であればあるほど魅力がある」という作品に対するまひろの信念は、「根が暗くて鬱陶しい」眼差しで自分や周りの人々の人生と思いを見つめてきたことが生んだものなのでしょう。だとすれば、惟規が指摘した欠点こそが、まひろの書き手としての強みだと言えます。
 そして、道長の依頼は、同じく苦しみにある彰子の心を慰めるもの。苦しみを見つめられる自分であれば、彼女を救うものを描けるかもしれないと思い至ったのではないでしょうか。ききょうの華やかな世界でもなく、あかねの刹那的で艶やかな世界でもない、まひろの「物語」の世界の可能性に気づいたように思われます。算段がついたからこそ、彼女は道長へ筆を取ります。

2.女心のわからない道長
(1)彰子の気持ちが見えない道長
 ある日、道長が藤壺を訪れると、彰子がポツンと一人、瓢箪に絵を描いています。遠巻きに見るそれは父である道長には寂しげなものに見えたよう。居たたまれない表情の道長は「だいぶん寒くなりましたな」と声をかけます。応ずる彰子に「敦康親王さまは?」と道長が尋ねたのは「お寂しくはありませんか」の意なのですが、そういう腹芸は彰子にはあまり効果的ではありません。「笛のお稽古にいらしております」と質問の表面的なところだけを、特に問題もないこととして答えます。
 道長としては要領を得ない返事ですから「ご不便はございませんか」と、今度はダイレクトに聞くのですが、これまた文言どおり聞いたであろう彰子は「はい」と答えます。あの倫子がせっせと通い、この藤壺を飾り立てているのですから、物理的な不便などあるはずがないのです。

 一問一答で済んでしまうため、道長は彰子との会話が続きません。政に精を傾ける道長は、幼いころはともかく、年頃のころには左大臣として忙しく、彰子を構うことはなかったでしょう。加えて彰子は積極的にコミュニケーションを取る子ではありません。ですから、娘へのそれなりの情はあっても、娘のことを何も知らないのです。もしも、倫子から言葉が発するのが遅いという相談を受けた幼き日のことが、未だに頭の片隅にあるかもしれない。だとすれば、彼の彰子の印象は、ぼんやりとし不憫な娘ということになるでしょう。

 加えて、そんな哀れな娘を政のために入内させた負い目がありますから、帝の渡りがない娘の姿は余計に不憫としか映らないでしょう。先にも述べたとおり、道長は、物語は中宮彰子のためとまひろに嘘をついていますが、「親としては捨ておけぬ」という感情自体は嘘ではありません。あくまで中宮としての彰子を政の一環として扱う道長ですが、親心がないわけではない。政として上手くいくことが娘を不幸にしない唯一の方法と覚悟しているだけです。親心に嘘はないから、まひろは当初、道長の嘘に騙されたのでしょう。
 
 娘を不憫に思う…道長のこの思いは、実は今はすれ違っている倫子と大差ありません。そして、この思い込みゆえに、彰子の本心が見えないのです。前回、帝と敦康親王が瓢箪に絵を描いて興じている様子を蚊帳の外のように眺める彰子を、倫子は軽んじられていると取りました。しかし、前回note記事で触れたように、彰子は帝と親王が楽しげであるのを微笑ましく見ていただけなのかもしれません。倫子の見立ては、親心ゆえの思い込みという面が否めません。

 そして、それは娘との交流が薄い道長ならば尚更です。道長は、一人でいる彰子を寂しげと見て取りましたが、果たしてそうであったか。彰子は瓢箪に絵を描いていました。前回の件で、敦康親王が瓢箪に絵を描くことを好きだと知った彼女は、敦康が笛の稽古で席を外している間に練習していたのかもしれません(まだ帝にはさして心を向けていないでしょう)。
 史実でも彰子は敦康に随分、心を砕いていましたし、また前回の敦康の健やかな成長を見ても、彰子との関係は良好と考えられますね。となれば、人知れずやっている健気な行為は、養育している敦康への情によるもの。彼女は敦康と穏やかにそれなりに楽しく過ごしているのでしょう。ですから、余計に道長の彰子を気遣う質問が上滑りしてしまうのは当然ですね。

 会話が途切れたところで、彰子は落ち着かない、逡巡する表情をします。不便はないが気掛かりがあるという様子…やがて思い切ったように「父上…」と呼びかけると、ズバリ「父上と母上はどうかなさったのでございますか」と単刀直入に聞いてきます。意外な言葉に「は?」と驚いた表情になる道長。ぼんやりしているだけで周りに無関心と見えた娘は、どこで感じ取ったのか、道長と倫子の夫婦仲が拗れていることに気づき、それを案じているのです。

 藤壺にいる彰子が、土御門殿での両親の仲など知り得ようはずがありません。藤壺内で見せる彼らの様子からだけで、それを感得したのです。道長と倫子の会話からして夫婦で藤壺を訪ねることはあまりないようです。これは道長の忙しさが原因でしょうが、度が過ぎれば彰子には不思議に見えるかもしれません。あるいは、倫子が彰子との会話のなかで道長のことをまったく話さなくなったのかもしれません。また、今の「ご不便はありませんか」も、母のしていることを知っていれば聞いてこない質問とも言えます。

 いずれにせよ、断片的なことだけで、両親の夫婦仲を察するのは、彰子が優れた観察眼を持ち、よく人の話も聞いていることを窺わせます。そして、事の本質をズバリと突いてくるあたりに、彰子の能力の高さが見えます。かつて、兼家が道長について「物事のあらましが見えておる」(第1回)と見立てましたが、彰子はまさしく父の才を受け継いでいるのかもしれませんね。

 さて、普段、必要がない限り自分から話しかけず、流されるままにしている彼女が、しかも両親の仲が拗れていることを聞くというのは、余程のことです。道長と倫子の二人を真剣に心配するがゆえに勇気を振り絞って聞いたというところではないでしょうか。敦康のために瓢箪に絵を描く練習をしていることといい、両親を気遣う発言を絞り出すことといい、彰子は、表情に乏しいゆえに気づかれないだけで、聡明さだけではく心遣いも備わっていることも察せられますね。優れた観察力、物事の本質をつかむ力、そして心遣いと健気さ…穏やかさの奥に彼女の本心と力がくすぶっていると思われます。

 ただ、呆気に取られた道長の表情を見た彰子は、すぐに口をつぐみ、沈んだ顔になってしまいます。普段から相手に合わせるままにしている彼女ですから、敢えて踏み込んだことを聞いてしまったことを軽く後悔したのかもしれませんね。娘の沈んだ顔に慌てた道長は「あ…ご心配いただくようなことはございません。ご安心くださいませ」と取り繕います。道長の言葉には、入内した彰子のほうが大変だろうに、自分たちの拗れた夫婦仲のほうを心配させてしまった申し訳なさが、滲み出ます。

 しかし、道長の言葉を聞いても心配そうな彰子の表情を見ると、彼女を安心させようとした道長の親心は空回りしてしまったかもしれません。子どもを安心させるため、方便で答えてしまうのは親心としては妥当なところでしょう。ただ、断片だけで察してしまうような聡明な女性へと成長しつつある我が子であれば、ある程度正直に話してもよかったかもしれません。
 というのも、この瞬間が珍しく、彰子が道長に本心を見せた瞬間だったからです。安心させようと封じてしまうよりも、ここで「どうしてそう思われたのですか」と聞き返すなりして、話を膨らませたほうが、彼女が本当は何を考えている子であるのかを知れたように思われます。道長は、めったにない娘の心を知るせっかくのチャンスを逃してしまったのです。。結局、彰子の奥にある聡明さと心に気づき、それが引き出されるのはまひろの出仕を待つしかないのかもしれません。

(2)妻たちの本音を知ろうとしない道長
 彰子に「ご安心くださいませ」などと言った道長ですが、それが娘を安心させようとする方便に過ぎないことは、土御門殿へ帰宅した様子にはっきり表れます。帰宅した道長は、見るからに激務に疲れ果て、心ここに在らずといった雰囲気です。偶然、彼を出迎える形でお出ましになった倫子ですが、うつむき加減で目線を落としたまま「お帰りなされませ」と形ばかりの労いを述べます。
 倫子も「ん」ととりあえず返答する道長も、互いの顔を見ようともせず、文字通り「すれ違います」。言い争いとなり、夫婦間の亀裂が顕在化して以降、二人は同じ屋根の下にいながら、まともに話をすることもないのでしょう。

