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知覚をつくる②-設計理念-

今回は、前回の考えを掘り下げるべく知覚の定義を求め、さらに大小二つの設計理念を述べたいと思う。前回については下記「知覚をつくる①」を参照頂きたい。


1.知覚とは?

そもそも知覚とは何だろう?
何かが身体に作用して気持ちいいなと感じたり、反対に不快だなと感じることなのだが、ここで用語の定義を確認してみる。


知覚:感覚器官を通して外界の事物や身体内部の状態を知る働き。

感覚器官:外界からの刺激を感受して、神経系に伝える器官。視覚器官・聴覚器官・嗅覚器官・味覚器官・皮膚など。広くは筋紡錘体なども含めて言う。感覚器。 

デジタル大辞泉より

整理すると知覚とは

「身体の内・外部における何かが、主に五感に当たる感覚器官に作用した際に、意識的に身体の状態を知ること」

と言える。
具体例を挙げよう。例えば、太陽光が及ぼす知覚がある。
太陽光を浴びた時、何を感じるだろう?直視することで眩しいと感じ目を逸らしたり、朝日に当たることは気持ち良いので外に出ようと思うかもしれない。初日の出の来光は美しいと感じるし、真夏の日差しは肌がヒリヒリしたりする。そのように太陽光に対し自分が感じたことを知覚と言う。

2.なぜ、知覚を考慮する必要があるのか?

その理由をお伝えする前に、いち建築設計者として根本的な話しがしたい。

なぜ建築は必要なのか?なぜ建築をつくるのか?
総じて建築の存在意義とは何か?

それらを建物(見える・観える物)と建築(見えない物)を比較する形で述べたい。

当たり前のことかもしれないが、私は建築は人のためにあると考える。
そして「人のために」と言った時、2段階の要素が挙げられる。

①:暑さ・寒さ・雨や日射など外的要因から人を守ること。
「人を守る」とは、具体的には人の中枢温度(身体内部の体温)を37℃前後に維持することである。その許容範囲はおおよそ30℃〜40℃であり、逸脱すると命の危機に晒されてしまう。建築はその逸脱を防ぐためにある。

②:①があった上で可能になること。
それは世界観(使い手と作り手による)を込められる、ということである。
換言すると建物に建築を見出すことと言える。

建物とは地球上の素材(例えば木)を構築しできた「物」のことである。
構築する際、そこに世界観を込めることで初めて建築となる。

素材は地球から借りてきた物、ということは何を意味するのか。
それは、借りた物である以上、いつか返す日が訪れるということだ。

建物以外でも例えば私達の身体も同様で、いつか地球に返す日が訪れる。
身体は親からの授かり物だが、返す先は親ではなく地球である。
そうやって考えると身の回りにある物はいつか地球に返すことになる。
自分達を含め見える物は全て地球からの借り物なのだ。。
それだけだと寂しくなるが、私達は人である。人は様々な物事を想像する。想像してトライアンドエラーを繰り返してきた。

想像力によって借りた物に世界観を込め、いっときの間、
自分達の拠り所、自分達の物になる。
この世界観が建物を建築たらしめる重要な要因と考える。

世界観とは何か?例えば、建築内部で話をする。思索する。読書をする。
料理をして食事をする、心地良くなり眠る、スマホやPCに向かう。
またある人は文学や哲学、数学や科学を込めるだろう。
人が多く集まる場所では資本という世界観を見出すこともできる。
などなどこの他にも沢山の世界観を挙げることができる。
思索から行為まで人それぞれの世界観がある。
建築は数あるものづくりのなかでも、使い手が長時間内部に居ることができるという特徴がある。これら使い手の世界観を維持できる物は建築だけである。換言すると①によって自分たちの世界観を区切り確保しているとも言えるだろう。

以上は使い手の世界観だが、一方で作り手の世界観もある。
例えば近代のボキャブラリーで言うと、つくるための技術を追求する工学や計画学、人間工学、機能やプログラムも世界観の内に入る。

