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「分からない」を乗り越えるために 【ペットボトル型エレンタールの廃止から考える難病患者の声を聴くこと】


金の切れ目が、命の切れ目





病気を抱える人にとって、

病院の治療費が払えないことは

死活問題です。






生計を維持することが

「生きる」ことになる。


病気を抱える人にとって、

お金は重要だ。




だからこそ。


病気を抱えながら、

「働く」ことも必要になってくる。






僕は、社会保険労務士という仕事は、

「働き方」をデザインする仕事

だと思っています。



病気を抱えていても

「働きやすい」環境を整える。



誰かの働きやすさは、

すべての人の働きやすさにつながるから。


それが自分の仕事じゃないかなって。



以前、僕は難病患者の窮状を伝えるため、クローン病・潰瘍性大腸炎の治療に使われる栄養剤の携帯用エレンタールが廃止されたことを例示に挙げて、ブログを書きました。


要点としては。

・患者の声が置き去りになっている
・防災対策をまったく考えていない
・働きやすさを阻害する

薬の一方的な仕様変更が患者に与える影響を

この3つを中心に想いを綴りました。




先日、2024年12月末日に

最後のペットボトル型のエレンタールが

消費期限を迎えました。



携帯用の栄養剤は外出するときにだけに使用して数を温存し、夏頃から通常の生活はシェイカータイプの栄養剤を使っていたため、なんとか12月まで携帯用の栄養剤を使うことができました。



そして、今月からついに、

携帯用のエレンタールがない生活に

なりました。





感想としては、

働きやすさを大きく阻害し、

やはり不便であるということです。




日常生活はもとより、

職業生活の質を

大幅に下げるものだと思いました。



実際に自分が体験してみた不自由さ、困難さを通して、新たに「難病患者の置かれている現状」について、問題と気付いたことがあります。




今回はその新たな気付きを中心に、改めて認識した難病の問題をひとりでも多くの人に知ってもらいたいとブログ記事にしました。




僭越ながら、

僕自身が難病の

クローン病の患者であるため

炎症性腸疾患の具体例を

交えながらですが、

難病患者全体の困難性も

綴っていきたいと思います。




お付き合いください。




社会情勢の変化に対応できているのか?


2024年12月。アメリカ大統領選挙で共和党候補ドナルド・トランプ氏が現職副大統領の民主党候補カマラ・ハリス氏を破って第47代大統領に当選しました。再選に失敗した元職大統領の返り咲きは132年ぶりらしいです。



このようなムーブメントを起こした要因はなにか?



僕は「過度のSDGsに対する嫌悪感」だったんじゃないかと思います。




ポリティカルコレクトネスで些末なことまで取り締まる過度の正義感がアメリカで保守とリベラルの分断の深化を招いた結果だと分析しています。






潔癖でありすぎるために

柔軟性を欠いたのではないか、と。





アメリカでは意識の高すぎる人たちに皮肉を込めて「ウォークネス」と呼んでいるそうですね。



こういった言葉が市民に流行することは、アメリカ社会で理想主義者への反発を招いている証左なのではないでしょうか。


アメリカを代表する企業GAFAの一角であるメタ社もファクトチェックを廃止するとニュースになりました。



一方的な正義感を押しつけることが時代の潮流にそぐわなくなっているんだと思います。

トランプ大統領の返り咲きで過度なSDGSは見直されはじめています。






僕の個人的意見も、現代の利便性を手放してまで、地球環境保護なんてするもんじゃないと思っています。





多様性を大事にするとか、他者を認め合うとか、「SDGs」の理念や方向性は正しいと思います。





しかし、本来。

「協力」を求めるものであったはずが、

いつしか、それが「強制」に変わり、

現在では、理念に合わない者を排除する

「制裁」になってしまいました。





「寛容性」を掲げながら、

自分たちの価値観と違う者に

寛容でない立ち居ふるまいを行うから

反発を招いたのではないでしょうか。




日本でも過度な正義感を押し付ける

「○○警察」なんて言葉が

ありますよね。




社会が、息苦しく感じませんか?





