アドラーの訳本を読み始める
最近アドラーの訳本を読み始めた。
嫌われる勇気はボロボロになるまで読んだけど、そういえば原著って読んでなかったなと思ってブックオフで買ってみたんだけれど、読むと印象が変わって面白い。
(訳も岸見さんなのでどうなの、という問題はあるものの。。。)
目的論の部分を改めて読み直して、僕も改めて気をつけなくちゃなと思うことがあった。
目的論とは「全体としての個人は、生物学的には、個体保存と種族保存、社会学的には、所属、心理学的には、その人らしい所属、という目標のために行動する。」というような概念だ。
嫌われる勇気では、トラウマは存在しない!みたいなテーマで衝撃を受けるであろうあの部分である。
自分の発言や行動や選択は、全てある目的の達成のために行われていると頭の隅に入れておくと、自分の行動を見直すきっかけになりやすい。
たいして意味ないことで悩んでしまったりするときに、結局「あぁ、悩んでいたかったから悩んでいたんだな」と思って解決してしまうこともよくある。
相手を観察していても、「立場が辛いからマウントとりたくなってるんだな」とか「責任取りたくないから、行動しないんだな」とか見えてくるものは結構ある。
場合によりけりなので、もちろん外すこともあるけど、大体当たってるからこれだけ支持されて読まれているんだろうと思うことにしている。
改めて読み返すと、劣等コンプレックスとか不幸自慢とかは、一番行動として多いかもしれない。
ただ、「あなた、そうやって不幸自慢をすることによって腫物のように扱ってもらいたいから、そうしてるんでしょ?」みたいに言えないというのが難しい。
共通認識として持っていれば、「あぁ、なるほどね」っていう感じになりそうなものだけれど、知らない人からしたら「は?」となってしまう。
結局それも他者の課題ということなのかもしれないけれど。
僕がかなり注意深く意識しているから、なおさら気になってしまうところではある。
「無知の知」っていうのはめっちゃ正しいなと感じる。
結局、自分で気が付いた時からすべての物事が動き出して、世界が回転する。
認識されないものは存在しないのと同じ、というのは自分自身にも当てはまる。
一人で気が付くのってなかなか難しいから、定期的に自分の行動を率直にフィードバックしてくれるシステムがあればいいのにと思ってしまう。
合っていても合っていなくても、仮説という一つの選択肢を提示されるだけで、1段階レイヤーが上がってくれると思う。
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