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「東洋思想」を満遍なく学ぶ理由(2021年度末版)

こんばんは🌙

久しぶりにnote書こうと思ったらエディタが新しくなったんですね!
せっかくなので新しいエディタで書いてみました☺

このnoteで一貫して書いていますが、私は「東洋思想」なるものが好きです。西洋の思想について書かれた本も読みますが、やっぱ自分には東洋思想が馴染む気がします。

東洋思想」って何?という方のために簡単に説明しておきますと、東洋(インド以東)で生まれた思想・哲学全般を指しますが、とくに日本で独自の進化・発展を遂げたものを指します。

具体的には、

「仏教、儒教、道教(老荘)、禅、神道」

の5つです。

東洋思想を学ぶようになってから丁度5年経ちました。まだまだ知らないことだらけですが、この5つの思想・哲学が私たち日本人を日本人たらしめる根源であって、もはや「東洋思想」っていうか「ザ・日本思想」と言って過言ではないほど日本の精神基盤として深く深く根を張っていることが徐々に理解できてきました。

で、昨年末にこんな記事をpostしていました👇

約1年前の私が東洋思想に対する理解と想いを素直にアウトプットしたものです。

おかげさまで今でもたまーにスキを押してもらったりしてます。ありがたや〜💘

この記事の主旨は

世間的には東洋思想=仏教、禅」と認識されているのが勿体なさすぎ!

という軽い気持ちで書いたんですが、今あらためて記事を見返すと「もうちょっと表現を工夫しとけばよかった…😅」と思うところがあります。

だって、

人が何をどのように好きになろうが、その人の自由で別によくね?🤨
対象の全部を好きになるべきとか、それ価値観の押し付けじゃね?🤨
仏教や禅だけで十分という人に儒教や神道を学べとか、余計なお世話だよね🤨

とも思うからです。

あれから学びを継続した今の自分ならこの点についてどう表現できるか、改めて考えてみました。

結果、こんな感じです👇

東洋思想を学ぶなら自分が何者なのか知りたいのなら、仏教と禅以外も学ぶといいよ!」

・・・押し付け感はちょっとマイルドになった…かな?😅

私が東洋思想(仏教、儒教、道教(老荘)、禅、神道)を学べば学ぶほど実感することがあります。

それは

「全体」で捉えないと掴めなくない?

というものです。

何が掴めないのかっていうと「自分の根源」です。

東洋人とはいったい何者なのか」「日本とはいったい何なのか」。

最近わかってきたことなのですが、どうも私は「自分を自分たらしめている正体(アイデンティティ)」への興味が強く「いまの自分を形作っている根源っていったい何だろう?」というのが知りたい欲があります。

例えば日本人って、礼儀正しくて、真面目で、勤勉で、清潔で、でもちょっと陰湿なところがあったり、自己主張が弱かったり、流されやすかったり、創造性があったりなかったり、伝統を大事にしているところがあったり、伝統を粗末にしているところがあったり、、、

海外からはワビサビ、ニンジャ、サムライ、ハラキリ、フジヤマ、ブシドーと色んなラベル貼られたり。同じ東洋人の中国人や韓国人と日本人は何が違うの?とか。東洋人と西洋人は何がどう違うの?とか。

要するに「東洋人・日本人であるとはどういうことか」が知りたいんだと思います。

なんでそんなことを知りたいのかというと、多分「自らのアイデンティティの根源を理解することが、満足のいく人生を送ることに直結している」と考えているからだと思います。ここはいつかちゃんと言語化したいとこですが。

そんな思惑?目的?を持ちながら東洋思想を学んでいるので

これ、全体で捉えないと分からなくない?」

と感じているんだと思います。

決して「仏教や禅にはアイデンティティがない」と言っているのではありません。仏教や禅も単体で十分すぎるほどのアイデンティティを提供してますし実際に今でもそれ単体で国を支えています。東南アジアの国々がそうですよね。

仏教や禅の考え方は私も大好きです。救われます。でも、それだけだと東洋人・日本人としての自分のアイデンティティを理解するにはパーツが足りないんじゃないかと思ってしまいます。

具体的には・・・例えば仏教だと人が死んだら「魂は輪廻転生する」と考えるので、遺体はただの肉塊でしかありません。骨も残らず燃やします。でも私たちは遺体に特別な感情をよせますよね。仏式のお葬式でも遺体に語り掛けたり、共に時間を過ごしたり、火葬後も祖先が祀られているお墓にお骨を入れることに意味を見出します。その精神性ってどこから来るの?

大木や岩石、米一粒の中に神を見出す感性や、仏壇と神棚が一つの家屋の中にあっても平気な精神性って一体何なの?

道元や親鸞のような独自の精神性をもった仏教がインドや中国でなく日本に生まれた根源ってどこにあるの?20代~30代の若者達の「人間力」で近代化を成し遂げた幕末日本の精神性の根源って何?などなど。

現代に生きる私たちの思考、価値観、慣習、文化、ライフスタイル、あらゆる場所に仏教、儒教、道教(老荘)、禅、神道の根が張り巡らされています。そういうもので自分が形づくられているのだとしたら、その根源を辿りたくなります。

そもそも中国では仏教も儒教も老荘も互いに交わり合って発展してきたし、日本には神仏習合があるし、禅僧と儒者のコンバートについて書かれた「禅海一瀾」なんて本もあります(全然読み進まないけど😅)。

個人的にはもっと儒教にスポットライトが当たってほしい…。渋沢栄一の大河で論語と算盤が注目されたのに、もう終わってしまう。

まとめ

一年前に投稿した「東洋思想は満遍なく学ぶべき」という主張は言葉足らずで

意図としては
「東洋思想を通じて自分が何者なのかを知りたいなら、満遍なく学ぶのがよいと思う」

という主張でした。

言い換えると

もし
「自分が日本人であるとはどういうことか」
「自分が東洋人であるとはどういうことか」
「自分が人間であるとはどういうことか」

を学びたかったら、東洋思想は満遍なく学ぶのがオススメですよ!!

まぁでも、やっぱ「余計なお世話」ですね。

おしまい。

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