【記憶より記録】図書館頼み 2309#1
ようやく気候が落ち着いてきたような … って、まだまだかな。
とかく、体調に関して言えば、季節の変わり目が鬼門であることに違いはありません。これからの時節は、寒暖差が激しくなる一方ですから、体の声に気を配りながら過ごしてこうと考えているところです。
それでは、9月の「図書館頼み」を備忘して参りましょう。
1:ヒトラーとUFO
謎と都市伝説の国ドイツ
著者:篠田航一 出版:平凡社
「ジャケ買い」ならぬ「タイトル買い(借り)」してしまった一冊。
何しろ ヒトラー と UFO の組合せである。本書を手に取った途端、数多のムック本に書かれていた確証を得ない噂話の類が頭の中に浮かんできた。
マスを知る著者(某新聞記者)の思惑に引っ掛かってしまった格好にはなってしまったが、読後感の良さがマイナスを相殺してくれたように思う。
本書には、かつてベルリン特派員として活躍していた著者が、ドイツに出自をもつ都市伝説の源(ヒトラー生存説・ナチスと宇宙開発・フリーメイソンとイルミナティー・ハーメルンの笛吹き男・感謝するアラブ人・人狼伝説など)を求めて各地を取材する様子が記されている。
学者による研究報告書の類ではないので、明晰な検証結果を期待するわけにはいかないが、確証が得られていない点を明らかにし、結論を急いでいない姿勢に好感を持った。こうした特徴もまた記者ならではなのかもしれない。
私が一番に注目したのは、ドイツ版「オルレアンの噂」と言われる「感謝するアラブ人」について取材した章だった。
この手の都市伝説は、海外旅行をした人間であれば一度は似たような話を聞いた事があるはずだ。かく言う私も、バム達が集まる安宿やキャンプ場で幾度となく耳にしてきた。(顛末には色々な差異があった。)
前記した通り、著者は断定的な結論を記していない。けれど、取材を通して得た客観性を感じさせる事実から、当時のドイツ国内に通底していた世情を汲み取り、この後味の悪い物語「感謝するアラブ人」の根に潜む社会問題に迫っている点に読後の充実を感じた。
また、本書のコンテンツの中で、とりわけ芳香を放っていたのは、中世ドイツにおける最大の都市伝説「ハーメルンの笛吹き男」の章であろう。
この物語は、グリム童話の一篇として知った人が多いと思う。そう、町中の害獣ネズミを笛ひとつで退治した男の話である。
日本に限ったことではないと思うが、この「ハーメルンの~」もまた児童用に脚色(カット)されており、不穏な余韻が残る顛末について知る児童は殆どいないはずだ。(私も大人になってから知った。)
この世界中の人々が知る奇怪な物語の源泉を探す旅は、実にミステリアスで興味深く、そして著者の考察もまた腑に落ちるものであった。
それにしても … 。
昨今の詐欺事件(ロマンス系・金融商品系・セミナー系・スピリチュアル系・新興宗教系など)の被害実態を鑑みれば、メディアテラシーなる軽薄な造語が、世間という水面に薄っすらと膜を張っただけに過ぎないことが分かろうものだ。
かような社会問題と同様に、本書で取り上げられているような確証を得ない口承文芸(都市伝説・陰謀論・噂話・宗教や精神世界の話)もまた、それが娯楽的であるにせよ、受け手の状態によっては一定の弊害が見込まれる。
故に、多角的な視点を獲得していきながら、冷静に対処・判断できる能力を醸成する必要がある。(距離感を保ちながら楽しむに尽きる。)
では、どうしたらその様な視点や能力が身に付くのか?
