【壁】自己の喪失をユーモラスに描く寓話
オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆☆
〜安部公房は訳がわからない〜
人に「好きな作家は?」と聞かれると、まず思い浮かべるのが安部公房である。
しかし、「安部公房って面白いの?」と聞かれると言葉に詰まる。
「砂の女」は比較的読みやすい小説なのだが、安部公房の作品は基本的には読みにくいと思う。
一言で言うと「訳がわからない」からだ。
主人公が訳の分からない状況に陥り、その周りの人物も訳のわからない事を言い、訳の分からない問答が長々と続き、訳の分からない終わり方をする。
昔、安部公房作品をいくつか読んだが、「砂の女」以外はどれも「どんな物語?」と聞かれて、うまく答えられたためしがない。
しかし、その訳の分からない安部公房の世界の奥にある独創性とユーモアがなんだかクセになってしまう。
うまく言えないのだが、なんだかすごいものを読んでいるような気がするのだ。
物語の詳細こそそんなに覚えていないが、なんだかすごいものを読んでいた気がする。その感覚をもう一度思い出したくて、最近、安部公房作品を再読してみようと考えている。
〜シュールな中での軽さと明るさ〜
さて、そんな訳のわからない安部公房作品の中でも代表作の一つとして挙げられるのが、この「壁」である。
本書は3部構成となっていて、
S・カルマの犯罪
赤い繭
バベルの塔の狸
からなる短編中編集である。
前述したとおり、いずれの話も訳がわからない物語なのであるが、なぜか妙にクセになる。
訳の分からないままぐいぐいと読み進めてしまうのだ。
なぜ、こんなに引き込まれてしまうのだろうか?と疑問だったのだが、巻末の佐々木隆一さんという方の解説を読んで少し納得した部分がある。
それは、この「壁」という作品集が、実存主義的な題材でありながらも軽く明るい印象があるからだ。
実存主義、というものを描くと、いかにも重たい小説になってしまいそうなのだが、安部公房の作品にはそれが無い。
登場するキャラクターも、不気味な存在でありながら、どこかユーモアがあり愛嬌が感じられる。
それ故に、訳が分からない物語であるが、お伽噺を読んでいるような気になるのである。
浦島太郎、という物語が多くの人に親しまれていながらも、結局何が言いたい話なのかわからない。そんな感覚に似ている。
言いかえれば、大人向けに書かれた上質な寓話、とも言えるだろう。
多分に人を選ぶ作品ではあるが、一度引き込まれたら病みつきになる魅力がある。
〜自分の存在とは?〜
さて、本作「壁」で語られる物語はそれぞれが独立した話であるものの、一貫したテーマがある。
それは、自己の喪失である。
「S・カルマの犯罪」の主人公は、名刺に逃げられて名前を失ってしまう。「バベルの塔の狸」の主人公は、取らぬ狸に影を食われてしまったことで、目玉を残して身体が透明になってしまう。
いずれも、現実世界における存在権の喪失を描いている。しかし、ここも解説を読んでいるとある事に気付かされる。
それぞれの主人公には、失われたものに対する郷愁が皆無なのである。
つまりは、僕らが現実世界で重要だと思っているものは、安部公房にとっては失う事で不安になるようなものではない、という事が言えるのかもしれない。
それでは、現実世界において自分の存在を示すものは何なのか?というよりも、現実世界に自分というものは存在するのか?さらに言えば、僕らの知覚する現実世界とは何なのか?
そんな、疑問を安部公房は独特のユーモアで面白おかしく書いてしまう。非常に頭の良い、良すぎる作家だと思う。
後にも先にも「壁」のような作品は他には無いだろう。あとは、その世界にどっぷり浸ることが出来るか、途中でリタイアしてしまうかは、読む人次第である。