人工知能が社会の形を変える現代に必要な『読解力』
新井紀子さんの書かれた『AIに負けない子どもを育てる』という本を読んだ。
著者は、以前『AI vs 教科書が読めない子どもたち』を執筆。AIが人間の仕事を代替する時代に人間に残された唯一の武器である「読解力」がない人がたくさんいることを問題提起し話題となった。そんな著者が前作の続きとして書かれたのがこの本で、最新の研究結果をもとに前回の問題提起に対する答えを提示しており、とても参考になった。
ざっくりと2冊を要約すると
・AIの仕組みは数学でできている
・数学にできることは「論理」「確率」「統計」の3つ
・この領域では人間の多くの仕事がAIに奪われるだろう
・AIは“意味”を理解できないのでその領域には人間に武がある
・そこで鍵になるのが「読解力」
・しかし研究の結果、「読解力」が低い人が多いという問題が発覚
・読解力の低さが、学歴や仕事、実生活に大きな弊害をもたらしていることも
・教育を見直す必要がある
・魔法のような処方箋はないが、大人からでも読解力を向上させることはできる
・普段の生活でゆっくりでも正確に意味を理解しようとするのが読解力の向上に繋がる
と、とっつきにくそうな内容ではあるが、シンプルに面白かった。
本書では、主に「読解力」というのがテーマに挙げられている。
本の中に読解力を診断するテストが載っていたので、僕もやってみたところ、70点満点中の48点。100点換算にすると68点。ひとまずざっくりとでも自分の読解力を客観的に把握できたのは一つ大きな収穫だった。
僕は普段から本を読む習慣があるが、完璧に読めているわけではないということが分かったのと同時に、読解力を高めていくためにも、丁寧に正確に文章を読むことを心がけていく必要があるというのが分かった。
半年に1度くらいのペースでテストを受験し、自分の読解力の変化を定期的にチェックしていこうと思う。
『読解力』と聞くと、国語を思い出す。僕は国語が本当に苦手だった。特に小説のような物語文を読むのが苦手だった。「おまえの気持ちなんてわかるかい!」と何度叫びたくなったことか。
それに対して、数学は得意だった。ロジカルに考えて問題を解いたりするのは今でも好きだし、日常からいろんな問題を見つけては頭を悩ませるのが好きだ。
しかし、AIが銀行の与信判断を代替し始め、将棋の名人をAIが倒すようになり、多くの物事においてAIが最適解を導けるようになる将来、そんなロジカルな能力はいつかわざわざ人間に求められなくなるのではないだろうかと、僕は危機感を抱いた。それとは反対に、AIに代替されないような領域で戦えるように、コミュニケーション能力とかを磨くことの方が遥かに重要なのではないだろうかと。
最近、『Midjourney』を筆頭にAIが絵を描いてくれるサービスが出てきたり、テーマを入力するだけでSEOを意識した文章を作ってくれるAIライティングサービスが出てきたり、身の回りでAIの進化を肌で感じるようになってきた。
こういったサービスの発展が、クリエイターの仕事を駆逐したり、ブロガーやライターを退けたりということが起こっている。実際にAIが生成したアートがNFTプラットフォームで売れている現状もある。家庭用AIロボット『LOVOT』は多くの有名人が愛用していることから話題を呼び、ロボットが人間の生活圏内にまで入ってくるようになった。
いよいよAIの存在を無視できなくなってきた今、僕らはどのように生きていけばいいのだろうか。
そんな現代を生き抜くために必要なことが書かれた新井紀子さんの2冊はとても参考になる本だった。
こうした技術革新はこれからもどんどん起こっていくだろう。その度に漠然とした不安に駆られていては生きていくことができない。正しい知識を仕入れて、正しく恐れることが大事で、それができれば次の打ち手が見えてくるし、そうなれば必要以上に恐れる必要もなくなるだろう。
そう言った意味で、変化の激しい時代での立ち振る舞い方や大切なことも学ぶことができたような気がする。
サッカー界でもゴールラインテクノロジーでボールがゴールラインを割ったかどうかを判断できたり、VAR(ビデオアシスタントレフリー)が導入されたり、試合途中にどっちのチームの勝率が何%かが計算されて表示されたりしている。マラドーナの神の手は現代では見れなくなったし、オフサイドは数ミリ単位で厳しくチェックされるようになったように、テクノロジーの発展とともにルールも変わっていくだろう。
ルールが変わるということはすなわち、必要とされる能力や重要な要素が変わるということだ。昔よりもごまかしがきかなくなり、レベルはどんどん上がっている。常にどんな要素が大事なのかを見極め、それに合わせて自分の形を変えて適応させていく必要が出てくる。
AIの浸透が社会の形をいかに変えていくのか。それにともなって僕らはどのように姿形を変えていく必要があるのか。その答えを迫られるのはそう遠くない。
ではまた。