【受験ノート】受験と云うのは、カルヴァンの予定説と同じ
去年、シューティングゲームの実話物語を読んで、FF15のゲームの観戦もしてみました。一度、ゲームにはまると、容易なことでは脱出できないと云うことは、見学していただけでも、容易に理解できました。ゲームは、最終的にクリアーできると云う方向性に向かつて、巧妙に作り込まれています。途中で躓(つまず)いて、挫折したりしないように、タイミング良く、ヒントが提示され、課金すれば強力なアイテムが手に入ったりします。この先、まだまだhardな試練が続くとしても、最終的にはラスボスを倒せると云う未来の予測を持ち続けて、ゲームを楽しむことができます。日本の(いや日本だけじゃなく世界中の)優秀な頭脳が、ゲーム制作に結集して、すぐれたゲーム作品を作り続けて来た、その結果、ハリウッドの映画世界同様の、あるいはそれ以上のゲームワールドが、すでにestablishされていると認識しました。ゲームには、正直、勝てないと冷静に判断しました。勝てないものは、取り敢えず、敬して遠ざけておく、これが、受験生のあるべき姿です。ゲームは、いつでもできます。取り敢えず、受験時代は封印です。生徒が、スマブラやモンハンをやり続けて、受験に成功したと云う話を、聞いたことはかつて一度もありません。
受験は、つまり受験ゲームだと、自信満々で書いてある受験マニュアル本を、よく見かけます。わざわぎ、買ったりはせず、立ち読みで済ませますが、最初の5分の1くらいを読めば、「あっ、才能のある人だな」と、気がつきます。受験マニュアル本を書いている勝ち組の方は、みんなある種の才能を持っている人たちなんです。そういう人が、成功するのは、正直、当たり前です。
受験とゲームとは決定的に違います。受験は、ゲームと違って、クリアーできると云う着地点は、どんなに勉強しても見えて来ないんです。見えて来ないのに、合格を信じ続けなければいけない、非常に厳しいメンタルのバトルです。A判定が毎回、出ていて、合格が見えたと錯覚した受験生は、残念ながら落ちます。A判定でも、普通に落ちるし、E判定でも、普通に合格する、これが受験の世界です。
判定について説明しておきます。A 判定は、つまり80%の確率で合格すると云うことです。E判定は、80%の確率で、不合格になると云う意味です。裏を返すと、A 判定でも20%は落ちます。E判定でも、20%は合格します。最後までE判定が続いたとしても、「自分はE判定だけど、合格する20%に絶対に入っている」と、最後まで信じ続けることができれば、合格します。合格を確信して、最後の最後まで、やり抜いた生徒は、必ず結果を出します。受験は、8割以上、メンタルの戦いです。
カルヴァンの予定説は、教われることがすでに予定されているんだから、それを信じて、日々、勤勉に暮らして行くと云う教えです。信じ続ける人は、救われます。信じない人は、救われません。受験と云うのは、つまりカルヴァンの予定説と同じだなと、世界史受験の指導をしていた頃は、ずっと思っていました。倫理と日本史の教師にトラバーユした今も、この考えは変わってません。信じ続け、努力をすれば、合格します。
信じるだけで、努力をしなかったら、どうなるんだろうと、高1、高2の未熟な生徒なら、突っ込んで来るのかもしれません。が、これは、本当に未熟で浅い思考力です。信じることができれば、人間は、努力します。
合格を信じてない、ネガティブな生徒は100%の確率で、落ちます。どうせダメだろうと考えている生徒が、記念受験をして合格したと云うluckyな話は、かつて一度も聞いたことがありません。
仲のいいお友達が、ネガティブ思考で、暗いことばかり言っている、まあ、あると思います。が、受験時代は、このお友だちとは、say-goodbye して下さい。ネガティブなお友だちは、受験生にとっては、百害あって一利なしです。ごくたまに、ネガティブな先生がいたりします。ネガティブな先生とは、上手に距離を置いて下さい。
予備校には教え方の上手な先生が、それなりにいます。数学や物理の教え方が上手で、まるで魔法をかけられたように、その場で、すっきり解ったりします。これは、流暢性の罠ってやつで、す。解る=実力ではありません。解ったことを、徹底的に、時には不器用に復習して、自分のものにしなければ、ただのその場だけの解ったで終わってしまいます。解ったら、それを忘れない内に、完膚なきまでに徹底的に復習をする、これが受験の基本の作法です。新しい事項が、次々と解って行くのは、楽しいし快感だろうとも思いますが、その解ったことを、復習できないのであれば、その解ったは、受験にとっては無意味です。解ったことを復習する習慣を、まだ夏休み前のこの時期に、しっかりと身につけておいて下さい。MARCH合格までの勉強時間を、2000時間とすると、その内の半分の1000時間は、復習のために使うべきです。
ある先生が、いつだったか、定期試験(無論、入試科目のみでしょうが)とか模試とかを、全部、あとできちんと見直しをして、自分は大学に合格したと、進路通信に書いていました。定期試験や模試には、みなさんは、やはりガチで取り組んでいます。ガチで取り組んだものを、あとで見直しをしたら、間違いなく、やった分、実力がついて行きます。判定だけを一瞥して、見直しをしなかったら、模試を受ける意味はありません。合格は、カルヴァンの予定説のように、こちらが一方的に確信すべきものです。正直、判定を見る必要もありません。私は、健康診断を受けても(受けるのが義務ですから、受けないことはできません)送られて来た診断表を見たりはしません。私は、自分の健康を確信しています。診断表を見て、病気かもしれないと不安になり、ネガティブになってしまうと、そのネガティブが、病を引き寄せてしまいます。E判定で、不安になり、ネガティブになればなるほど、合格からは遠ざかってしまいます。できなかった所をきちんと見直して、できるようにしておく、これが模試の正しい利用方法です。
1学期のこの時期、過去聞にガチで取り組む必要はありません。ただ、第一志望校の出題の傾向は、できれば、過去10年分くらいの問題を、印刷sakuっと見て、把握しておくべきです。そうすれば、何をどれだけやればいいのか、おおまかな目安がつけられます。それだけでも、メンタルは、かなり安定します。