私はこの2つにより建築と知覚が無縁でないと考える。
例えば、暑さ寒さなどの外的要因に対して、厳しさを感じたら窓を開けたり、エアコンやストーブを付けたりと建築に働きかけるため行動を取るだろう。また自分(たち)の世界を彩るため、季節ごとに花を生けたり、料理をつくったりする。さらに掃除も知覚から生じる行動であり、世界を彩るために大切なことである。掃除は物に秩序をもたらす。
秩序とは世界をつくることそのものである。
知覚とは①②を発露する、建築と建物、両者における人との接点と言える。

一方で、人に知覚の反応を及ぼさない建築はないとも言える。例えば建築基準法は読み方によっては、人にとって知覚が不全にならないよう最低ラインを設定していると捉えられる。例えばある居室における採光を最低限確保するために、床面積の1/○以上の開口部を設けよといったルールが決められている。

私が自身の活動でまず行いたいことは、先に伝えたように「知覚をつくる」きっかけとなる建築を設計することである。
そこでの知覚とは、その場所におけるその人だけの個別解である。
その個別解に応じるべく、2つの設計理念を記述したい。

3.設計理念

知覚をつくる建築をつくるため、大小ふたつの観点から挟み込む形で設計を行う。

3-1:大観点:30段階のフィルター

建築を知覚のフィルターの一部として捉える。

先ほど知覚とは「身体の内・外部における何かが、主に五感に当たる感覚器官に作用した際に、意識的に身体の状態を知ること」と述べた。

この「何か」は身体近辺で突如発生することはない。
ある発生源からいくつもの物や空気などを通じて身体に作用する。
例えば風は、ある場所の気圧差に応じ発生した空気が流れ、山や海→森林・田畑→塀→建築という階調を経る。この物や空気を「フィルター」という呼称で括ってみる。
発生した空気が身体に向かう間に各要素を巡り、それらが段階的に風を濾すような作用を起こすからだ。
現在私が認識している場所(茨城県西部の河川近く)では最大約30種類のフィルターがある。(画像1)


画像1:30段階のフィルター:建築を知覚に影響を及ぼすフィルターの一部として捉える

1.宇宙

2.外気圏
3.熱圏
4.中間圏
5.成層圏
6.対流圏

7.海・山・川

8.森・林
9.田・畑
10.生垣
11.庭
12.軒・庇
13.濡れ縁

壁(14-23)
14.外装仕上げ
15.外装下地
16.通気
17.防水
18.断熱(外部側)
19.断熱(内部側)
20.構造躯体
21.気密
22.内装下地
23.内装仕上げ

24.縁側
25.明障子
26.畳
27.調度

28.上着
29.下着

30.表皮
31.真皮
32.皮下組織

各フィルターがどのような作用を及ぼすのか?
度々例に挙げている風、前回述べた水田上の風であれば、ある風が山付近で発生した後に森林を通り風を適度に拡散し、さらに水田の上空を通り冷やされ、次に生垣や庭の木々を通し再拡散し、やがて身体に向かう。これらのフィルターがあるからこそ心地良い風、と感じることができるのだ。

また、画像1は木造の軸組構法を想定している。
突然だが、木造軸組構法は他の構造、例えば鉄筋コンクリート造や鉄骨造に比べ、
後世の人々がどのような発展を遂げても良いよう展開可能な柔軟なつくりになっている。

柱や桁・梁等の躯体に各々の時代において必要な要素を取り付けるという発想から、フィルターをタッカーや釘やビスなどで容易に付加することができる。最近では2025年による断熱等級4の義務化に伴い、断熱性能を向上させるための付加断熱層が考案された{図中の18断熱(外部側)に該当}。

ここで重要なことは、フィルター数と知覚のバリエーション数はある所まで比例関係にあるということだ。フィルターが減れば、知覚の種類数は減り感じ方が単調になってしまう。

例えば、前述した私が過去に体験した都内のRC造の建築だと幾つのフィルターになるだろうか?
1〜7と27〜32は同様である。建築外部では10生垣はプライバシー確保のため塀やフェンスとして残っているが、8森・林、9田・畑は宅地への転用により、また敷地面積が小さい場所であるため11庭〜13濡れ縁がつくりにくい。
次に建物を観ると、壁の14外装仕上げ・19断熱(内部側)・20構造躯体・23内部仕上げのみである。家具である27は残っている。全て数えると、18段階である(それぞれが別個にあるため、正確には段階ではなく個別の18個である)。