 政務に心身ともに疲弊している道長は、帰宅した先で彰子の件を巡って、また倫子とやり合うことを避けているのでしょう。二人は、彰子を中宮と名実ともにそれに相応しい状態にしたいという目的は同じですが、その方法において大きく立場を異にしており、平行線のままです。二人が折り合うことは難しい。情けないことですが、道長はどうしてよいのか、わからなくなっているのかもしれませんね。
 そもそも、二人の夫婦関係は、倫子の賢妻ぶりに道長が頼る形で成り立っていました。ですから、倫子の気持ちが拗れてしまうと、ままならない弱さがあります。しかも、前回のnote記事でも触れましたが、言い争いになった際、倫子が道長に言い放った「殿はいつも私の気持ちはお分かりになりませぬゆえ」という言葉は、長い夫婦生活で小さな不満が積み重ねられた結果です。道長がそれをどこまで理解しているかはわかりませんが、客観的に見れば、二人のすれ違いは根深いと言えます。原因は道長にありますから、修復には彼に相当の努力が必要でしょう。

 ただ、倫子の「殿はいつも私の気持ちはお分かりになりませぬゆえ」という言葉には、道長の薄情をなじるニュアンスが強くありますね。つまり、倫子の道長への愛情が冷めたがゆえの言葉ではなく、寧ろ、彼への未練の裏返しでしょう。ですから、倫子は、挨拶のあと、奥へ去っていく夫の後ろ姿を、後ろ髪を引かれるような哀しげな顔で見つめます。しかし、振り返りもしない道長は、嫡妻のそんな寂しさに気づきもしない。妻のそういう想像すらできないところに、彼が倫子と本心では向き合ってこなかったことが窺えるかもしれません。せめて、先の帰宅の挨拶でも、道長の側から「今日はどうであった?」と聞くような気遣いがあれば、少しは変わるのですが…

 とはいえ、倫子も、夫が自分の切ない気持ちに気づかないこともよくわかっているのでしょう。また嫡妻としてのプライドもあり、彰子のことも間違ったことをしたとは思っていません。ですから、目では追うもののそれ以上はしません。是非もなしと振り切り、自室へと入ります。あれほど温かみと穏やかさに包まれていた土御門殿は、こうして冷え切っていきます。

 こういうときの道長の逃げる先は高松殿です。いい気なものですね。さて、その閨にて、道長の胸に寄り添う明子女王が「土御門殿の頼通さまは元服の折に正五位の下におなりあそばしたのでございますよね?」と言い出すと「巌も苔も間もなく元服」と囁きます。道長は目を瞑ったまま「月日が経つのは早いものだな」と感慨深げに答えますが、明子がその話題を振ったのは「我が子にも、頼通さまに負けない地位をお与えくださいませ」、このことでした。
 一気に目を覚ました道長が、目を見開いたのが印象的ですね。安らぐつもりで来たこの場所で、野心剥き出しの話を寝物語に聞くのは寝耳に水だったのでしょう。

 明子は「私は、醍醐天皇の孫。北の方さまは宇多天皇の御ひ孫。北の方様とわたしはただの嫡妻と妾とは違うこと…」と半身を起こすと「殿とておわかりでございましょう」と艶然と微笑み、自分の価値を念押しします。その含んだような艶やかな甘えた物言いの裏側にあるのは、彼女本来の尊大さです。それは自身の血統への強い自負、道長を虜にしているという自身の魅力への自信、そして、四十の賀でその優秀さを見せつけた自慢の我が子…道長が絶対に自分の願いを聞いてくれるだろうという驕りが、嬌態に表れているのです。
 しかし、明子のそうした生臭さを感じ取った道長は、静かに「倫子の家には世話になった。土御門殿には財もある。それがどれだけ私を後押ししてくれたかわからぬ」と淡々と事実を告げます。倫子と雅信&穆子ら左大臣家が、道長の「公」の部分を支えた功績は大きく、礼を尽くしたいということです。

 道長としては、血統でも、愛情でも、嫡妻か妾でもなく、恩義を無視できないという道理を説いたつもりでしたが、それは没落した家の出である明子女王のプライドをいたく傷つけます。血相を変えると、道長から身体を離し起き上がると「私には血筋以外に何も無いと仰せなのでございますか」と先ほどとは打って変わった冷たい声音でなじります。彼女の激しい気性と自尊心は、ときに独占欲に等しい愛情、または驕り、あるいは恨みへ転じます。

 ですから、起き上がった道長が明子に寄り添い、手を握り「そうではない。それ(血筋)がすべてではないと言うたのだ」と諭しても、目を逸らし、聞く耳を持てません。根本的に我儘なのですね。
 道長は構わず「内裏で子どもらが競い合うことがないようにせねばならん」という「家」の繁栄から説得を試みます。かつて、兼家が道綱を三兄弟と明確に差別することで「家」が揉めないように計らったように、道長も同じように考えざるを得ないのですね。皮肉にも父と似てきますね。道長が「家」の繁栄という理屈を明子に説くのは、自分を慕う彼女であれば、きっと話せばわかると安直に思っているのでしょう。ですから、「明子が争う姿を見せれば、息子たちもそういう気持ちになってしまう。気をつけよ」と注意を促します。

 が、これは明子の神経を逆なでするものでした。明子は、息子たちを厳しく育てています。道長の前で彼らに「蒙求」を諳んじさせたのも、半ば強要で、子どもたちは母の顔色ばかり窺っていましたね(第28回)。彼女にとって、息子たちの教育は嫡妻の倫子への対抗意識が反映されたものだったのです。ですから、道長の忠告は、彼女自身の子育て、つまり彼女自身を傷つける余計な一言になってしまったのです。理屈が正しいだけに余計に腹立たしかったのでしょう。握られた道長の手をどかし、拗ねてしまいます。

 明子の道理を弁えない頑な態度に呆れた道長は、さっと立ち上がると着替えを始め、夜半というのに退去しようとします。道長は、明子の言動に高すぎる自尊心、激しい気性、倫子への強い嫉妬と対抗意識といった負の感情を見てしまい、うんざりしてしまったのでしょう。
 明子にとって運が悪かったのは、折しも道長が、倫子と不仲にあり、家内でのいざこざに嫌気がさしていたことでしょう。道長は、癒しを求めたこの場にも、諍いの芽だけがあるとわかってしまったのです。高松殿という場所に諍いを生じさせたのは、道長が都合よく明子を寵愛し、増長させたからです。しかし、明子の気性と野心のせいでもあるので、倫子の関係とは違い、責任は半々といったところでしょうか。

 ただ、道長の突然の態度に慌てた明子が、すぐさま「お許しくださいませ。お帰りにならないで」と追いすがる様子は、見捨てられたくないという必死さが滲み出ます。かつて、彼女が「仇である藤原の殿を心からお慕いしてしまった…」「殿にもいつか明子なしには生きられぬと言わせて見せます」とまで言った、道長を慕う激しい恋慕は嘘ではなかったと察せられます。
 彼女の自負も驕りも嫉妬も対抗意識も、すべては道長からの愛情を独占したいという思いの裏返しなのでしょう。その激しい情念の根には、道長への強烈な思慕があるのです。

 しかし、一度不信を抱いてしまった道長は、女の甘い声にも躊躇いはありません。道長をつかむ明子の手を「離せ」と努めて穏やかな冷たさで、でも力を込めることなくそっと外します。懇願する明子の眼差しに道長は「また参るゆえ」とだけ答えますが、先の「離せ」を聞いた後では、この言葉は心許ないもの…偽りの匂いすらあるでしょう。それでも、慕う男に「また参る」と言われた妾に出来ることは、引き下がることだけ…彼女は自身の立場を思い知るようにうなだれます。

 しかし、一旦は諦めた明子…なおも「殿…」と泣きそうな顔ですがります。この泣きそうなまでの思慕の表情こそ、明子女王の道長への本音(瀧内久美さんの芝居がよいですね)なのですが、道長は最早、彼女を見ようともしません。倫子に対してと同様、道長はここでも明子の本当の気持ちを見ようとも、知ろうともしませんでした。結局、二人の妻を都合よく使い分け、胸襟を開かなかった道長は、肝心なところで彼女らに関心がないことを露呈し、彼女らに寂しい思いをさせてしまいましたね。

