空海の言葉を関西弁で訳してみたら、こんなに楽しく心に残りやすい④
ご好評いただき、4つめの記事となりました。
お読みくださってありがとうございます。
空海が遺した文章を読むと、
自然とひとりでに、
僕にとってネイティブで親しみやすい、
「関西弁」に変換されて染み込んでいくのです。
この記事では、
そんな語りかけるような
お大師様の言葉をそのまま
原典にもあたってご紹介していきます。
前回はこちら↓
記事ごとの連動はありませんので
どこから読んでも大丈夫です。
今回で40の言葉が揃いました。
なかから響く言葉を一つでも見つけて頂けたなら嬉しいです。
関西弁超訳
・・・僕の感想
という順に記載しています。
ほんなら、空海が表した
めっさ美しい言葉の世界を
ご一緒に嗜みましょう。
元にさせて頂いたのは
苫米地英人「超訳 空海」PHP文庫、
宮下真・著、名取芳彦・監修
「空海 黄金の言葉」ナガオカ文庫です。
※見出し画像は金剛峯寺収蔵 弘法大師入定図より
<31>世出世
仏の教えは俺らの思いも及ばへんくらいに
ありがたい功徳を持ってんねやから
その教えをよう実践するモンは
世間を超えた仏法の世界であっても
俗世であっても
必ず楽しみを得ることができるねん。
・・・
世出世とは、俗の世界と
仏の世界のことを言うそうです。
現存しているお大師様の言葉は、
たぶん仏の世界を見てきて
私たちを誘おうとする内容のものが
多いと感じます。
中には厳しい修行が必要だったりしますが
そこには必ず、楽しみがある。
難解ながらもどこか明るい空海の言葉は、
仏の世界を楽しんで浸ってきたからこそ
生まれた言葉だと思うのです。
楽しんでいいのだ。
↓の言葉も空海の楽しんでる様が浮かんできます。
<32>妃
慢心したらあかんで。
人や自分を欺いてもあかんで。
ぜーんぶは仮の物やと知っときや。
空を知って空に遊ぶことを
俺は嫁はんのように大事にしてる。
あんたもそうし。
・・・
ちょっと超訳が過ぎたかもしれません。
「妃」を「嫁はん」にしてみました。
本意は「一生を寄り添うもの」
だと思いますが、
せっかくの「妃」のニュアンスを
生かしてみたのです。
楽しそうな雰囲気が伝わってきます。
悟りとは空を実感することだそうですが
「嫁はん」とずっと愛し合うように
連れ添っててもいいんではないしょうかね。
<33>三教
聖人の教えは三つあんねん。
仏教、道教、儒教や。
この三つの教えには深いものと
浅いものがあんねんけど、
どれもみな聖なる教えや。
もしあんたがこれらの教えに沿うんやったら
けっして親や目上の人への信心に
背くことはあらへんで。
・・・
お大師様が24歳のときに書かれた
三教指帰からの引用です。
宗教比較を戯曲で表した世界初のもの、
と言われています。
儒教中心に進められる当時の世の中や大学に
「俺は仏教がええねん」と宣言した
決意の書物だと思うのですが、
そこでも、他の宗教を否定して
蔑むことはしませんでした。
聖なる教えとしてどれも認めつつ
論理の中で、仏教の優位を語ったものでした。
好き嫌いでもなく感情でもなく
慮りをもちながら。
<34>一味
一つの味だけで美味しいご馳走を作ったり
一つの音階だけで、ええ曲を奏でたり、
そんなんできるヤツおらへんやろ。
・・・
偏ったらあかんで。
幅広く視野を持ちや。
お大師様が弟子たちに
つねに仰っていたことだそうです。
たくさんの分野を学んで、
多くのお師匠の教えも受けて、
そんなかから真実をつかむんやで、と。
一つ上に挙げた若い頃の宗教比較から
すでに持っていた考えのようですね。
それにしても抜群の喩えだ。
<35>大虚
仏様と繋がるための三つの秘密ちゅうんはな、
糸くずのような塵の中にも、大宇宙にもあんねん。
その場所はな、どんな小っちゃくても
困らへんし、アホほど広くても広すぎることはない。
自由自在に姿を変えてどこにでもあんねん。
・・・
三つの秘密とは、
身(身体)、口(真言、言葉)、意(意識)のこと。
この三つを通じて仏様と一体化できると説きます。
引用元の「吽字義」では
「口」の言葉について、
神秘的な側面をおおいに語ります。
「真言宗」と名付けるくらいに
言葉を大事にみた空海の語りは
ひときわ熱を帯びています。
アホほど広くて
塵ほど小っちゃい仏の世界へ
言葉で迫る。
以下、「吽字義」が続きます。
<36>秘藏
めっちゃ深くて秘密の教えいうんはな、
人びとが自分らで見えへんようにしてんねん。
仏様が隠してるわけではあらへんのよ。
・・・
「真言密教」は秘密の教え。
秘密の意味をここでばっさり言い放つのです。
人びとはいつも、とらわれの世界に生きている。
とくに自分にとらわれてて、
自由を得られへんねん。だから、
ホンマの楽しさを持てへんねんで。と。
この意味の言葉は、
何度も繰り返し伝えられていて
僕も胸に大事としまっています。
楽しさを感じづらいときに
「ああ、自分が楽しさを見つけられてへんだけやな」
と一人ごちると、なんとなく楽になる。
<37>己有
おのれの心の中に
秘めとる無限の可能性を知らへんとは、
なんちゅう貧しいことや!
