ふなっち@Web Director/Writer/Essayist/Pastel Artist
自分の中に渦巻くいろいろなことを、記録していく出版社です。明日もなんとか生きていくために、自分の中に戻って、自分と会話する時間が必要だと思います。そういうことだけを1000字くらいにして、まとめておきます。
あれだけ流行っていた「副業」という言葉をめっきり聞かなくなってしまった。自分の周りだけだろうか。 いま、世界は違った方向に進もうとしている。 僕は今心の中で密かに「ルネッサンス」と呼んでいる。 僕が常日頃感じていた社会との乖離、これはたぶんみんなが感じていることだったんだろう。 やっぱり、魂と魂を交流できないような環境に人生の大半の時間を置くなんて、人間として無理のある行為だったんだろう。 僕は確信している。また、世界と関わろうとするようになるはずだ。 人はもっと自由にな
「20代最後の年」というものが自分に訪れるなんて思ってもいなかった。 自分自身の感覚はいつも変わらない。18歳の時も25歳の時も29歳の今も変わらずに「今」という感じがしている。 だけど、周りの環境は大きく変わっているかもしれない。 仕事では自分が後輩を育てるようになっているし、プロジェクトのメンバーもたくさんいるし、プロジェクトマネージャーとして振る舞っている。 プライベートではライフスタイルのこと、資産運用のこと、結婚のことなどこれまで考えもしなかったようなことに頭を使
住む場所によって行動する範囲がずいぶん変わってしまうことに、街の景色が変わったことで気がつく。 ある一時期は東の方に住んでいたけれど、ある時期は西の方に住むことになる。それぞれ過ごしている間は変化にあまり気がつかないけれど、生活が変わった後に訪れてみると、ずいぶん変化しているように感じる。 急に更地になっていたり、工事をしていることも知らないままマンションが建っていたり、コンビニが増えたり減ったり。道はいつもと変わらないのに、どこか別の場所に来てしまってような不思議な感覚が
自分は何に喜びを感じますか? こんな風に聞かれた時に思いうかぶことは何だろうか。 僕が一番最初に思い浮かんだのは「自分が想像もしなかった新しい考え方を知って、これまでの自分の考えを捨てる時」だ。 本を読むことや人と話すとが好きなのはこの喜びを求めてのことだ。 人が喜びを感じるのは次の二種に大別されるらしく、 ①低者から承涊される時 ②自分がより良くなっていると感じる時 ということらしい。 私の喜びは恐らく②に該当するだろう。 ①で言えば、仕事で評価されるとか、気のおけない
時間ばかりが経過しているような気がする。 Amazonですぐに欲しいものは手に入るし、コーヒーマシンがあるから喫茶店に行く必要もあまりないし、仕事はリモートワークをすれば快適になる。 だらだらしてもいいし、料理をしてもいいし、本を読んでもいい。 家の中でできることがとても増えている。 もともと寒いのは苦手なので外に出たくもない。煙草を吸いたくても外で吸えるお店はない。やっぱり家の価値がとても高い。 食材の買い物は、やはり外に出て買った方がいいと思っているけれど、配達や選ぶコス
スマホのキャリアをahamoに変えたことで、7000ポイントが進呈された。 結構大きい金額だと思うし、3ヶ月の使用期限つきなので、早く何かを買わないと、という気分になっている。 とは言っても、そんなに急に欲しいものが浮かぶわけでもない。物欲がある時とない時がある。そんなことを考えているうちにすでに1ヶ月半以上経過していて、焦りだけが大きくなって、レジの横にあるポイントが使えるマークばかり探すようになってしまった。 7000円というのが絶妙な金額である。すごく大きな買い物はで
こうやって文章を書いているのはなぜだろうと、今日は急に頭に浮かんだ。 最初に文章を書くことを始めたのは、2、3年前のことだろうか。その時はSNSもしっかり運用して、「マネタイズ」なんかができれば良いかなと思っていたような気がする。 相変わらず、「何者か」になりたい自分が強く出ていたような気がする。まぁそれはそれで悪いことじゃないし、満たされていないからエネルギーも出るという面もあるだろう。 結局そういうことは僕のやりたいことじゃなかった。そして、そういうガツガツしたものは根
デジタルデトックスという言葉を久しぶりに耳にした。ちょっと前までは、といっても5年くらい前なのかもしれないけど、結構身近にあった言葉だったと思う。デジタル的な何かが身の回りにあることが普通になって、そんなことを考えることも無くなったのだろうか。今でも生きている言葉なのか、気になるところだ。 確かに通知が嫌になる事がある。なんとなく時間を消費するためにニュースサイトを眺めたり、Twitterを眺めているような時もある。本当はそんなことをする暇なんてない、と思っているんだけど、