 「以来、土御門殿も高松殿も訪れず、内裏に泊まる日が多くなった」とのナレーションが入り、道長がプライベートで安らげる場を失ったことが仄めかされます。この頃、内裏に泊まることが多かったことは、史料的にも示されていますが、事情が政務ではなく、プライベートの不和というあたりが「光る君へ」流ですね。そして、家庭の不和を忘れるように、激務である政だけに心身を傾けていくのは、いかにも不健康…先が思いやられますね。
 ただ、道長の側から見れば、妻たちの反乱により安らぐ居場所を道長が失ったかに見えますが、実際は道長自身が彼女たちの心ときちんと向き合わなかった結果です。自業自得です。

 また、道長は政の面でも気掛かりなことがあります。それは、1004年に公任より年下の斉信を先に従二位にしてしまったことです。これにより、大臣になって以降の道長の無私の志を高く買い、彼を支えてくれた公任の自尊心を傷つけてしまい、彼は出仕しなくなってしまいました。「参議のままでよい」(第19回)と言い、出世よりも風流を選んだ公任ですが、関白を出した名門の家柄であり、自身の才覚には自負があります。道長と争う気はなくとも、自分より格下の斉信が先に出世することは、さすがに公任のプライドを傷つけたのだと思われます。
 「道長は中宮大夫を務めて従二位となった。俺もたまたま中宮大夫であったゆえ位を上げてもらえただけだ」と慰め、出仕を勧めにきた斉信に「お前を中宮大夫にしたのは道長であろう。娘のことをお前に託したということだ」と、そもそも、自分は役に立たないと思われている、重用されていないと答えたことにも、彼がいたく傷ついたことが窺えます。

 しかし、この点は、道長の深謀遠慮と見ます。というのも、本作の斉信は、その出世欲から長徳の変では道長を出し抜き、その奸智によって公卿の座を得ました。若き日の学友たちのなかで、道長にとって一番油断がならないのが、斉信です。そのくせ、こういう欲が強い人は、俊賢や行成のような謀臣にも向いていません。ですから、最初から適度に役割や地位をちらつかせ、与えて、要らないことに知恵を働かせないようにしているのではないでしょうか。言うなれば、信用がないから先に出世しているということです(笑)
 因みに道長に意見できる大納言、藤原実資は、既に1003年に正二位に上げています。本作では、道長の政務のバランス感覚によって人事がなされていると考えてよいでしょう。ただ、その俯瞰的な眼差しは権力の頂点に立つからこそのもので、理解はされづらく、また時にその采配は個人の感情を無視することにもなります。

 このように道長は、政においても孤独、家庭的にも孤独…とさまざまな面で心境的に追い詰められています。まひろの返事だけが頼みの綱になっていくのも致し方ないところでしょう。


3.そして、「源氏物語」誕生へ
(1)紙の供給に見るまひろと道長の関係
 公私共に疲弊し、心なしかやつれた表情の道長は、いつものごとく左大臣宛の上申書の束を手にしますが、そのなかに無記名の一通を見つけます。察するところのあった道長はすぐさま開きますが、案の定、それはまひろのものです。お忍びで来た道長に合わせるように、まひろの文もまた数ある上申書のなかに小さくひっそりと混ざっているのが二人らしいかもしれません。

 果たしてそれは「中宮さまをお慰めするための物語、書いてみようと存じます。ついては、相応しい紙を賜りたくお願い申し上げます」という、道長からの依頼への許諾の言葉でした。どう書くべきか、何を書くべきか、その算段か出来たのというまひろの知らせは、公私に鬱々としていた道長にとって思いがけない朗報です。
 「…ああ…」と漏らし、目をしばたたかせる道長。その表情には、喜びと軽い驚きの二つがあるようです。前者はようやく希望が見えたこと、後者はあの頑ななまひろが自分の願いを受け入れたことに対するものでしょう。ともあれ、これで心は決まりました…いや、決めていた心はより確信に変わります。

 因みにまひろが上質の和紙を要求したのは、「中宮への献上品」に相応しいものに仕立てるために必須要項だからで、甘えたおねだりの類いではありません。そもそも紙は高価なもので、無官の貧乏貴族の娘である寡婦がほいほいと大量に使えるものではありません。個人が買うシステムでもありません。したがって、差し当たり紙の供給がなければ、世に知られた平安文学は成立しません。
 例えば、寧子の「蜻蛉日記」が世に広められたのも、兼家が私的に紙を彼女に与えたからです。そこに兼家の寧子への情を読み取ることも可能でしょう。「光る君へ」の兼家の末期にあの日を懐かしむ描写が入れられたのは、作劇上の理由だけではなく、それなりの根拠があるのです。

 また清少納言の「枕草子」も、中宮定子の元にいたから紙は入手しやすく、また広めるにあたっては、本作では伊周の財が背景にあることが示されています。没落したとはいえ中関白家なのでしょう。本作で描かれた「枕草子」の政治性もそれなりの根拠によるところがあると言えますね。
 因みに政治性もなく、プライベートの延長線のような「カササギ語り」にしても、仕事先である四条宮、正確には公任の嫡妻の敏子から紙が供給されたから書き続けられたのでしょう。いずれにせよ、紙の確保は、まひろにとっては生命線なのです。

 となれば、ここは左大臣道長の本領発揮。想い人にいいところを見せる絶好の機会です。早速、道長はまひろのもとへ大量の上質で知られた越前和紙を届けます。それがいかに驚くべきことなのかは、為時宅の家人たちが揃って呆気に取られている様子からも窺えますね。ただ、不思議そうに首を傾げる賢子の目はそんな紙を受け取るまひろのほうにあるようです。自分を構ってくれない母への思いは節々に表れます。

 さて、この紙の供給で道長がかなり浮き足立っていることは、百舌彦に任せれば済むにもかかわらず、わざわざ道長が自ら乗り込んできたことから察せられますね(笑)為時宅家人のうち福丸が呆然としていたのは、貧乏貴族の家に左大臣が訪れたことへの驚きがあります(乙丸には茶飯事ですが)。美しい紙を手にして自然と嬉しさが顔に出るまひろへ「お前が好んだ越前の紙だ」と道長も笑顔になります。まひろにとって紙の要請は、単なる必要事項に過ぎませんでしたが、道長はそれを自身の愛情表現へとすり替えているのですね。妙なところで、またも父、兼家に似てしまう道長です(笑)

 道長は「越前には美しい紙がある。私もいつかあんな美しい紙で歌や物語を書いてみたいと申したであろう?宋の言葉で」と、かの日の石山寺での思い出を語ります。道長があの日を大切に覚えていてくれたことに感激と感謝が隠せないまひろ…と一見、恋愛ドラマ的にはよい場面ですが、おいおい、いいのか?それ?というツッコミどころです。
 たしかに石山寺の思い出は、二人にとっては大切なものです。しかし、その会話は直後の不義密通、ダブル不倫とセットです。元より二人の甘い蜜月は、何の栂もない若い頃も含めて、周りには秘すべきタブーでしょう。にもかかわらず、それを大勢の前で、道長はペラペラと話してしまっています。しかも、知らぬこととは言え、実の娘の前で彼女の生まれる原因となった出来事についてを…です(苦笑)
 まひろが依頼を受けたことに、道長は想像以上に舞い上がっているのでしょうね(笑)まあ、二人の妻との関係が気まずくなったところへ、想い人からの救いの一通が来たら、そうなってしまうのもわからないではありませんが。

 というわけで、実は割と危うい話を振っている道長ですが、まひろは感激しているので結果オーライ。道長の心遣いに「真によい紙を…ありがとうございます」 と嬉しげにお礼を言うと「中宮さまをお慰めできるよう精一杯面白いものを書きたいと存じます」ときりりと心新たにします。
 自分のしたことで、まひろが晴れやかな顔になった道長も満足げに「うん…」と息が漏れるような自然な返事をしますが、ふと、思いついたように「俺の願いを初めて聞いてくれたな」と軽口を叩きます。

