マガジンのカバー画像

表メッセージ

151
もう裏だなんて思わない。堂々と、幸せのニュースをお伝えします。日曜日の礼拝ごとに、一週間の生きる力を、人生を変える力を、神の言葉がもっていると確信していますから、それを指し示す取…
運営しているクリエイター

#主の祈り

求めなさい (ルカ11:1-13)

求めなさい (ルカ11:1-13)

◆ハイデルベルク信仰問答

ハイデルベルク信仰問答は、カルヴァン派の信仰問答です。いわゆる宗教改革のしばらく後、1563年に、ドイツのハイデルベルクという町で出版された、信仰問答です。問答とは限りませんが、多くは問答形式で、キリスト教の教理、つまり何をどう信じるのか、ということを学ぶためにつくられた入門教育のための書です。「カテキズム」という言葉の方が、ピンとくる人が多いかもしれません。
 
ハイ

もっとみる
我らを試みに遭わせず悪より救いいだしたまえ (マタイ6:13, ルカ11:4)

我らを試みに遭わせず悪より救いいだしたまえ (マタイ6:13, ルカ11:4)

◆国と力と栄え

私たちを試みに遭わせず
悪からお救いください。(マタイ6:13)
 
今日はいよいよ「主の祈り」の最終回です。ところが、教会で礼拝の中で称える伝統的な「主の祈り」は、ここで終わりではありません。付け加えられた締め括りがあります。
 
 国と力と栄えとは
 限りなく汝のものなればなり
 
これは福音書の本文にはありません。ではどこでこの締め括りが付いたのか、というと、その文は、新約

もっとみる
我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく我らの罪をも赦したまえ (マタイ6:12, ルカ11:4)

我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく我らの罪をも赦したまえ (マタイ6:12, ルカ11:4)

◆さばきとゆるし

 私たちの負い目をお赦しください
 私たちも自分に負い目のある人を
 赦しましたように。(マタイ6:12)
 
「さあ、主の祈りです」と礼拝のプログラムで司会者に促され、皆一斉に同じ祈りの言葉を口にします。もう言い慣れてしまって、何の感動も、何の思い入れもなく、唱えているだけかもしれません。
 
私もその「スタイル」は分かります。でも、やっぱり、引っかかってほしいと思います。と

もっとみる
我らの日用の糧をきょうも与えたまえ (マタイ6:11, ルカ11:3)

我らの日用の糧をきょうも与えたまえ (マタイ6:11, ルカ11:3)

◆主の祈りの要

「主の祈り」と呼ばれるものは、ルカ伝にもありますが、教会ではおもに長いマタイ伝を軸に受け止めています。さらに、そこから教会で伝統的に整えられた形式の「主の祈り」があります。これを念頭に置きながら、私たちは「主の祈り」を少しずつ味わっています。
 
私たちに日ごとの糧を今日お与えください。(マタイ6:11)
 
これは、伝統的な「主の祈り」の中央部に当たると言えます。ユダヤの文学形

もっとみる
みこころの天に成るごとく地にも成させたまえ (マタイ6:10)

みこころの天に成るごとく地にも成させたまえ (マタイ6:10)

◆マタイ伝を基準に

 御心が行われますように
 天におけるように地の上にも。(マタイ6:10)
 
祈りの内容としては三つ目となります。ここで初めて、マタイ独自の祈りが現れます。ルカには、該当する言葉が全くないのです。
 
福音書は、時間差を置いて書かれた、と研究者は見ています。主の祈りは、ルカよりもマタイのほうが明らかに長くなっています。普通、最初にルカの福音書ができて、その後にマタイができた

もっとみる
み国を来たらせたまえ (マタイ6:10, ルカ11:2)

み国を来たらせたまえ (マタイ6:10, ルカ11:2)

◆国家ではなく

御国が来ますように。(マタイ6:10)
 
「国家」は幻想だ、と言う人がいます。「国家」というのは、どこにも存在していないのではないか、というのです。
 
古代ギリシアには、「都市国家」と呼ばれるものがありました。比較的小さな単位です。従って、アテネとスパルタがライバル同士であった、などという話も有名です。実にドイツでは、13世紀から19世紀まで、「ドイツ領邦国家」と呼ばれる、小

もっとみる
願わくは,み名をあがめさせたまえ (マタイ6:9, ルカ11:2)

願わくは,み名をあがめさせたまえ (マタイ6:9, ルカ11:2)

◆有て在る者

死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の箇所で、神がモーセにどのように言われたか、読んだことがないのか。『私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。(マルコ12:26)
 
この「モーセの『柴』の箇所」とは、出エジプト記の3章の出来事を言います。イエスの時代、このようにして、聖書の特定の箇所については示すものだったわけですが、これで聖書を知る人に

もっとみる
天にましますわれらの父よ (マタイ6:9, ルカ11:2)

天にましますわれらの父よ (マタイ6:9, ルカ11:2)

◆呼びかけ

「主の祈り」を、少しずつ受け止めてゆくことにしています。今日はその初めで、最初の行だけに注目します。
 
天におられる私たちの父よ(マタイ6:9)
 
父よ (ルカ11:2)
 
ルカ伝はとてもシンプルです。この一言に、マタイ伝の言いたかったことも凝縮されているのでしょうか。いまはマタイ伝のほうを検討することにします。
 
日本語だとこうなっていますが、原語は語の並ぶ順序が異なります

もっとみる
主「の」祈り (マタイ6:5-9, ルカ11:1)

主「の」祈り (マタイ6:5-9, ルカ11:1)

◆主の祈り

イエスが直々に「祈り」について教えてくれたことがあります。これを教会では「主の祈り」と呼んでいます。来週から、その祈りの言葉の一つひとつを、ゆっくりと噛みしめて聴きたいと願います。今日は、「主の祈り」全般について、それを受け取るスタンスを確認してみようと考えています。
 
「主の祈り」は、マタイ伝6章とルカ伝11章にあります。イエスが教えた祈りであり、同じもののようにも見えますが、や

もっとみる