これは画像1の約半分であり、知覚のバリエーションの数も同様に減少していると考えられる。

敷衍すると、モダン建築は8~27を減少させ※、ポストモダン建築はさらに14と23に注力(付随で20)する試みと言える。
では現代における建築とは?それは、上記30段階のフィルターに関与する数が多いものと言える。

※都市の形成と同期→フィルターの種類を建材の性能に代価させることで、種類が減っても高密度化できる。機能と技術による代価と言える。


私は都市部においてはフィルター数が少ない場所に対して、建築で対応することを目指したい。

また30段階のフィルターは前回の投稿の水田のように、巨大なボリュームがあるからこそ真価を発揮する。現代において都内に広大な水田をつくることはプレモダンへの回帰であり本末転倒である。大切なことはフィルター数を単純に元に戻す(増やす)ことではなく、これらフィルターの存在を認識し、かつてフィルターが多く存在した時代の機能を代替したり、新たなフィルターを考案することである。

3-2小観点:身体の心地良さ

上記が大きな観点からの設計理念である。同時並行的に小さい観点からも考える。それは身体の心地良さである。「心地良さ」は従来の設計によるコンテクストから避けられてきた事象である。なぜなら、個別解とされ自然科学的に一般化できないからだ。しかし私は、その個別解以前の心地良さを追求したいと考えている。歴史的には、身体の心地良さを個別解とし排斥できない事態があったからだ。
例えば柳田國男は著作「明治大正史 世相編」「木綿以前の事」において、衣料が江戸期半ば過ぎに麻から木綿へ変わったことを「木綿の威力の抵抗し難かったこと」(木綿以前の事 四)と述べている。
何の威力に抵抗し難かったのか?木綿の肌触りという知覚の威力にである。麻は現代のそれと違い、手作業のため肌理が荒くチクチクしている感触であったため、木綿の出現により「ふっくらとした、少しは湿っぽい暖かみで、身を包むことが普通になった」(明治大正史 世相編 講談社学術文庫 p37)のだ。柳田はさらに木綿によって「ふくよかなる衣料の快い圧迫は、常人の肌膚を多感にした。」(木綿の事 三)と述べている。つまり、木綿という快い圧迫により新たな知覚がつくられたと解釈できる。身体の心地良さによる普及のスピードは目を見張るものがある。親が心地良いと感じれば子へもそうしたいと思うし、何より300年弱の時を経た現在にも綿の服が続いていることからも、その知覚の威力を感じることができる。



このような心地良さを個別解と言って無視することはできるだろうか?
以上は服の例だが、身体の心地良さは建築にも通じる。
画像2をご覧頂きたい。


画像2: イタリア大使館別荘記念公園「本邸」1928 :居間から中禅寺湖を臨む

この場所は栃木県日光市の中禅寺湖畔にある、イタリア大使館本邸の内部から外部を観た風景である。
奥から日光白根山・中禅寺湖・庭・縁・居間と連続した設えとなっている。
この場所はとても穏やかな光と風が訪れる。夏に訪れるとえも言われぬ心地良さに包まれる。
中禅寺湖は標高1,271~2mの場所にあり、避暑地としても訪れるのに良い場所である。
この建築は現在(2023年)から95年前に建設されたものだが、知覚の心地良さは時代により変わらない普遍的な要素と感じることができる。

以上の「大観点:30段階のフィルター」と「小観点:身体の心地良さ」の両側から挟み込む形で設計を行う。

また24FEELS(24時間の生活と二十四節気の再考)という、知覚をつくるための生活の日々の楽しみを提案したいと考えている。

人という生き物を再考し、そして個人の身体から始めることが肝要であると考える。

以上がartifact architects における設計理念の1段階目である。
次回はその設計理念から具体的にどのようなものをつくるのか?をお伝えしたい。まずは住宅の試み「平野の平屋」である。

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