・・・
直球が飛んできました。
お大師様の強い語気が
息遣いと共に伝わってくるようです。
とらわれの世界から
自分を解き放ったんならな、
人間は限りなく自由になれるんやし
限りなく楽しいんやで。
あんたも楽しめや!と。
「吽字義」では
そんな空海の純粋な思いが込められた、
覚醒の書でもあると思うのです。
<38>一心
どんなけ心が煩悩に覆われて
慢心してたとしてもな
悟りっちゅう絶対の領域は
どこへも動かへんと
おんなじところにあるんやし
壊れたり減ったりすることもあらへんよ。
・・・
というか、増えたり減ったりとか
そういう次元にはあらへんのよ、とも言います。
現世否定が匂いが漂う仏教に
お大師様は、それでもなお残る
「一心の虚空」という存在を
めちゃくちゃ肯定しているように読めるのです。
それは、楽しみの元だし、
誰でも持っているものだし、
仏様は隠そうともしていない。
<39>智智
ものごとの根本を見ることができる人は、
ありのままに自分の心を知ることになんねん。
ありのままに自分の心を知るっちゅうことは
それがそのまま、仏様の智慧を得ることになんねん。
・・・
ありのままの自分。
それが、本当に、難しいんですよね。
ものごとの根本を見ること、
というのがお大師様のくれたヒントのようです。
情報が多すぎる昨今ではとくに
大事になってくるのでは、と思えてきます。
何度も言ってしまいますが、
本当の自分を知っていくのってやっぱり
楽しいはずなんだ。
<40>一満
塵が積もって山を高くして、
一滴のしずくが集まって海を深いもんにしたのは
心を一つにして力を合わせたからできたことですねん。
・・・
大きな事業もそういう協力があってこそ、
実現するもんなんですわ。
と続きます。
これは空海が高野山に仏塔を建てるための
寄付のお願いを呼びかけた書簡から引用しました。
当時の文体の流行もあったとはいえ
大真面目な請願文とかに
規格外の喩えを持ってくるあたり
お大師様らしさを感じて、好きです。
次は、そうやって寄付を集めて
住めるようになった高野山での詩です。
<41>孤雲
はぐれ雲は一つのところに
とどまってはおりまへん。
もとから高い山々を愛しておりますんで。
人里での暮らしを知ろうとも思いまへん。
ただ月を見ながら松の根本に眠る。
それだけで私は十分なんですわ。
・・・
親交が深かったと思われる、
桓武天皇の皇子、良相公からの手紙に
答えて送った詩の一部です。
その手紙とは
「なんで都に下りてきはりませんの?
あなたのせっかくのお力が役に立たへんでは
ありませんか」というもの。
お大師様は晩年、
高野山に籠って瞑想する時間を多く持ちたかったようです。
自らを「孤雲」に喩えて
高い山に居るべきことを美しく表し、伝えます。
月を観るとは、
今も残る瞑想法の「月輪観」と
かかっているのでしょう。
瞑想によって見える世界が
それほど楽しいもので
嫁はんを愛するように連れ添いたいものであるというのが
煌びやかに伺えます。
まとめ
どの言葉をご紹介しようか、と
パラパラと本をたぐっていると
今回は自然と、
「楽しい」についての言葉が
集まってきたようです。
楽しすぎて、一つ多く41の言葉になってしまった。
しつこいくらいに「楽しさ」に触れましたが
空海の言葉は、難解でありながら
どの文章を読んでいても、
なんとなく楽しそう、なんですよね。
哲学として、とか
悟りに近づくために、とか
身構えて取り組むのも
素晴らしい学びだと思います。
でも、文章や詩を通して伝わってくる
空海の
明るさ、陽気さ、純粋さ、愉しげ、
直球、愉快さ、朗らかさ、
みたいなものを味わうのも
許される嗜みではないでしょうか。
今回はそのあたりを
お伝えできていたら幸いです。
お読み頂き
ありがとうございました。
南無大師遍照金剛
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