クローン病・潰瘍性大腸炎の治療に使われる栄養剤であるペットボトル型「エレンタール」の廃止の理由は、「地球環境保護」のためでした。


二酸化炭素排出量の削減のため、プラスチックを減らす取り組みらしいです。




だけど。




「環境保護」という過度の正義感を

難病患者に押し付けていませんか?




難病患者の生命を賭してまで、

やることですか?





身近なもので例えると

わかりやすいと思います。



例えば、紙ストロー。



僕は濡れてふにゃふにゃするから、

大嫌いです。

地上から撲滅してほしいくらいです。



ファーストフード店やカフェで

飲み物と一緒に出され。

紙ストローで飲み物を飲みます。



美味しいですか?




「美味しさ」を犠牲にしてまで、

環境保護はやることですか?



僕はプラスチックストローのほうが

好きでした。


答えは明確。美味しいから。



僕はこのような過度の正義感は、「暮らしやすさ」「働きやすさ」に逆行すると考えます。



ペットボトル型のエレンタールが廃止されると、どうなるか?



リユース型のボトルが配られたのですが、

毎回洗わなければなりません。



炎症性腸疾患の患者は、多い人だと、

1日6回の栄養剤の摂取が必要になります。


容器は1つしかないので、

1日6回洗う必要性があるわけです。



今までは飲んだ後、捨てるだけでした。



冬場はお湯が使える環境に

全ての人があるわけではないですから、

冷たい水で洗わなければならないのです。


僕もこの作業をやりました。



手は真っ赤になるし、

荒れてヒリヒリして痛いです。



まるで、NHK連続テレビ小説

「おしん」の世界みたい。

「おっどお、おっかあ、

 捨てないでくんろー!」って。


雪の中で捨てられる子のように、

誰かの足下にしがみついて、

泣き叫んでいるかのような

気持ちになる。



世の中にペットボトルは溢れているのに、

社会から見捨てられているようで、

本当にみじめです。



難病患者の口減らしが目的ですか?

って、言いたくもなります。




このような「働きやすさ」に

逆行する流れは、

難病患者の

病気と向き合うモチベーションを

大きく下げるものです。




社会保険労務士の業務の中に

「紛争解決手続代理業務」

というものがあります。


この業務を行うには、国家試験と3ヵ月の研修が必要なのですが、その集合研修はTKP市ヶ谷カンファレンスセンターで行われました。


僕も先日、参加しました。


TKP市ヶ谷カンファレンスセンターは、

ビル一棟が貸会議室のイベント会場で、

都内最大級の施設だと思います。


その充実した都内最大級の施設でも、

エレンタールの容器を洗う場所は

ありませんでした。


職業団体は合理的配慮を

実施してくれているんですが、

それ以上に、

社会が受け入れる環境になっていない

と思います。



難病患者にこういった現実があるということが知られていないんじゃないでしょうか?



また、製薬会社も薬の仕様変更に当たって、難病患者が社会に受け入れられる努力をしていないんじゃないんでしょうか?


後は患者が勝手にやっとけと

知らんぷり。




栄養剤は食事のようなもの。

1日何度も栄養剤を摂取する人は、

洗った後に、

臭いトイレで

栄養剤を作らなくてはなりません。


ほとんど、便所飯。


授乳室みたいなところが

使えればいいのだけど、

社会の理解はそこまで進んでいません。



難病患者を社会が受け入れる環境になっていない状況で、製薬会社が携帯用のエレンタールの廃止を強行したことは、愚策だと思います。




難病と関係のない「環境保護」なんてものより、自分たちの製品を使用する患者たちが社会に受け入れられる理解増進の努力や啓蒙をすべきじゃないでしょうか?





