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【AIvs 教科書が読めない子どもたち】読解力のない人々が仕事をAIに奪われる未来は近い

オススメ度(最大☆5つ)

☆☆☆☆

この本の冒頭が非常に僕の心を惹きつけた。

「AIが神になる」-なりません。「AIが人類を滅ぼす」-滅しません。「シンギュラリティ(“人工知能(AI)が人間の能力を超える時点”を意味する言葉)が到来する」-到来しません。

著者は、AIと聞くと誰でも思い浮かべるようなSFの世界を冒頭から全否定する。

しかし、だからと言ってAIが人類にとって脅威にならない、と言っているわけではない。

この本において危険視しているのは科学が発展する遥か未来ではなく、10〜20年後の未来の話なのだ。

AIはすでに、大学で表現すると、MARCHや関関同立レベルの知能を備えている。

日本人の大半のレベルをAIはすでに超えているのだ。

〜数学者が語るAIの限界〜

さて、まず本書では全体の半分ほどを通してAIの力の限界について書かれている。

それは、AIは大量の「教師データ」をもとに限られたフレームの中で「それが0か1なのか」を判断することしか出来ない、という事である。

ちなみに、著者は「AI」という言葉が人々に誤解を生んでいる、と考えており、「真の意味でのAI」とは「人間と同じレベルで物事について考えたりすることができる人工知能」であり、現在の技術の延長上においては「AI」と呼ばれるものは「AI技術」と表現するのが正しい、と述べている。

AIはあくまで四則演算しか出来ない。四則演算で表現出来ないものは実現できない。

例えば、AIに作曲させる事や小説を書かせる事は可能か?という課題について、「形にする事は可能だが、曲として成り立つものは作れない」のである。
AIは「教師データ」を基に学習することでその機能を発揮させるわけだが、その学習の素となるのは論理や統計や確率である。大量の音楽データをAIに学習させて、例えば確率統計的に「ドの音の次にラの音が来ることが多い」とAIが判断し、その連続でメロディらしきものを作る事は出来るが、曲としては非常に奇妙な曲になってしまう。

つまりは、人間にとって奇妙なものや不気味に感じるものなど、四則演算に表現出来ない事については、AIの苦手分野だと言える。

過去の統計や既知のデータを基に判断する事に関しては非常に高い能力を発揮するが、人間に対するメンタルケアや新しいアイデアを生み出すことなどになると、現在の科学技術が向上したとしても、AI技術では不可能な事が多いのだ。

〜人間よりAIが優れている能力とは?〜

さて、AIにも限界がある、と著者は述べているものの、「だから、人類がAIに仕事を奪われたりしないから大丈夫」なんていう楽観的な事を著者は言いたいわけではない。

むしろ、ホワイトカラーの大半がAIに仕事を奪われる未来を危惧している。

その理由は、著者が日本人の読解力を不安視しているからだ。

著者の手がけた「東ロボくん」プロジェクトは、AIが東大に合格する事は出来るか?をテーマに始まった。
そして、現在では「東ロボくん」はセンター試験で全受験者の上位20%に入るほどの成績を残している。
これは、単純にAIの力がすごい、という話ではない。日本の教育過程において子どもたちが伸ばすことのできる能力は、AIでも代替可能な能力ばかりである、という事なのだ。

この理論を実証するため、著者はRSTという文章読解力を試すテストを考案し、中学生〜大学生に対して実施した。

AIでも、文章を与えられて全てを論理的に判断したり解読したりする事は難しい。
指示代名詞が何を指すかや、主語がどの述語を指すかなどの、文の構造を学習させ判断する事は可能であっても、文と図やグラフを比較する事や、異なる構造の文章が同じ意味かどうかを判断する事など苦手な分野もある。また、人間なら何の意識もなく経験則や知識などで意味を解釈するような文章もAIには読めないのである。

AIが苦手な文章をAIに解読させた場合、それが例えば4択問題なら正答率は4分の1になる。鉛筆を転がして回答したのと同じような確率だ。
そして、驚く事に中学生〜高校生に同じ問題を出題した場合、その正答率も4分の1ほどになったのだ。

大学生に同じ問題を出題した場合、大学生はその大学の偏差値ごとで正答率を出しているのだが、いわゆるMARCHや関関同立レベル以下の大学生は同じく4分の1ほどの正答率になった。

すなわち、これがAIの知能がMARCH、関関同立レベルまで達したことを実証している。
同時に、現在の学校教育では教科書の内容を理解出来る程度の読解力が養われていない、という事実もわかる。

AIに代替不可能な能力において、学生が追いつけていない、というのが著者の不安視する事態なのである。

〜読解力のない人々、論理的に考えられない人々〜

この本では、著者が読解力のない子どもたち、教科書を読めない子どもたち、論理的思考ができない子どもたちが近い将来仕事をAIに奪われてしまう事態を危惧していることが述べられている。

著者はそれについて、現在の教育現場について問題提議しているが、

僕の実感としては、子どもだけでなく、大人も読解力のない人、論理的思考が欠けている人は大勢いる。

大人なのに、簡単な説明書を読めない人がいる。
大人なのに、簡単な話をまとめるのが出来ない人がいる。
大人なのに、「そんなのわからない!」とキレる人がいる。
大人なのに、自分が誤っている事を客観的考えられない人がいる。
大人なのに、相手の立場も考えず自分のわがままを貫こうとする人がいる。
大人なのに、相手の話を理解出来ない人、理解しようともしない人がいる。
大人なのに、相手の意見を聞いて考える事をしない人がいる。

著者は教育現場に問題点があると述べているが、僕はこの現状を打破するためには大人が変わらなければいけないと思う。

大人がちゃんと自分の事を客観的に冷静に見て、論理的に行動・判断出来ているのか、という事を全員が改めて考えないといけないだろう。僕自身、この本を読んで自分自身の能力に大きな不安をもった。
子どもの教育について考えるのであれば、学校教育だけではなく、社会の見本となる大人が変わらなければいけないだろう。

大人になっても、読解力や論理的思考は向上する事がある、と著者は書いている。

10〜20年後の未来を幸せに生きるためにも、今一度自分の能力に疑いを持って、子どもたちの見本となれるような大人になる事が、僕たちの課題なのではないか。
僕はこの本を読んでそんな感想を持った。

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