 彼が三郎のときから、まひろは強情で道長の思うような態度になったことがありません。母の死が原因とはいえ、あの日、まひろは三郎との約束を反故にしました。遠くの国への逃避行も、妾話も断られ、道長は詰んでしまいました。そして6年前、満を持して再度、妾になることを持ちかけますが、これまたフラれました。まあ、三郎のとき以外の道長の申し出は、まひろの意を汲むものではなかったので仕方ないのですが、道長からすれば、いつも自分を振り回す女に今も惹かれている…そのことへの感慨は湧くでしょう。人の想い、特に恋心だけは理屈ではないのです。

 長年の付き合い、今も慕う気持ちを持つまひろも、道長の揶揄が軽口とわかっていますから「まだ書き始めてもおりません」と、まだ貴方の願いに答えると決めたわけではありませんよ、とつれない返事をします。勿論、これも軽口…二人は自然と笑い合います。

この様子に福丸は、いとに「さっきのが左大臣さま?」「左大臣さまがこんなところ来るんだ?」と矢継ぎ早に質問しますが、いとは「そうよ」と澄まし顔。平然としている彼女を見て「すごいな、この家」と福丸は素直に感心します。視聴者はもう麻痺していますが、福丸の反応は実に真っ当です。
 それに対して「すごいのよ」と言ういとの表情がよいですね。彼女は、道長が疫病に罹ったまひろを一晩中看病したあの日から、二人の関係を心配するように見てきました。そして彼女だけは、賢子が道長の子であることも知っています。紆余曲折を経て、ようやく笑い合えるようになり、よい方へ回り出している…今までの苦労も含んだ万感の微笑みなのです。勿論、福丸に対する自慢も幾分か入っているでしょう。

 こうしてまひろは、楽しげに…そして徐々に前のめりになって、物語を一気に書き上げていきます。

(2)誰のために書くのか~読者を意識すること~
 数日後、まひろから連絡を受けた道長は、為時宅を訪れ、まひろが書き上げた物語を読みます。まひろは、少し離れた場所で柱にもたれ掛かり、道長の様子を背中で窺います。道長からは、時折、笑いが漏れ、その面白さは問題ないようですが、それを聞いているまひろの様子は不満げです。どうやら書き上げたものにどこかで納得がいなかったようです。自分自身で書いたものの質をディレクションするということは難しいもの。こういうときは、他人の反応で確かめるのが、妥当な判断です。そして、道長の素直すぎる反応を見て、自分の当初の狙いとズレているように思えてきたのでしょう。

 ですから、夢中で読み終え「ほー…よいではないか」と満足げな道長に「どこがよいのでございますか?」と突っかかるのです。理由まで問われ「へ?」と焦る道長ですが「飽きずに楽しく読めた」と、的確かつ無難な理由を答えます。「飽きずに楽しく読めた」というだけで、かなり高い文章力であることは言うまでもありません。…毎度、自分の文章の下手さに辟易しながら書いている私からすれば、その才能の1%でも欲しいぐらいです(苦笑)

 私の愚痴はさておき、道長を聞いたまひろは「楽しいだけでございますよね?」と確認するように納得すると、「真にこれで中宮さまをお慰めできますでしょうか?」と道長に問います。まひろは読み手を意識するがゆえに、「楽しいだけ」を危惧するのです。まひろは、哀しい立場の彰子を慰めることを想定し、楽しい気分にして慰めようと物語をこさえたのでしょう。しかし、笑わせたり、楽しませたりするだけの内容で、深い哀しみを抱えた人が慰められるかと言えば、そうとは限らないでしょう。

 東日本大震災のとき、北野武さんが『週刊ポスト』にて「“被災地に笑いを”なんて言うヤツがいるけど、今まさに苦しみの渦中にある人に笑いで励まそうなんていうのは戯言でしかない」と言ったことがありましたが、まひろが言いたいことはそれに近いものでしょう。彰子が、道長の言う通りの哀しみにあるのならば、まずはその気持ちを汲み取る、寄り添うようでなければ、彰子の心には何も届かないのです。
 今回の依頼と自分の思いが先走った「カササギ語り」との違いは、「中宮の心を慰める」と受け手と目的が明確であることです。それによって、まひろは「カササギ語り」では忘れていた、作品は受け手の心が大切であるということを思い出したと思われます。彼女は若き日、恋文の代筆業と散楽の台本を書いたときにそれを学んでいます。すべての経験が今、彼女の血肉になっていることが窺えますね。

 「書き上がったから俺を呼んだのではないのか?」と訝る道長に「そうなのでございますが…お笑いくださる道長様を拝見していて、なにか違う気がいたしました」とあっさり返すまひろ。一刻も早く何とかしたいと焦る道長は「何を言っておるか、わからぬ。これで十分面白い。明るくてよい」と単純に応じます。いや…だから、あんた、そんなんだから倫子と明子の哀しい気持ちが見えてないんだよ…(苦笑)
 まひろは道長のそうした焦りになにか感づいたのか、妙な顔をすると「中宮さまもそうお思いになるでしょうか?」と改めて問います。再度の質問に真顔で固まる道長に、まひろは「中宮さまがお読みになるのですよね」と今度は追及するように問います。瞬間、道長の目が明らかに泳ぎます。それを見て取ったまひろは「ん?」となると確信したように「もしや、道長さま。偽りを仰せでございますか?」とズバリ聞きます。

 まひろの言葉には責める響きはほとんどありませんが、想い人への後ろめたさが前面に出てきてしまった道長は「え?」と素で狼狽えた表情をすると、その顔を隠すために目がますます動き、挙動不審になってしまいます。呆れたまひろは「中宮さま…と申し上げると、御目が虚ろになります」と冷静に指摘します。互いに想い人だったのですから、まひろのほうも道長をよく見ています。微妙な変化とて気づくでしょう。
 まひろの指摘に、あちゃー、しまったというような表情になってしまう道長ですが、どうもこの人はまひろの前では腹芸ができませんね。惚れた弱みというやつでしょうか。左大臣になったというのに三郎のときと変わらない部分を見つけたまひろは「正直な御方…」と微笑します。彼女のほうが精神的には大人で、その微笑には呆れと彼を可愛く思う余裕があります。「お前にはかなわんな」という敗北宣言と「やはり」というまひろの澄まし顔は、コントの締めのようなものですね(笑)

 嘘がバレた道長は「実はこれは帝に献上したいと思っておった」と真実を言いますが、さすがに予想外、まひろは目を丸くします。「「枕草子」に囚われるあまり、亡き皇后さまから解き放たれぬ帝に「枕草子」を超える書物を献上し、こちらに御目を向けていただきたかったのだ」と正直に、自分の苦悩を語ります。ここでいう「こちら」とは、彰子だけではなく、政務も指していると思われます。まひろに語った親心も真実ですが、政の安定が左大臣としての自分の責務だからです。

 その一方で「されど、それを申せばお前は、わたしを政の道具にするのか!と怒ったであろう?」と言う道長は、想い人であるまひろに責められることが何よりもつらい。矛盾した思いの末の嘘だったのだとわかります。「怒ったやも…しれませぬ」とまひろは答えるものの、道長の事情に理解を示したものです。
 とはいえ、道長としては、もうこうなっては、せめてまひろを利用しないことだけが誠意です。「すまなかった」と詫びると、諦めたように書きあがった物語を返そうとします。本当は困るのにあっさり返してしまうあたりに、彼の矛盾が顕著に表れています。

 しかし、道長の依頼は、彼にとっては想定外の効果がありました。それは、まひろに作家としての原点を見つめさせることになったことです。それは、彼女の創作の原点が、哀しみと苦しみを癒すことであったことを思い起こさせます。母を殺され貧窮に耐えるという人並みならぬ苦労のみならず、道ならぬ恋、その結果の数々の不実など真面目そうな彼女の人生は矛盾だらけ、波乱含みです。

 そうしたなかで「楽しさ」も「おかしみ」は、人生の悲哀の裏返しであることは、直秀から教えてもらったことです。ですから、おかしみを含んだ「物語」を書くことは、自分自身や社会の矛盾と光と影を受け入れ、偽りなく向き合うことになるのでしょう。そのために必要なことが、とことん見つめ考える「根暗で鬱陶しい」彼女の眼差しです。原点と自身の強みへの気づきは、道長に見せた習作の問題点によって、さらにその方向性を確信させたように思われます。平たく言えば、「カササギ語り」延焼で一度は途切れたまひろの創作意欲に火が付いたのですね。

