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本雑綱目 56 加藤耕一 「幽霊屋敷」の文化史

今回は加藤耕一著『「幽霊屋敷」の文化史』です。
講談社現代新書、ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4062879910。
NDC分類では523、技術. 工学>西洋の建築. その他の様式の建築に分類しています。

これは乱数メーカーを用いて手元にある約5000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。

★図書分類順索引

1.読前印象
 分類が西洋建築なので、西洋の幽霊屋敷なのだと思う。日本の幽霊屋敷と考えれば安達ケ原とか鬼婆系(妖怪)屋敷はあるけれど、幽霊では見世物のお化け屋敷を除けば、呪怨が始まりのような気すらする。伽椰子ぎ妖怪であると言われても反論はしないけど。だいたいの日本の幽霊は恨みを晴らすことが目的なので、そこに居続けるというのはピンとこない。
 西洋はあまり詳しくないけれど、キリスト教ベースだとそもそも人が死ねば終末まで地下で寝ているはずだ。だから動き出す幽霊は悪魔に魂を売った物とか悪魔に近いイメージがある。だからエクソシストも死霊館も悪魔に繋がるんだよね。
 そういえば西洋って城に騎士やメイドの幽霊がでる幽霊屋敷があって、エクソシストが物理的(イメージ)に戦ったりしてるけど、日本で武士の幽霊ってあまり聞かないな。じめじめしてるから幽霊の賞味期限も短いのかもしれない。

2.目次と前書きチェック
 はじめにを読む。東京ディズニーランドのホーンテッド・マンションは、その幽霊の出現状況からもヨーロッパの歴史が生み出した文化結晶である。この様々な要素が組み合わあった幽霊屋敷という枠組みは、文学的背景なくては理解できない。
 そういえばあれこそが西洋の幽霊屋敷のテンプレートだ。どの要素がそのテンプレートと言えるのかというのは興味深いものの、内容としては幽霊というよりは文学の話のような気がしてきた。
 目次は『ホーンテッド・マンション再訪』、『それはゴシック・ストーリーから始まった』、『そこに不気味な館は建つ』、『ファンタスマゴリーの魅惑』、『蝋人形とペッパーズ・ゴースト』、『幽霊屋敷のアメリカ化』から構成される。なんとなくライトなサブカル感。そうするとこの「幽霊屋敷」感というのは比較最近に形成されたものなんだろうか?
 『それはゴシック・ストーリーから始まった』と『ファンタスマゴリーの魅惑』を読んでみます。

3.中身
『それはゴシック・ストーリーから始まった』について。
 やはりキリスト教文化のなかでは人は死ねば天国か地獄の択一で、『地上を彷徨う』みたいなファジーな行動は想定されていないようだ。しかし現実に(?)幽霊とおもわれる不可思議な事象は起こりうるのだろう。そこで煉獄という観念が用いられた。チョイ悪の人の魂を浄化するために行くのが煉獄である。その状態は魂である。それを幽霊と考えた。でも煉獄って宗派によって考え方が結構違うんだよな。プロテスタントでは否定されるから、この本というか文化の前提はカトリックなのだろう。
 欧州文学に幽霊を登場させたのはシェイクスピアである。ハムレットの父王は昼は煉獄で浄化され夜に人間界に彷徨いでる。その後、めっちゃ幽霊でそうじゃんな雰囲気を描く墓地派が台頭し、18世紀にはその雰囲気(ゴシックな偽廃墟)を人工で作ることが流行った。恐怖はその崇高さと組み合わされることで美と結びつき、ここに廃墟美学が爆誕したのである。そして「ゴシック風の屋敷」という言葉は中世建築という意味から逸脱し、おどろおどろしさと荘厳さを兼ね備えるような、いわゆるホーンテッド・マンションの様式美を生み出す。やば。この精神の動き、結構面白い。
 また、ゴシック(神の権威付のための荘厳建築)がそれまでパリピなルネッサンスからみてダサい扱いだったのがゲーテによってカッコいいじゃんになったところが、芸術の時代感って面白いなと思うとともに、西洋の幽霊が取り付く先が人ではなく場所なのは、その存在が人のような個性を前提としない悪魔的なものだからなのだろうか。 