いい天気だから外に出てみようと思ったけど、特に行きたいところは思い浮かばない。とりあえず、カバンに使いそうなものを入れてみる。ノート、ペン、まだ読んでいない薄めの本1冊、勉強したいもののテキスト1冊、iPadPro、キーボード、充電器。これだけあればどこに行ってもとりあえず気分の赴くままにやりたいことができる。そう考えてみると、今は自分は「外で新鮮な体験」がしたいわけじゃなく、「外でいつものこと」をやりたいんだなと思う。いつものことがいつものようにできていないことが今気になっ
自分の生活のリズムが変わった時に、改めて何を目標にして生きていくかを見直すことが大事だと思う。僕は1年に1回、年明けにまず今年の標語を決める。それを紙に書いて、家の壁のよく目につくところに貼っておくだけで、随分毎日の生活は変わると思う。目標は立てた後にもずっとそれを意識できるように仕組みを作っておくのが重要だ。 こうやって改めて文章に起こしてみると、意識が高い一昔前のビジネス本みたいな感じがしてちょっと面白い。 今年の年初に僕が書いたのは「絵と文章を書く」ということと「自分
最近、体が痛くて動きたくなくなってしまうことが多くなってきたような気がする。運動不足が原因だろうと思うけれど、平日に仕事を遅くまでやって、土日に自分のやりたいことをやるというような生活を続けていると、ゆっくり運動をするような、特に精神的な余裕は生まれてこない。 優先度の問題だから、自分の中で運動することを上にあげればいいんだけど、やっぱり本を読んだり喫茶店に行ったり、そんなことをするだけで1日が終わってしまう。 「時間を効率的につかえ!」みたいな本を時々読み返して、意識の高さ
人それぞれの違った生き方がある。様々な生い立ちがある。それは言葉にすると簡単だけど、理解することが難しいことの代表例だと思う。 基本的に人は皆、自分のこと以外に関心はないと思う。どこかで自分のことを噂されているのではないかと気に病むのは自分だけで、実際には噂されることは良くも悪くもないし、あったとしてもすぐに消費されて忘れられてしまうだろう。 僕はそう考えるようにしている。そうしないと、体力が持たないからだ。 電車で隣に座っていた人のことを、どれほど思い出せるだろうか。
「趣味はなんですか?」と聞かれて、困ってしまうことがよくある。趣味という言葉の意味がよくわからない。 辞書で調べてみるとだいたい、「自由時間に好んで習慣的に行うもの」と書かれている。 そのままの意味で考えると睡眠と食事と仕事と読書と日記になる。毎日それをやるだけで24時間のうちの大半は使い切ってしまう。ただこれだと多分文脈の読めない人になってしまうので、社会的な意味での趣味というフィルターを通さないといけない。そうすると読書と日記になるのだけど、読書は特に多様性の多い分野なの
言葉にしないと伝わらない。言葉にした瞬間にたくさんのものが削ぎ落とされてしまう。単純なことだけど、折り合いをつけるのはなかなか難しい。 僕のnoteでは、日記よりはまとまっているけど、それでも論ということはできないような心の中に流れる何かをそのままの形で残しておこうと思っている。 仕事ではひたすらに論を立てるようにしている。ビジネスだから厳密さや齟齬のなさが大切になってくる。全く別の個体である人間と合意という名の一致が求められている。無茶苦茶な話だと思う。家庭や恋愛でも意
金融リテラシーというものをどう教育するか、というテーマのAbemaPrime。 教養を「与える」ってすごく難しいことだと思う。啓蒙というのだろうか。 興味があれば、自分でいろいろ知りたくなる。興味がなければ、知見を深めるような行動はしない。 危ないと思っていない人に危ないと伝えても、実感はわかない。 教えるということは、自然と上下の序列を与えてしまいがちだ。受け取る方の問題という言い方もあると思うけれど、もはやそれも含めて問題は複雑だ。 教養とかリテラシーというものがどう
仕事は楽しいものであるべきだと思う。そもそも、楽しくないことをやりたい人なんていないだろう。道中に楽しくないことはたくさんあるかもしれない。だけど、最後にたどり着く先は幸せな世界であって欲しい。 僕たちは日々の忙しさや時の流れの速さに圧倒されて、すぐに先が見えなくなってしまう。見えなくなった時に、見えないままで幸せな世界があると信じれるかどうかが、突破口になると思う。 いろんな役割があって、いろいろなすべきことがある中で、無邪気な夢を追いかけていた方がいい。というか、そん