 その思いゆえに「帝のお読みになるものを書いてみとうございます」と、まひろは自ら申し出ます。安直な道長は「え?これを帝にお渡ししてよいのか?」と答えますが、まひろは「いえ、これとは違うものを書きまする」もっと大胆なことを言い出します。「そうやすやすと 新しい物語は書けませぬ」と言ったのはまひろ自身です。当然、その執筆は困難を極めるはずです。それでも、新しい物語を書くと言えたのは、彼女のなかに沸き立つ意欲と書けるのではないかという一種の自信でしょう。

 書くと決めたまひろの行動は迅速です。「帝のことをお教えくださいませ」と単刀直入に聞きます。さらに驚く道長を後目に「道長さまが間近にご覧になった帝のお姿を。何でもよろしゅうございます。お話くださいませ」「帝のお人柄、若き日のこと、女院さまとのこと、皇后さまとのことなどお聞きしとうございます」と矢継ぎ早に問い質します。気負っているのではありません。「物語」を届けるべき相手をよく知り、その相手が何を求めているのかを知ることが、技術的なことよりも重要だからです。

 そして、実は一条帝のすべてを道長から聞くということも大切です。「物語」を書くのはまひろですが、「こちらに御目を向けていただき」たいという思いを届けたいのは道長だからです。送る側の願いと送られる側の憂鬱を汲む、二つが揃ってこそ、まひろが「物語」を彼らをつなぐものとして書くことができるのですね。

 かつて、恋文の代筆業で、まひろは、文盲の麻彦の身分違いの恋を成就させています(第2回)。ただし、それは最終的には、代筆をしないという選択をすることによって成功させました。何故なら、相手の女房は、背伸びした麻彦ではなく、文盲の彼のありのままの真心だけを欲していたことを、彼の語る話から察したからです。ですから、彼女の技巧に長けただけの和歌は、相手の心をまったく動かせず、代筆そのものとしては失敗しています。
 まひろは、このとき、和歌も物語もそこにその人の真実、真心がなければ、人の心を動かすことができないということを知ったのですね。中宮に書いた習作にどこか納得できなかったのも、彰子のことを十分に知らなかったからとも言えますね。改めて、詳しく聞こうとするのは、その反省もあったやもしれません。

 また、もう一点、注意しておきたいのは、まひろが若き日のこと、女院のこと、皇后のことと帝について聞かなければならない情報をある程度、わかっているということです。何らかの文章を書くことを生業にする人は、取材、調査の経験があると思いますが、これは闇雲にやるのではなく、事前に勉強をして当たりがついてこそ効果的に行えるものです。実は、まひろは、期せずして道長から帝の話を聞く準備が整っています。

 まず、一番大きいのは、直前に「枕草子」を読んだことでしょう。少納言の語る登華殿の麗しき御代に耽溺したからこそ、その裏や疑問がまひろのなかにはあるのです。まひろの助言で「枕草子」が書かれたことは、やはり、回り回って、まひろの「物語」の原動力になるのですね。
 また、彼女はほんのわずかですが、帝と会話したこと(第19回)があり、その聡明さも体感しています。
 そして、定子については…ききょうは「影などない」とまひろを一喝しましたが、実はまひろは、定子の壮絶な落飾の顛末をききょうと共に見てしまっているのですよね(第20回)。あれは何だったのか…まひろのなかのどこかでひっかかりとなっていてもおかしくありません。このようにまひろの見聞きしたことは、題材の収集という形で集約されていきます。

 まひろの熱心さに気圧された道長は「話してもよいが…」と口にするものの、あまりにも長きにわたって、さまざまなことが起きすぎて、彼自身にも収集がつかないというのが実際のところ。「ああん、どこから話せばよいか」と困り果てます。すると「どこからでもよろしゅうございます。思いつくままに…帝の生身のお姿を…」と、そっとアドバイスをします。

 そう、先にも言ったように帝の話を聞くことは、道長の思いを聞くことでもあります。道長の好きなように話をさせることは、結果的に彼自身がずっと抱えてきた政における悩みの一部を整理することであり、まひろとそれを分かち合うことにもなるのですね。倫子や明子に対してすべきことなれどできなかったことです。「家の者たちは私の邪魔をせぬようにと宇治に行っております。時はいくらでもありますゆえ」と語るまひろに誘われ、道長は思いつくままに帝について話し始めます。


(3)ソウルメイトへの道

 「帝がご誕生されたとき、それはそれは美しい男子であった」「帝は亡き皇后、定子さまに夢中であらせられた。入内されたとき、帝はまだ幼く…」「帝のよき遊び相手で…」「帝を本当に大事に…」「今は亡き女院さまも涙を流して喜んでお…」と道長が語る帝の話は取り留めもなく連ねられていきます。視聴者からすると、断片で途切れるいずれの話も「ああ、あのときの」と思い出せる印象的な場面ばかりではないでしょうか。まひろが聞くという形を取りながら、視聴者もまた帝と定子たちの真実を再確認していくというメタ的な演出ですが、最初は柱にもたれ掛かり、それとなく聞いているという様子だったまひろが、徐々に乗り出し真剣な眼差しになっていくのがよいですね。「人には光もあれば影もあり(中略)複雑であればあるほど魅力がある」と思うまひろにとって、それはまさに人間の真実があったのでしょう。彼女は、その生身の帝の真の部分に引き込まれていくのです。既に大石静マジックに引き込まれている視聴者とまひろが、わずかに重なるところも演出の一端でしょう。

 ところで、まひろ、大切な題材、しかも日がとっぷり暮れるほどの長時間の話を聞くにあたり、特にメモを取るでもなく、ただただひたすら聞いているんですが、これとてつもなくすごいと思います。私も論文を書くときに当事者の取材をすることが度々あるのですが、記憶力のない私にはボイスレコーダーや記録用の手帳は必須アイテムです。まひろの記憶力は、取材では聞いただけですべて覚えたという小説家トルーマン・カポーティ並といったところでしょう。

 話を戻しましょう。話を締めくくるのは、やはり一条帝の定子への強い執着心です。「定子さまをお慕いする帝の御心は…我らが思うより遥かに強いものであった」と語る道長は、帝の想いに想像が至らなかったことへの後ろめたさがあります。そして、「俺も…どうしたらよいか、わからなかったのだ…」と途方に暮れた思いを吐き出すと、呆然としてしまいます。

 道長は左大臣です。いかに股肱の臣となっている行成や俊賢であっても、彼らは自分と対等ではありません。相談相手にはできても、政権の弱体化を仄めかす弱気や弱音を見せることは極力避けざるを得ません。彼が執務室で倒れた際、大事ないとして行成にそれを秘匿させたのも、自身の健康よりも政の安定を最優先しようとしたからです。
 唯一、詮子や晴明には弱音を吐いていますが、彼らはどちらかと言えば、厳しい師匠のようなものです。解決策を求めるための相手であって、己の気持ちを吐露することとは微妙にズレます。本来なら倫子や明子にこそ、それを話すべきですし、彼女らはそれを待っていたのですが、道長はどうしてもそれができませんでした。

 彼の心を蝕み、帝との間がこじれる原因ともなった長徳の変から約8年・・・ようやく道長は「俺も…どうしたらよいか、わからなかったのだ…」という本音を吐露できたのですね。そこには、天災や疫病で政がままならなかったこと、心ならずも中関白家を凋落させたこと、辞表を突きつけ帝に諫言したこと、出家した定子を職御曹司に招いたことで多くの問題がかえって起きたこと…彰子を入内させたこと、政のさまざまに対する慚愧の念もあるのではないでしょうか。
 起きた事象のすべてを自分の政の結果と引き受け、「どうすればよかったのだ」と言わないあたりが、政権の頂点に立つ責任感でしょうね(伊周が器でないのは、こういうときに責任転嫁するからです)。

 物思いに言葉が途切れた道長を見つめるまひろは、ふと思いついたように「帝もまた人でおわす…ということですね」と、道長を慰めるように声をかけます。意外な言葉に「ん?」と問い返す道長は、いつの間にか胡坐をかき、砕けた座り方になっています。他ならぬまひろへ抱えたものを出せたことで自然体になっているのかもしれません。

