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『面白くて眠れなくなる江戸思想』 橋爪大三郎

     

ひとり遅れの読書みち     第49号


     若い人むけに書かれた江戸思想についての入門書だ。江戸の思想家12人を選んで、その人の生まれから考え方や生き方をわかりやすく解説する。その人たちがあたかも今近くに生きて活動しているかのように、身近な存在として描いており、共感を呼びそうだ。
     例えば、徳川光圀については、「ツッパリ」で「ヤンキー」だったと表現。若いときに「グレて手がつけられない」「決まったレールの上を歩かされる人生なんか、真っぴらごめん」と反抗心があった人物と紹介する。
    それが司馬遷の『史記』列伝のうち伯夷叔斉の記事を読んで衝撃を受け「回心」して、学問に励むことになったと記す。その上で、光圀が儒学を政治の根本にすえ、歴史を貫く原則も儒学から考えようとして『大日本史』の編さんを始めたと、重要なポイントを忘れない。
     文学についても目配りして、光圀は万葉集について契沖に依頼し『万葉代匠記』を出版させ、国学の誕生する土台となったと実績を挙げる。さらに尊皇主義で排外主義(攘夷)の水戸学を生み、明治維新は光圀から始まったと言ってもよいだろうとまとめている。

     林羅山については、朱子学を官学の地位に高め、江戸幕府の土台を築いたと重要視する。羅山は京都の米屋の息子として生まれた。「子どものころから、とても頭がよかった」ので、学問で身を立てることを期待され建仁寺に入れられた。しかし「僧侶になるのは嫌だ」と3年で寺を出てしまう。儒学を学んで朱子の『論語集注』という『論語』の注について書かれた書物の公開講義を始めた。23歳のときに徳川家康に拝謁し、幕府のために生涯働くことになる。
     羅山は「儒学の枠組」を作ったと注目する。儒学の中国語のテクストに訓点をつけた。返り点、送り仮名だ。これによって多くの人の手に届くものになった。漢文を日本語に読み下すことができたからだ。フランスの「百科全書派」に匹敵するとも記す。

     中江藤樹については、学問好きで脱藩し琵琶湖のほとりに住んで「生き方としての儒学」を極めたと紹介。熊沢蕃山は、儒学を政治に活かして民衆を救おうとしたが、敵は多く、幕府から蟄居を命じられたと語る。

     伊藤仁斎は、京都に生まれた町人の儒者。30歳のころ「3年間も自室に引きこもっていた」ことを明かす。朱子学を「喰やぶる」画期的な「古義学」を思いついたとする。古典の原点に戻ろうと、漢文を訓点のないまま、つまり日本語として読むことをしないで研究する。朱子学を絶対視することを止め、また『大学』を孔子の作ではない、後代の儒者たちが作ったことを証明したと指摘する。

     荻生徂徠は「田舎出の遅れて来た青年」で、富永仲基は「病弱な醤油屋のオタク青年」などと紹介する。その他賀茂真淵、本居宣長、上田秋成などを取りあげる。
     著者は「志があっても不遇な、健気な若者たち」がいたから、今の時代の「土台」が築かれたと強調する。江戸思想家たちの生き方は、今の「若い人びとの日常と響きあう」だろうと述べ、本書を「踏み台」にしてさらに江戸思想を学んでほしいと望みをかける。

(メモ)
面白くて眠れなくなる江戸思想
橋爪大三郎
発行 PHP
2024年10月10日第1版第1刷発行

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