『ファンタスマゴリーの魅惑』について。
 シェイクスピア然り西欧の演劇では幽霊はあくまで補助だけれど、日本では番町皿屋敷のように幽霊自体が舞台のハイライトになる。そして西洋で幽霊(幻想)が中心として流行ったのがファンタズマゴリーという幻燈。明るいケンケ灯の発明とその移動によって大きさを変化させる幻燈機を用いて幽霊感を作る。19世紀には小型家庭用のものが量産された。
 その走りであるロベールソンは、フランス革命で多数の死者が出た卑近な時期にパリの路地裏や廃墟修道院の地下墓地で興行を行った。
 炎の中にそれっぽいものを投げ込む演出や稲光の演出、グラス・ハーモニカの奇妙な音色などで幽霊に臨場感を持たせるというあたり、きっと立派なショーだったのだろう。
 ロベールソンのファンタズマゴリーの対象はロベスピエールを始め実在の人物が主であり、普段目にできない人物を見るというワイドショー的性格が強かった。一方で英国で行われたフィリップスタルの興行は幽霊といった怪奇に焦点を当てたおどろおどろしいものとなる。近代で最も古い幽霊騒動「コックレーンの幽霊」は、牧師の降霊術で現れたポルターガイストが内縁の夫に砒素で殺されたと告発する。結論としては娘のいたずらだったが、これが幽霊のスタイルに大きく影響し、これ以降イギリスの幽霊はポルターガイストの形で現れ、降霊会が流行した。なんとなく応挙の足のない幽霊がスタンダートになった流れに似ている気はする。
 そしてその後流行はマダム・タッソーの蝋人形に移り変わる。
 この章全般が興行作品の紹介なので、どちらかというとコックレーンの幽霊の方が興味深く、書いてみたくはなったほどなんだが(これ書くとしたら大変そう)、このフィリップスタル式のファンタズマゴリーこそがホーンテッド・マンションの幽霊感だよなと想うとなかなか感慨深い。結局のところ、あの『幽霊屋敷』から感じる情感というものは人の手によって作り上げられたわけだ。当時の人々の驚きは如何程のものなのだろうとも思ったが、そうするとリュミエール兄弟のシネマトグラフ(映画の走り)の衝撃はどれほどのものだったんだろうなあと思う。

 全体的に、現在の幽霊屋敷が持つゴシック感はどのように醸成されたかという内容で、ちょっと目からウロコなのは、この幽霊屋敷イメージというのは具体的なモデルもなく、想像と空想から発展して作り上げられたのだろうという点だ。だから実際の日本人の考える幽霊というものも、西洋人の考える悪魔というものも、多分この幽霊屋敷に直結しない。そうすると、幽霊屋敷の幽霊というのは新しいカテゴリでクリエイトされたモンスターなんだと思う。ブードゥ教から今みたいな死んだゾンビが新しく生まれたみたいに。
 小説に使えるかというと、例えば18世紀のパリやロンドンのサブカル風景を表すには使えそうだとは思う。例えばフランス革命後の雰囲気やシャーロック・ホームズ類似の舞台の作品を書くならスパイスになってよさそうだと思うけれど、この「幽霊屋敷」自体は概念に近しいものがあるので、何かの話に直結したりはしないだろう。

4.結び
 なんとなく、宗教からか西洋では幽霊というものはそもそもが、日本より遥かに存在を疑われているような気がする。金星人がいますよバリに、みたいな。幽霊の存在基盤というと変な感じだが、確かに死後感というものは宗教や文化なくしては生まれないよな。歴史コンテストでコックレーンの幽霊を書きたくなったんだが、これ半分以上法廷闘争で、いやその辺はどんと来い感はあるんだけど、資料の集積が大変そう。
 次回は山口貴久男著『戦後にみる食の文化史』、です。
 ではまた明日! 多分!

ついでに関連宣伝。

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