正直なところ、万能な方法は知らない。ただ、自身の親子間で励行してきたことがある。それは、かような話題が耳に入ってきた時(主に食事中のTVなど)をひとつの機会として、息子達と共に話し合ってきたことだ。
息子達にとって、それは親父の戯言であり贅言に過ぎなかったかもしれないが、親というよりもむしろ一人の社会人として、より現実的に且つ具体的に伝えることに徹した … と自負する。
とまれ、価値観が多様化し、万事を許容することが是とされる今、特定の家庭の事例をあげつらったとて何の意味もなかろう(苦笑)。
そんな話は別にして、こうした姿勢や習慣が身に付くことで、無用な喧伝・流布を好む徒に加わらずに済むと思う。そしてまた、前出の様な不幸(詐欺事案)から、自分の身を守る能力もまた向上していくはずだ。
2:災害と妖怪 柳田国男と歩く日本の天変地異
著者:畑中章宏 発行:亜紀書房
本書は、去る「図書館頼み」(下リンク)で取り上げた「柳田国男と今和次郎-災害に向き合う民俗学」と同じ著者の手による作品である。
前出の「柳田国男と今和次郎~」が秀逸だったが故に、過度な期待があったのかもしれない。その点は、私が反省すべきであろう。
いずれにしても、既知の事柄が多かったことを差し引いたとて、全体的に「捉えどころがない」という評価に落ち着いてしまった。
果たして、この本は「誰に向けた一冊」であったのか?
本書が、震災直後から雨後の筍のように出版された「震災にかこつけただけの本」だとは思いたくないが、再読を繰り返しても、主題から微妙に乖離している印象が消えることはなかった。
最も遺憾だったのは、「あとがき」に寄せた著者の思い(本書を書くに至った動機や目的)を解するには至らなかったことである。
3:グリム童話と日本昔話
比較民話の世界
著者:高木昌史 発行:三弥井書店
充実の時間を与えてくれた一冊となった。
本書の屋台骨を支える柱は、1800年代初頭に「子供と家庭の童話集」を世に出したグリム兄弟と、日本における民俗学の祖にして口承文芸を学問にまで昇華させた柳田国男である。
主題は、昔話の比較研究。
故に、括弧書きや引用・注釈が多く、娯楽小説のように読む進めることはできないけれど、全体の構成がしっかりしており、且つ好奇心をそそる事柄も多かったので、興味を失うことなく食い下がることができた。
構成は明快だ。
「話型」によって分類されたグリム童話(一部に他の出展あり)の作品と、日本各地に遺る昔話・民話(古事記なども含む)を比較検証していくわけだが、既に研究されてきた分野であることから内容は濃い。
各章ともに、先駆者達(柳田・世界各国の民俗学者・心理学者)による研究の成果や理論が引用され、更に著者自身の推理や考察が述べられているといった格好になっている。
※例えば「第3章・呪的逃走」では、グリム童話の「水の魔女」「めっけ鳥」と、新潟県の民話「三枚の御札」や、古事記の「黄泉の国」が比較対象として挙げられている。取り上げた物語の簡単な紹介にも頁を割いているので、知らない物語であっても問題はない。
よって、私の様な門外漢は、消化不良を起こしそうになるのだが、再読を重ねる度に、解像度が確実に上がっていくことから、読書ならではの快感を堪能した。(実は、今回も継続して借りてきたので、都合6週間も借りることになる。)
然るに、牛歩の如き読書のお陰もあって、新たな気付きを感じることも少なくなかった。
昔話の「話型」に国際基準があることを知らなかった私は、国や民族を越えた共通認識である「話型」という概念を以て昔話・民話を眺めてこなかった。この様な点にも、自身では認識できていない島国根性なるものが影を落としているのかもしれない。
もっとも、柳田国男とて「日本は島国だから特殊の伝承をもつであろうと、実はやや気楽に推量していたのであった。」と述懐しているのだから、門外漢の私が凹む必要はない … としておこう(苦笑)。
昔話・民話における「東西の一致」を見い出し、それを比較検討しようと試みていた柳田国男の背中を想像する … 。
本書は、私の「柳田国男=民俗学の大家」という平板なイメージを、より立体的に起こしてくれた。それはある意味、私自身が、ただならぬ求心力を有する「遠野物語」や、柳田国男に影響を受けた数多の民俗学者が語ってきた柳田像に引っ張られていたことの証でもあろう。
ここに大いなる反省を刻み、今後に活かしていきたいと思う。
※備忘:「第7章の比較民話-研究の歴史」に本書の資料的価値を感じる。