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全身麻酔から目が覚めたらしあわせすぎて文句言っていた話
みなさんは、手術の経験はありますでしょうか?
私は1度だけ、5,6年前に、目を手術しました。
部分麻酔でもできなくはなかったけど、間違いのない全身麻酔で受けました。
「深〜く吸ってください?」
言われるがままに、2呼吸ぐらいしたでしょうか?その後の記憶はもうありません。
(幸いにも、ビビっていた、注射タイプの麻酔ではありませんでした)
本題は、ここから、です。
手術を終えた私の麻酔が切れるのを、医療者は待っていたのだと思います。
つまり、私の記憶は、執刀医たちが談笑している(車の乗り換えについて、が話題でしたよ)声が聞こえるところから再開しました。
私が目を開けると、それに気がついた人たちが「わかりますか?」と声かけしてくれました。
重要なのはここから!。
①麻酔切れたてなので、私は呂律がまわっていませんでした。
②そのことにびっくりしながら、私はキレていました。
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つまり、私の麻酔後の第一声は、
「気持ちよかったのに、もう少し寝させてよ!!」
でした。
呂律がまわっていなかったので、もう一度「えっ?なんて言った?」と聞き返されましたが。
とにかく、全身麻酔中〜後は、今でもそのときを再現できるほど記憶に残っている、私の3つの指に入る、幸福な時間でした。
比べるなら、
誕生日を迎えてプレゼントをもらい、祝ってもらったときよりも。
海外旅行に連れていってもらい、現地で英語が通じた喜びよりも。
断然、手術後の方がしあわせだった、なんなら今でもあの幸福感を再び味わいたいと願うほどです。
でもなんで、5,6年前の経験の話を今ごろしているのか?
昨日、とある1冊の本と出会いました。
その本がこちらです↓↓
まだ3分の1も読めていないけれど、良書に出会えた、そう思っています。
ネタバレは極力避けます。が、私が孤独に感じていた内容をつらつらと筆者は書いています。
話をわかりやすくするために、ひとつみなさんに質問します。
あなたは、お風呂に入りますよね?
お風呂に入っている間、何か考え事したりしていませんか???
私は、考え事をよくする方です。
ああでもない、こうでもない。と。
声には出していませんよ?
でも明らかに1人で自分とおしゃべりしています。
この、「ああでもない、こうでもない。」を、本書では「チャッター(頭の中でおしゃべりする人)」と表現します。
「ああでもない、こうでもない。」(「チャッター」)は、ときにはネガティブにはたらくこともあります。
ポジティブにはたらくときは、しばしば「内省」できていると表現できると思います。
とにかく、ポジティブだろうがネガティブだろうが、「ああでもない、こうでもない。」は人間誰しもが行っている。
↑これを知れて、私だけじゃなかったんだ!とホッとしたのがひとつ。
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もうひとつが、そう、手術の経験の話につながります。(やっと汗)
「ああでもない、こうでもない。」は、普段1日だけでもめちゃくちゃな量になるんですって!
だから、特に考え込んでしまうタイプの私はもちろん1日中起きている間は止むことがなく、疲れてしまいます。
ましてや、目の手術の年は、進路を決めなければならない時期でもありましたので、悩んでおりました。
それが!!!です。
全身麻酔によって意識がない状態になりました。
強制的に、「ああでもない、こうでもない。」が止まりました。
そのこと(感覚・体験)は、私にとって、ものすごーく、心地よかったのです。
なんていうか、ガヤガヤうるさくない。って感じ??疲れない。というか、快適でした。
この本を読みはじめて、あのときの全身麻酔中〜後の快感を思い出しました。
こんなマニアックな快感、とにかく発信しない限り共有できないよなー?と思いました。
こんな快感、あり得る???と未だ半信半疑です。
そこで、
全身麻酔での手術の経験がある方、
「ああでもない、こうでもない。」が止まった経験のある方、
こういうちょっと不思議なお話に興味のある方、
お気軽に反応いただけると嬉しいです☺️
よろしくお願いいたします🙇