今年になって、携帯用のエレンタールが廃止されたことにより、僕自身も東京都社会保険労務士会の研修を受けることにためらいを覚えることが多くなっています。



コロナ禍が終わって、

弱者に優しくないと思うのだけれど、

東京都社会保険労務士会の研修も

オンラインは廃止されつつあります。




例えば、

都内の研修の終了時間が20:30だと、

こちらの多摩地方に

帰ってくるのは22:00過ぎ。




ぶっちゃけ、

その時間から脂質制限食の食材を

探して買い物して、

エレンタールを作って洗ってするのは、

かなりしんどいんだよね。



研修を取ることそのものに

迷いが出てくる。



僕はもうフリーランスで、

サラリーマンじゃないから、

自由な時間もあるし、

仕事も選べるんだけど。

それでも、製薬会社の判断1つで、

「学ぶ機会」が奪われていると感じます。




一般に働く人であったら、

もっと厳しい状況かなと

推測はできます。


「働く機会」さえ奪われる
ことに

なってんじゃないかと思う。






エレンタールの薬剤としての

設計デザインにおいて、

ユーザーインターフェースが

含まれていないと思います。




難病患者が社会進出することを想定していない




難病患者はどうせ大した仕事をしないだろうとの偏見があるのではないでしょうか。



環境保護という正義の言葉に包んだ

コストカット、

製造ラインの節約だけなのではないか?

自分たちだけの都合ではないか?

と疑いの目も向けたくなります。



他の疾患、

糖尿病などでも「環境保護」の名の下に、

自己注射の仕様が

変わったなどという話を聞きます。



病気で苦しんでいる患者の利便性を

捨ててまで行われる

過度の「環境保護」は、

是正されていくべきだろうと

僕は考えています。




世界の中心であるアメリカの大統領が変わる現在、時代に合わせた変化も必要ではないでしょうか。




患者の声を本当に聴いたのか?


ペットボトル型エレンタールの廃止で

僕が1番の疑問に思うのはこのことです。




難病患者の声を聴いたのか?




製薬会社の決定プロセスは妥当なものか、

ぜひ、
決定までの経過の詳細が知りたいです。



いつ、どこで、
誰に意見を聞いたのか?

なぜ、
このような判断に至ったのか?

ペットボトルを廃止して得られる利益は何か?




例えば、一般企業で、

就業規則を

労働者側に不利益に変更するのであれば、

企業側に

変更が認められる合理性の判断基準として、

次のような事柄が求められます。

・従業員の受ける不利益の程度
・労働条件を変更する必要性
・変更後の就業規則の内容の相当性
・労働組合などとの交渉の状況

変更が有効であるかどうかは、

この基準と照らし合わせて

判断されるものです。


さらに、

不利益変更が必要な理由は、

従業員に個別に説明したほうがいい

とされています。



労働者に対して企業側が、

一方的な不利益変更をすることに

規制があることを鑑みれば。


患者に対して製薬会社は、

一方的な不利益変更をすることに、

道義的な説明責任が発生するのでは

ないでしょうか?




難病患者、みんながみんな。

自宅療養しているわけでない。

理解のある職場にいるわけでもない。


置かれている環境は人それぞれだ。


恵まれた環境にある人もいれば、

苦しい環境にある人もいる。


どちらかのみを基準にしては

誤った判断も有り得る。



難病患者はまともな仕事に就かない

という前提があるのではないか?



その偏見は、

難病患者の未来を奪うものだ。



僕は、仕事上、エレンタールの容器を洗える労働環境でないときが多いので、エレンタールを「飲まない」という選択肢も入ってくる。


正しく言えば、飲みたくても「飲めない」。



働いてお金を稼がないと生きていけないから、生計を維持するという背に腹はかえられない。


相手先に迷惑をかけてまで、飲めるものではないから。




そうなると。



余った薬は捨てざるを得ないと思います。

今、

社会保障費を圧迫している

懸念事項の1つである

「残薬」の問題にも重なってきます。





薬を余らせて、廃棄することが、

本当にエコなのか?





患者側だけの問題ではないと思います。




利用する患者の使い勝手を考えて、

製薬会社は薬を設計しているのか?