 問い返す道長に、まひろは「かつて、父とのことも、道長さまとのことも、あれもこれも、思っていることとやっていることが相反しており、悩んでいたとき、それは人だからじゃと亡き夫に言われたことがございます」と、自身の経験則を添えます。この宣孝の「それは人だからじゃ」は、学問が人の道を説くのに為時がその真逆のことばかりしているとのの疑問をまひろがぶつけたときの明快な答えです(第4回)。

 思いと言動が裏腹であるのが、人間である。宣孝が言わんとしたことと同じことをもっと直接的に言ったのが、定子です。定子は、己が一条帝を慕うゆえに彼のためにあえて突き放し、彰子を中宮として大切にするよう進言します。一度は彼女の思いを疑った帝ですが、「偽りでもかまわぬ。朕はそなたを離さぬ」と抱きしめます。その熱い想いに答えたい、でもそれは駄目だと葛藤する彼女が、絞り出すように言った言葉…それが「人の思いと行いは裏腹にございます」(第28回)です。
 まったく関係のない二人の人物が、同じ象徴的な言葉を使うのは、「光る君へ」において、「人の思いと行いは裏腹」が、重要なテーマの一つであるということを示唆しています。

 ただ、まひろが宣孝の言葉を真に実感したのは、宣孝と夫婦となり、家族として数年を過ごすなかでのことでしょう。道長が忘れられないのに宣孝になびいたまひろ、まひろが好きであるのにまひろを心理的に追い詰めて婚姻へ釣り込んだ宣孝。不実で結ばれた二人は、最初から「思いと言動が裏腹」でした。
 それゆえか、心の隙か、まひろは人妻となりながらも、道長と関係を結び、彼との子を身籠ります。このとき、道長と惹かれ合い、再び結ばれたにもかかわらず、まひろは道長の傍で生きないかとの申し出を断っています。これも思いと言動が相反していますね。

 しかし、その不実のなか、賢子が道長との不義の子であることを承知の上で、それを受け入れ家族となろうとする宣孝の真心を知ることになります。まひろは「思いと言動が裏腹」という矛盾の奥にある人の真実を見て、不実の果てに短いながらも確かな幸せを得ます。若き日の道長との恋愛では「思いと言動が裏腹」は、ひたすらに彼らを苦しめたものです。しかし、それだけが真実ではない。それを、宣孝との生活は教えてくれたのです。

 だから、かつての、いや今なお慕う道長を前にしても、亡き夫の言葉を臆せず語ることができます。「豪放で快活」な宣孝との生活も思い出も、そして宣孝自身も今のまひろを形作る大切な要素なのですね。純愛だけを貫くかつての少女は、逞しい大人の女性となっているのです。


 まひろの言葉に真理を感じた道長は、まひろに向き直ります。乗り出したまひろは、「帝のご乱心も人でおわすからでございましょう。道長様のご存じないところで帝もお苦しみだったと思います」と核心を突きます。「ふむ、なるほど」と思案げになった道長、暫し、一条帝の御心に思いを馳せると「ふー…それを表に出されないのも人ゆえか…」と得心したように呟きます。

 帝は聡明です。そして情が深い。それゆえに母の期待に応えようと御簾の奥で独り耐えてきたのです。その苦しみを和らげたのは、彼の御簾に入れた定子だけだったのですね。彼は帝です。彼の立場もまた道長と同じ…弱音も弱気も打ち明けられないのです。その孤独は、常に御簾の奥にいるぶん、道長のそれよりも強いものなはず。
 道長と帝は、よく似ているのですね。道長は、そのことに気づいたかもしれません。それが、得心した理由の一つに思われます。そう言えば、一条帝を演じる塩野瑛久くん、いつも御簾の奥で演技していて孤独だと「土曜スタジオパーク」で言っていましたね。演者すらそれですから、帝の孤独は推して知るべしですね。

 道長の得心に安心したのか、まひろは「女も人ですのよ」とうそぶきます。彼女はなにげに道長との関係に悩んだことを改めて口にし、夫の言葉も伝えました。帝も人なら、私も人、私だって夫婦生活を含め、色々苦労して、思い悩んできたのよ、わかってる?というわけです。こうした軽口は、幼馴染にして、心を響かせ合った仲だったからこその心の距離感が言わせるものです。そう言えば、この場面の二人が座る付かず離れずの物理的な距離感も、紆余曲折を経た今の二人の心理的な距離の演出にもなっていて興味深いですね。

 軽口を叩かれた道長は「そのようなこと…わかっておる」とムキになって返していますが、こういうことを言うとき、男は大抵、わかっていないものです。しかも、道長の場合は、まひろの心の機微だけがわかっていないだけではありません。前章で見てきたように、二人の妻たちの自分を慕う本心すら気づきもせず、見ようともしていません。ついでに言えば、娘の彰子の思いも見えません。そう、こいつは全然、女心がわかっていないのです(苦笑)

 そんな彼ですから、まひろの「人とは何なのでございましょうか」との真顔の呟きに答えを持ち合わせていません。勿論、まひろは答えを要求したのではありません。帝の話の一々を聞き、道長の苦労を知り、自分のこれまでを思い返すと、人というものの不思議さを思わずにはいられなかった。そういうことでしょう。そして、まひろにとってのその答えは、彼女自身が「書く」先にしかない…思案するようなまひろの表情は徐々に書き手モードになりつつありますね。


 すっかり夜も更け、「んー、帝の御事を語るつもりが、我が家の恥をさらしてしまった…」と自虐的に言いますが、長い間、抱えていたものを吐露した道長の口調は明るいものです。まひろが相手であっただけではなく、あくまで「物語」のために話を聞くという体であったことも話しやすかった理由でしょう。多少、スッキリしている道長は「はぁん…我が家は下の下だなぁ、呆れたであろう?」と申し訳なさげに言います。道長の言葉に首を振ったまひろは「帝も道長さまも皆、お苦しいのですね」と、寧ろ労います。越前で父の手伝いをするなかで政の難しさを実感している彼女は、道長と帝の苦しみが想像以上だと理解したと思われます。そして、彼女もまた帝と道長が似た者同士と気づいていますね。

 因みに、彼が話した「我が家の恥」とは、入内により権勢を得てきた兼家から続く陰謀一家であること、また伊周たち中関白家の血縁と骨肉の争いを演ずる醜さのことを指しているのでしょう。たぶん、倫子との不仲には触れていないでしょう。もしも、そこに触れていたら、まひろは倫子のために道長を諭したでしょうから(苦笑)

 さて「これまでの話、役に立てばよいが…」という道長は、これが「物語」執筆にどう活かされるかは想像がつきません。まひろとて、まだ確証があるわけではありませんから、それには答えず、煌々とした満月を見上げると、思わず「きれいな月…」と微笑みます。まひろの言葉につられるように道長もまた月を観ます。いつも、違う場所で同じ月を見上げ、思いを馳せていた二人は、ようやく、ただただ満月を隣り合って観ることになります。

 「人は何故、月を見上げるのでしょう」と素朴な疑問を口にするまひろに「何故であろうな」と答える道長は、彼女の言葉を促しているのでしょう。物語好きなまひろは「かぐや姫は月に帰っていきましたけど。もしかしたら、月にも人がいて、こちらを見ているのやもしれません」「それゆえこちらも見上げたくなるのやも」とつらつらと想像を膨らませて言葉を紡いでいきます。カメラはそんなまひろを見つめる道長をフォーカスしているため、見切れているまひろの顔はぼやけていますが、笑顔であることは確かです。

 幼い頃と変わらず、想像力逞しく語るその姿が懐かしく、愛おしくなったか、道長は「相変わらず、お前はおかしなことを申す」と真顔で答えます。自身が三郎だった頃から、学があり弁の立つまひろは不思議な子でした。自分のほうが置いて行かれるようなそんな存在だった…その寂しさを思い出したようにも思われます。

