書きたい人が書き続けるためのnoteの書き方
以前にも書いたが、これがぼくのnoteとの向き合い方。書きたいことを、書きたいときに、書きたい場所で、とにかく書いている。
普段は朝に書くことが多い。この記事もいつもくるスターバックスで朝に書いている。旅に行けば行く道中の新幹線の中で書いたり、行った先々で書いたりもする。ときどき居ても立っても居られなくて、家で書くことだってある。
やっぱり書くのは、朝がいい。頭がフレッシュで思い浮かんだことを書いていける。朝の時間は、自分だけの時間だと思える。だれに邪魔されることもない。
場所は今のところカフェがいい感じ。いつものスターバックスに行って、書く。旅先でもスターバックスをよく利用する。行った先々のカフェや温泉の休憩室で書くこともある。やっぱり違う場所に行くと、いつもと違ったことが見えるようになって、書けることも変わってくるような気がする。だからぼくは旅に出る。
ただ書きたいことを書く。本当にそうなんだ。
でもそれだけでは、なんだか味気なく、面白みがない。
そんな人も多いと思う。最初のころはぼくもそうだったからだ。
だから書くとき、書くにあたって、どんなことを意識しているかを書いてみよう。
きっと書きたい人にも届くはずだから。
これからもただ書きたいことを書くために、書いておこう。
下書きにタイトルだけ残しておく
日常で感じたこと、考えたことはたくさんあるはずなのに、いざ書こうとすると書けない。なにを書けばいいかわからない。
そんなふうに思ったことがあるのではないだろうか。 ぼくもよくあったし、今でもたまにある。
あれ、書きたいと思っていたことあったはずなのに忘れてしまった!なんだっけ…なんてこともあったりする。
だからぼくは「下書き」にタイトルをとにかく残すようにした。
タイトルだけでいい。ログとして残しておくとなんだっけと思いだして、書きたいと思っていたときの感情を呼び起こせる。
ああそうだった、そんなことを思っていたんだ。あのとき、あのひとにあったときに、こんなふうに考えたんだった。みたいな感じに。
本当は書きたいと思ったときに書けたほうがいいとぼくも思っている。書きたい熱が冷めてしまうと思い起こして書こうとしても、なかなか書けなくなってしまうこともある。
ただ、一度感じた感情は忘れてしまったとしても、また感じる可能性が高い。だからそのときに、あれ前にもこんなこと感じたなと思い出して下書きを見てみる。そうだった、こんなこと書きたかったんだって思い出して、きっとまた書きたいと思えるはずだ。
ぼくの下書きには、未完成の、タイトルだけの記事が溜まっていっている。ぼくは車の運転中でも、何か書きたいことが思い浮かんだら路肩に止めて、下書きに残している。書きたい人だから、書きたいと思ったとき、その瞬間の感情を大事にしたい。
書きたいと思ったときに、その感情を文字にして保存しておこう。
そしたらまた、書きたいと思ったときに書けるようになるから。
あの頃の”自分”に向けて書く
なかなか書けない人に記事を書きやすくするためにおすすめなのは、”ペルソナ設定”することだ。
のような人に向けて、時短テクニックや時短家電の紹介記事を書いてみよう。みたいな感じで、より具体的にターゲットの条件を絞っていくと記事が書きやすかったりする。
ただそこまで考えて書くのは意外と億劫だ。そんなこと考えずに自分の思ったことを書きたい人だって多い。
それでも独りよがりの文章になることは避けたいはず。なにがいいたいのかわからなくなってしまったり、誰に伝わるのかわからないままに書いていくと、本当に誰にも届かない記事になってしまったりする。
だから、あの頃の自分に向けて書いてみよう。
就職活動で悩んでいた頃の自分。転職したいなと思っていたときの自分。恋人と出会って幸せだった頃の自分。別れてしまって立ち直れなくなってしまっていた頃の自分。悩んで、泣いて、いろんなことに迷っていた自分。昨日の自分だっていい。
あのときなにに悩んで、どんなことを思っていたかな。あの日の自分に声をかけるとしたらどんな言葉を渡したくなるかな。
そんなふうに考えてみよう。あのころ自分自身が苦しんでいたように、いま似たような感情を感じてつらい思いをしてる人はきっといるはずだから。
いつだってあの頃の自分に寄り添ってみよう。そうしたら同じような人に届く。あの頃の自分がいるって気づいて寄り添って言葉にできる。
すこしだけ前に進めたんだ、成長できたんだって、自分自身も書くことで実感できるから。
具体例として”自分の体験”を入れる
わかりやすかったり、伝わる文章はどういうものだろうか。
ぼくは、その情景が考えてしまう文章だと思う。
これは自分のことを言っているんじゃないだろうか。こんな感情を自分もどこかで感じたことがある。
そんなふうに自分の気持ちや思い出を乗せられる文章が、人の心を動かす。
美しいとか、綺麗とか、素敵とか。たしかに綺麗な言葉たちだ。
でも抽象的な表現だけではいまいち響かない。リアリティが感じられないから。
自分の考えている抽象的なことしか書かない文章はつまらない。気持ちを乗せることができない。人はいつだって物語の主人公に自分を重ねるし、自分の経験を思い起こす。
だからどんな文章を書くにしたって、自分の経験を具体例として入れてみるといい。
例えば今回のこの記事だって、 ぼくが書けなかった経験から来ている。書けなくて書かない。それはすごくもどかしかった。上手に書けている人を羨ましく思っていた。noteだって以前は全然続かなくって何度もやめていた。悔しかった。
でもとにかくちょっとでもいいから、ただ書きたいと思ったことを書いていった。書くしかないと思ったから。最初からうまく書ける人なんて絶対に居ないと思ったから。仮にいたとして、自分には関係ない。
やっぱり、書きたいから書くんだ。
下書きに残して、あの頃の自分に寄り添って、自分の具体例なんかも入れながら書いていったら、すこしずつ書けるようになっていった。
そうしたら、気づいたときにはあなただけにしか書けない文章になる。
より書いた記事や文章に、「これ自分のことだ」って親近感を感じてもらうことができる。
あなたの経験が、誰かの心をきっと動かす。そんなふうに書いてみれたらいい。
どんなに下手くそでも書いて、出す。
ただ書きたいことを、書けばいい。
本当にそれでいいと思うし、これからもぼくはそうやって書いていく。
ただ書きたいように書けるようになるには、時間がかかる。もっと上手に書けるようになりたい、と今でも毎日思って書いている。
だからどんな文章だっていいんだ。とにかく書いて、書いて、書いて。拙くったって、下手くそだって、ちょっと意味がわからなくたって、伝わらなくたって、だれかの心なんか動かせなくたって。書いていけばいいんだ。書いて、自分の中から出たものを出していけばそれでいいんだ。
そうすることでしか書き続けることはできない。
いろんなことから感じたこと、考えたことが、自分のなかにたまり続けていったら、いつかくるしくなってしまう。
書きたい人はたまったものを書いて、出していけばいい。そうしたらまた
いろんなものを感じられるし、もっとたくさん考えていけるようになるし、また書けるようなっていく。
ぼくは思うんだ。文章には終わりがないから、おもしろい。正解もないから、ずっと追い求めていける。
まるでずっと好きでいてくれるのに、手に入ることのない恋人みたいだ。だからずっと好きでいられる。ずっと好きでいたいと思う。
だからまずは、書く自分を好きになろう。
すこしでも書くことが好きになれるように。書きたい人のために書いていたい。
それがぼくの仕事で。それがぼくの愛したいものだから。
書きたいあなたへ
書く物書きより