患者の声を事前に集めていれば、

このような事態は

避けられたのではないかと思います。



製薬会社の今回の判断は、

困っている難病患者を後ろから蹴りつけて

崖の上から冷たい海に突き落とす行為です。





5月19日に観光名所を紫にライトアップすることに無駄なお金を使うんだったら、ペットボトル型のエレンタールを再生産させることやエレンタール使用の理解を増進させることに予算を使って欲しい。




どこかが紫に光ったって、

働きやすくはなりません。



X(Twitter)を使うようになってから

気付いたのですが、

炎症性腸疾患は就職前の学生も多い。



エレンタールを使うのは大人だけじゃない。



子供だっている。



多感な小中高生は、

エレンタールを飲むために昼休みが犠牲になる。



エレンタールを洗うために、

仲間の輪に入れないかも知れない。




エレンタールのせいで、

仲間外れ。


いじめの対象になる可能性だって有り得る。




小さな感情のプラスを

ミルフィーユのように重ね合わせて、

断層にして、出来上がったものが信頼だ。



逆に、小さな感情のマイナスを

重ねていけば信頼を失います。



頭では正しいとわかっていても、

感情がついていかないのが人間だ。




「がんばれ」で病気が治ったら、

病院はいらない。


「ごめんなさい」で済むんなら、

警察はいらない。


「差別しないで」の言葉だけで

難病患者・障害者への理解は

進むのでしょうか?





僕はエレンタールの製薬会社が、

患者の声を聴かず、現実を見ず、

綺麗事を並べているように思います。


ペットボトル型の

エレンタールの廃止が

会議室だけで

決められていないことを願います。



代替措置が十分でない



ペットボトル型のエレンタール廃止に伴い、

難病患者には

リユースボトルが配給されました。




液体を入れるので

1日何回も飲む人は

容器がすぐに劣化する




僕も1日3回ほど使うのですが、

6ヵ月ほど経って、

やや変色してきたんです。


衛生的にあまり良くない気がしたんで、

いつも利用している調剤薬局に

新しいものがないかと

問い合わせてみました。




そうしたら。




エレンタールの容器は1人1回まで

もう2度と新しいものは

もらえないそうです。




薬剤師さんが

メーカーにも問い合わせてくださって、

ちょっと驚かれていました。




1包あたり300mlの水で溶かすのですが、

市販品のシェイカーでは

水量の目盛りがないなど、

エレンタールを作るのに、

なかなか適したものがありません。



市販の代用品もなかなか見つからない。



自費で買えるなら、

自費で買いますが、

そもそも難病患者のための

シェイカーなんて

市場に出回っていません。



ホームページにイメージ動画がありますが、学生が遊びに行くついでに飲むことだけを想定しているのでしょうか?




運びやすくて小さいようなイメージを与えますが、ボトルの横幅の直径は10cmです。


一般的なハンドバックやビジネスバックに入れると、型崩れを起こす大きさです。



学生以外が布のトートバックなんて、持ち歩くでしょうか。



また、クローン病の男女比は2:1です。

男性のほうが罹患割合の多い難病です。


なぜ、女性用のファッションと

合わせることだけを

想定しているのでしょうか?