 しかし、まひろの答えは「おかしきことこそめでたけれ、にございます。直秀が言っておりました」と、二人の共通の友人の名とその言葉と思い出でした。彼の死を一緒に弔ったことが、今の彼らの原点です。それを忘れていない、今なお自分たちは通じ合っていると言わんばかりのまひろの言葉を聞き、ああそうかという表情になる道長。
 その顔に月の光が差し、彼の気持ちを彩るように煌々と照らします。まひろと今もつながっていることに感慨深げな道長は、一拍置いて頷くと、まひろと目線を合わせるように再び見上げると「直秀も月におるやもしれんな…」と呟きます。彼もまた忘れられないあの友を偲びます。直秀が今の二人を月から見ていたなら、なんと言うでしょうか。相変わらずの不器用ぶりを「おいおい」と苦笑いしているかもしれません。

 まひろと通じている、心が響き合っていると実感できたからでしょうか。ロマンティストな面を普段出さない道長が「誰かが…誰かが今、俺が見ている月を一緒に見ていると願いながら、俺は月を見上げてきた」と、空想逞しいまひろの答えに応ずるように語り始めます。思わぬ道長の言葉には真実が宿ります、はっとしたようにまひろは道長を見つめるのは、彼女自身もまた道長を思い、月をいつも見上げていたからです。それが都であろうと、越前であろうと、思いはいつもかの人にありました。道長が「誰か」と喩えているのが、まひろのことであるのは、彼女にもよくわかっていることでしょう。
 まひろの眼差しに気づいているか、照れ隠しか、月を見上げたまま、道長は「皆、そういう思いで月を見上げるのではないかな」と続けます。「お前も」と言えず、「皆」と言ってしまう道長はどこまでも不器用ですが、長い長い年月を経ても変わらないまひろへの愛を告白しているのは明らかです。


 万感の想いをようやく告げることができた道長の真横に月のイメージが半分挿入されます。そして、そんな道長を見つめるまひろの真横にも月が半分…言葉は要りません。なくとも、今、十分伝わっています。それは、月を挟むような二人のカットの次に煌々とした満月のカットが挿入されらことが証明されています。満月が二人の想いを一つにしたとも言えますし、逆に二人の互いの想いが響き合うときに満月となり、その望月が彼らを照らすのだとも解釈できます。それは、二人が初めて結ばれたあの夜(第10回)の陰謀の月夜と同じです。しかし、その満月は、あのときよりも大きく映されます。紆余曲折を経た二人の響き合いの充実かもしれませんね。

 そして、それは二人がそれぞれに過ごした日々の経験、見聞きしたこと、彼らを通り過ぎっていった多くの人々…さまざまな出来事と人の思いが、満月のもとに出そろった瞬間…つまり、「物語」を書くときが来たことを意味してもいます。

 これまでになく、心が響き合い、通じたことを感じた二人は、どちらからともなく向き合います。抱きしめたい思いに駆られる道長ですが、まひろの真摯な眼差しに「もう帰らねば…」と踏み留まります。ここからは、まひろが全力で「物語」に向き合い、書かねばならないとき。まひろの顔をにはその強い気持ちが窺えたのでないでしょうか。しかも、そこへ引きずり込んだのは道長自身です。今、二人が成すべきことは一つ。初めて、二人は一つのことに向かうのです。それで十分と思わねばなりません。当然、まひろも求めることはなく、静かに道長を見ています。
 過去最高に思いが通じ合い、目的を一つにした瞬間でありながら、二人は睦み合うことなく、目的のために分かれていく…これもまた「思いと行いは裏腹」というものかもしれませんね。

 ところで、一連の流れを見て、夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したという逸話を思い出した方も多かったでしょう。残念ながら、この逸話は作り話なのですが、その作り話を換骨奪胎し、今回の場面にしたとすれば粋だと言えるでしょう。しかも、すべてが出揃い、実質的に「源氏物語」誕生前夜となったこの満月こそ、第1回のサブタイトル「約束の月」なのかもしれません。そして、それはいよいよ始まるのでしょう。


(4)作家としての目覚め

 道長が帰った直後から既に思案する顔つきだったまひろは、翌日、紙を広げると「帝、中宮、皇太后、女院死」と、聞いた話の要点を整理するように書き付けていきます。おそらく、彼女は物語を作るための相関図、フローチャート、あるいは思考マッピングをしようとしているのだと思われます。昼夜を問わず、「物語」の構想作りに没頭するまひろは、昼間は庭を、うろうろ、うろうろと不審極まりない様子で悩み抜いています。これまでにないそれは、「お方さまはどうにかなってしまわれたのでしょうか」といとを心配させますが、生みの苦しみと察する為時は「左大臣さまの頼みに応えようとしておるのだろう。放っておいてやろう」と、彼女の思うままになるよう気遣います。たぶん、放っておかれている賢子はヘイトを溜めているでしょうが。火事騒ぎがありましたから邪魔はしません。


 そして、ある日…髪を前に静かに佇むまひろ。その目だけが極端にクローズアップされています。そして、そのときは突然、訪れます。彼女の眼前に色とりどりの美しい紙がゆっくりと降り注ぎ、舞う光景が広がります。その紙には、何らかの文字が書き付けられているのが印象的ですね。その刹那を見たまひろは、目を見開くと筆を取ります。彼女のなかで「物語」が降りてきた瞬間です。


 これこそが「源氏物語」誕生の瞬間となるわけですが、秀逸なのは、それを作家の心象風景として描いたことです。色とりどりの美しい紙は恐らく、彼女がこれまで出会い、見聞きした人々たちの思いや経験でしょう。そして、その紙に文字が書かれているのは、その多くの人々、それぞれに物語の種があるからです。

つまり、作家としてのまひろの心象風景とは、多くの人々の思い、経験、人生が言の葉として舞う世界なのです。まひろは、その言の葉を拾い、集めて、さまざまに切り貼り、あるいはつなぐことで、物語を紡いでいくということになるのだろうと思われます。多くの人物が織り成す人間模様が見どころの「源氏物語」に相応しいのではないでしょうか。それにしても、まひろにかぎらず、己の世界観を持つのは、ききょうも、あかねも同じです。つまり、作家とは、己の心象風景を具現化し、読者をその世界に引きずり込む力を持つ人たちなのかもしれませんね。



再び為時宅、為時以下、家人が遠巻きに見守るなか、まひろが新たに書き上げた物語を道長が読んでいます。前回と違い、今日のまひろは居住いを正し、道長の相対しています。先の中宮向けの習作も真剣に書いたものですが、今回は書き手としての実感が違います。題材と格闘し、擦りきれるまで思考したその果てに垣間見えた自分の心象と物語が降りてくる感覚…それは、作家として覚醒した瞬間を得ました。今風に言えば、シンギュラリティが起きたというところでしょう。間違いなく自分のすべてを注ぎ込んだという納得が、彼女にはあるのです。その思いが、向き合う姿勢にも表れているのです。


ただ、読み終えた道長は「…これは…」とため息をつくと「かえって、帝のご機嫌を損ねるのではなかろうか…」と不安を口にします。第25回note記事で、「光る君へ」の一条帝と定子の情事が、「源氏物語」の桐壺帝と桐壺更衣の描かれ方と似ていることから、もしかしたらモデルになるのかもと言及しましたが、やはり、彼女は道長から聞いた話を大胆に使い、その真実に迫る作品…つまり第一帖「桐壺」を書き上げたようです。「枕草子」に囚われ、溺れる一条帝は、二人の関係の美しさだけを抽出した世界に逃げ込んでいるわけですが、そこに敢えて楔を打ち込むというのは、衝撃は大きいですが賭けです。道長が躊躇するのも、致し方ないところです。


 おそらく、書きあげたまひろ自身が、そのことはよくわかっているはずです。しかし、先に述べたように、まひろは届けるべき相手の心を汲み取り、真に求めるものを提供することが、物語の受け手を慰めることになると理解しています。過激な娯楽性だけで攻めているのではなく、それが一条帝に必要だと見立てたのでしょう。一条帝は元々、聡明で政の志も高い人でした。それは、「新楽府」について語り合ったまひろがよく知っています。ですから、亡き定子に囚われる今の自分をどこかで恥じながらも、溺れてしまう悪循環にあると考えたのではないでしょうか。まさに「思いと行いは裏腹」です。ですから、二人の姿の哀れさを敢えて描き、真実を見せることは、今の自分を見つめなおすきっかけとなるのかもしれません。


 当然、帝の心が傷つくことも頭にあったはずで、そのギリギリの匙加減を悩み抜いて、書いたのでしょう。ですから、「これが私の精一杯でございます」と言い切るのです。彼女が垣間見た心象風景を、そこにある真を持てるすべてで浮かび上がらせたのです。その真が通じないのであれば、自分の能力がそこまでだったとしか言えません。ですから、「これでだめならこの仕事はここまでにございます、どうか帝に奉ってくださいませ」と懇願するより、まひろのできることはありません。


 まひろが渾身の力で書いたことも、考え抜いた策であることもわかりますが、あまりにもリスキーなだけに道長はなおも逡巡します。そこへひょっこりと賢子が顔を出します。すっかり母に相手にされなくなっている賢子は不満を溜めているはずですが、火事の一件がありましたし、為時や福丸らが遊び相手になることで大人しく、母のすることをたまに遠巻きにしていました。今、来たのは、単なる好奇心でしょう。

 まひろは賢子を呼び寄せると「左大臣さまよ、ご挨拶して」と言います。現れたからには、挨拶させないと不自然ですから、そうしただけで、特別、親子対面であることを感じさせる素振りはしていません。「賢子にございます」と早口で答える賢子に、何も知らない道長は幼子に対する笑顔を見せ「ん…そなたはいくつだ?」と月並みなことを聞きます。無論、目の前の左大臣が父とは知らぬ賢子は「6つ!」と賢い子の定番の答えです。


 この答えに、目が泳いだのがまひろです。彼女の年齢を聞き、この子が石山寺で関係した結果、生まれたと気づかれるのではないか。バレる、ヤバいという心情に他なりません。キョロキョロした後、すぐに道長の様子を上目遣いで確認するその様子は狼狽えていることが明らかです。しかし、賢子を見ている道長は、まひろの挙動不審にも気づきませんでしたし、鈍感な彼は単にまひろと宣孝の子だと思っているようです。二人の間に子がいたらと夢想したことはあるでしょうが、現実にいる可能性は考えたことはないでしょう。まあ、誕生日なんて気にする時代じゃありませんから、バレにくいとは思います。


 何にもわかっていない道長は、賢子を招くと自らの膝に乗せると、まじまじと賢子の顔を見ます。微笑ましい場面です。何もかも知っている乳母いとだけが、複雑な表情で固まっていますが、乙丸ときぬは嬉しそうに眺めているという対比がおかしいですね。当然、まひろにとっては、ハラハラだったはず。宣孝どのにはあまり似てないな、などと言われたら、まひろの心臓が止まりそうですね(笑)しかし、道長が想い人の娘をまじまじと見るのは、そこに彼女の面影を探してしまうからでしょう。果たして道長は「おお、母親に似て賢そうな顔をしておる」と笑うと、賢子の頭にポンと優しく手を置きます。


 にっこり笑う賢子が印象的ですね。実父と感じたわけではないでしょうが、優しい人だとは思ったのでしょうね。また、「母に似ている」と言われて、笑ったことも大切です。賢子は、厳しくしつけ学問を押しつけることを怖がり、嫌がっています。また、自分の相手をしてくれないことにも不満を抱いています。総じて母を敬遠すると癖がついています。しかし、道長とのこのやり取りでわかるのは、母を慕う気持ちも強くあり、それだけに自分の思うように相手をしてくれない母を嫌ってしまう言動をしているのだと察せられます。可哀想に、彼女もまた幼くして「思いと行いは裏腹」なようです


 ともあれ、賢子が現われ、場が和んだことは大きかったようです。おそらく、賢子に昔のまひろを見出した道長は、ずっと彼女を信じてきたことを思い出したのかもしれませんね。その初心が、まひろがこれだけ頑張ったのだから、それに賭けるしかないと思わせたのでしょう。この直後に帝への献上の場面ことからも、そのような心境になったように思われます。結局、二人の娘が「源氏物語」を一条帝に献じるきっかけを作ったのだとすれば、知らぬこととはいえ、因果な親子だと言えますね。因みに道長は、まひろに似ていると言っていましたが、漢籍が嫌いなところはお前に似ていると教えてやりたいですね(笑)


 こうしてまひろの書き上げた「桐壺」は、道長が直接、帝に献上しますが、まひろは早速、原稿の修正、校正を始めています。為時は。不思議そうに「それはもう左大臣さまにお出ししたのであろう」と問いますが、まひろはまったく構わず、「はい。こうしたほうがよいと思うところがあちこちにあって…直していると止まりません」と作業に余念がありません。
 ああ…でもまひろの気持ちはわからないではありません。自分の書いたものは、見れば見るほど直したくなるものです。5、6回校正しても、まだ直すところ、気になるところが出てきます。しかし、為時は、目的を果たしたのに直そうとするまひろの行為がピンと来ず「お出ししてしまったのに、まだ直すのか?」となおも聞きます。

 すると、まひろは事もなげに「はい、物語は生きておりますゆえ」と答えます。「物語」は、書きあげたら終わりなのではないと言うのです。「物語」には、例え完結したとしても、多くはその先があります。また、読み手が読み、いろいろと思い巡らすことで広がりもします。「物語」とは可変的であり、そこに可能性があるのです。
 まひろは、自分の作家としての心象風景を見たとき、おそらく「物語」の無限の可能性をも垣間見たのかもしれません。「物語」に取り憑かれたようなまひろのさまを見る限り、「私らしく自分の生まれてきた意味」(第12回)を遂に「物語」を書くことに見出したのかもしれません。

 そんなまひろに驚いた表情をした為時が印象的です。彼は、誰よりも娘の学才を買っていました。自分以上の才覚であると評したこともあります。今、彼女は、学問を積んできた自分が考えたこともなかった「物語は生きている」という境地にいます。為時は、娘が真に自分を超えたのを感じ取ったのかもしれませんね。
 また、この場面では讃美歌のようなコーラスがかかっているのも印象的です。これは、「源氏物語」ではなく、作家としてのまひろの誕生を寿いでいるのかもしれませんね。


おわりに
 ラスト、遂に一条帝は「源氏物語」の第一帖「桐壺」を手にします。有名な「いずれの御時にか…」が、書き手であるまひろの声で流れていきます。帝の胸にすっと物語が入っていたことが窺えます。しかし、その冒頭の部分は、帝が桐壺更衣ばかりを寵愛したために、他の女御、更衣たちから疎まれ、彼らの後ろ盾の貴族らからも揶揄され、さまざまな嫌がらせを受けたというもの。明らかに自分と定子のことを当てこすったとしか思えない内容が、帝の胸を刺したとも言えます。道長が危惧したとおり、帝は書物を思わず閉じてしまいます。

 帝からすれば、献上した道長の揶揄と受け取る部分があったでしょう(道長はその責任を取る覚悟から、自ら献上したのですが)。しかし、そこに描かれているのは、「枕草子」が決して描こうとしなかった、自分たちの真実のもう一つの側面です。聡明な帝は、どこかでこの真実に向き合わねばならないことはわかっています。しかし、定子を失った哀しみの強さから、自分ではどうにもできない苦しさを味わっているのです。

 一方で、御簾の外からの臣下たちの諫言では、どう心を尽くしても帝に寄り添えません。ですから、その言葉は、彼に心には届きません。しかし、架空の人物の架空の物語であるならば、どうでしょうか。書き手は架空に人物たちの思いを通して、帝の心に寄り添えるはずです。あるいは、架空の人物の気持ちに思いを馳せる形で、自分の思いを客観的に見られる瞬間もあるかもしれません。また、「物語」は、過去を封じ込めた「枕草子」と違い、先の展開、つまり未来へ開かれています。その可能性が、人々の想像力を膨らませ、楽しませ、慰めとなります。
まひろは、自分が見立てた帝の真意と、自身の物語の力を信じて待っているのでしょう。

 ただ、「源氏物語」が、再び、一条帝の手に取られて、まひろの狙いどおりになっていくには、もう少し時間もかかりそうですし、もうちょっと外部の工夫が必要になってくるように思われます。それが、まひろの出仕とどう絡んでくるのか。それが次回、描かれそうですね。「源氏物語」が誕生した今、いよいよ「紫式部」も誕生することになるのですね。



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