法律には「経過措置」

というものがあります。


法律や制度、体制などが変更された際に、移行中や移行完了後の不利益や不都合を軽減するために設けられる一時的な措置です。



今回、患者に不利益を与えることを理解しながら、製薬会社はなぜ経過措置を講じないのでしょうか。



市販の代替品を推奨する、

使いやすいデザインのボトルを

提供するなど、

代替措置が十分になされず、

なりゆき任せで

ペットボトル型エレンタールが

廃止されました。




僕はクローン病を発症してから

最初の10年間は経腸栄養療法でした。


鼻から胃まで管を入れ、

8時間以上の時間をかけて

栄養剤を胃までポンプで

ゆっくりと落とす治療法です。


この時間は自動ポンプのそばに

居なければならないので、

ずっと外出も制限されました。


働きたくても働けない状況に

ありました。



それを劇的に改善させてくれたのが

バイオ医薬品です。


バイオ医薬品のおかげで、

外出も自由にできるようになったし、

働けるようになった。


本当に感謝しています。




バイオ医薬品の製造元の製薬会社は

難病の理解増進や就労支援に

とても熱心に取り組んでいます。

特設HPを開設したり、

就労支援のセミナーを開催したり。




クローン病患者が服用する薬は

1種類ではありません



僕は8種類の薬を服用しています。


僕の命は8社の製薬会社の努力で

つながれているのです。




しかし。



今回のエレンタールの製薬会社のような

外出が制限される1社の薬の仕様変更は、

他の7社の企業努力を

無駄にするものだと思います。




バイオ医薬品で

自由な生活を手に入れても、

部屋に閉じ込められるような

療養生活に原始帰り。



エレンタール以外の製薬会社の人が、

このブログ記事を読むことがあったら、

考えてもらいたいです。



他社の薬で、

自分たちの企業努力が

無駄になってしまう

可能性があることを。




難病の支援において、

横の連携がとれていないことは

課題だと思います。



今回のペットボトル型の

エレンタール廃止の判断は、

他の製薬会社の努力を

無にするものではないでしょうか?


ジェネリックでの代替薬の

可能性もないのでしょうか?




難病患者の「働く権利」や「生活の質」を守る


社会は、追放したり、追放されたりの

人狼ゲーム」の世界だと

感じることがあります。


人狼ゲームとは、参加者が村人と人狼に分かれて、自分の役割を隠しながら、村人は人狼を追放し、人狼は村人を追放して生き残る推理ゲームです。心理戦がメインで、誰が人狼で嘘をついているのか、どの発言が真実なのかを見極めることが勝敗を分けます。


僕の社会での役目は、

「難病患者」を

このゲームに勝たせることだ。




難病患者を社会から

追放させちゃいけない




僕は、

ニートから社会保険労務士になって、

ちょうど1年目を迎えました。


元々は難病で働けなかったとは言え、スラムのドブ猫みたいな生活をしてたから。最初にこの世界に入ったときは、いい人が多くて、こんな上流社会みたいな世の中あるんだーと思っていました。


だけど、名刺が100枚、200枚となっていく内に今までの世界とそんなに変わりないなということがわかってきた。



やっぱり、

ここも人狼ゲームの世界。



最初に目標となる

良い社会保険労務士の先生たちに巡り会えたのが

とてもラッキーで、

特別なことだった。



きっと、社労士の世界も、

社会の縮図なんだと思う。




身なりが綺麗か、

汚いかの差だけで、

中身の人間は同じだ。




社会経験がないから「社会保険労務士に向いてない」とよく言われたし、「そんなに難病のことをやりたいなら、社会福祉の仕事がいいんじゃないの?」とお為ごかしに言われたこともある。



言葉を額面通りに受け取っても嫌な言葉だけど、言葉の裏に「難病患者・障害者は就労施設A型B型がお似合い、社会に出てくんな」みたいな難病患者・障害者全体に対して潜在する侮蔑の意識が伝わってきて、それもすごく嫌だった。



まあ、厚生労働省の人や同じ社会保険労務士にそういう人もいるんだと知れたことはすごく勉強になりました。



自分が何をしたいかだけでなく、

誰と仕事をするかも大事な仕事の要素だと

学べました。



社労士の仲間内から誉められたいわけじゃないし、自分が苦しんできたからこそ、難病患者の現状を変えられる仕事がしたい。



「治療と仕事の両立支援」が

社労士の中でも

軽んじられているような気もするし。




世の中から難病患者が

追放されないようにしていきたい。




SDGSの

「誰ひとり取りこぼさない社会を」

なんて嘘だ




環境保護という名の下、

ペットボトル型エレンタールの廃止で

潰瘍性大腸炎やクローン病患者が

犠牲になっています




こういった難病患者の不利益に対して、

抗議する団体もない。



政治活動ばかりに熱心で、難病患者の生活の質を純粋に考えている団体がほとんどないことも課題だと思う。




僕は純粋に難病患者の「働く権利」や「生活の質」を守る仕事がしたい。




難病患者専門の労働組合の設立を考えたのも、自分自身が難病患者で、難病患者の窮状を知っているからだ。




労働組合には、憲法で「団結権」「団体交渉権」「団体行動権」が与えられています。




難病患者の労働者に、ペットボトル型エレンタール廃止のような不利益があったとき、「実行力」が示せるようになりたい。




今回もブログを最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。



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