『そんなとき、深呼吸』を読んで。
目で見るだけでも、文章を読むだけでも癒やされる絵本。
ページをめくる度に、鮮やかな色彩が目に飛び込んでくる。
優しい親戚からいただいた本。
自分のことを気にかけてくれる人がいる…
それがどれほど幸せなことか、改めて思った。
文章は、伊藤真聰さんという方が、"みほとけ" の教えを元に、人々に語りかけるような形で書かれている。
決して難しいことは書かれていない。
文章といっても、このような一文のみのページもある。
誰もが一度は耳にしたことのある言葉だろう。
それでも、じっくりと噛みしめるように読みたくなる。
きっと、絵本であるからこそ。
ページをめくって文章を読む。
目を閉じてその言葉を噛みしめる。
しばらくして目を開けると、暗闇だった世界が急に明るくなる。
絵本だからこそ、そのように感じられる。
自分も、このような絵本を描けるような人になりたいと思った。
著者は、真如苑という宗教の苑主の方らしい。
自分は宗教などについて詳しくはない。
無宗教、無信仰… などというよりも、無知であり、何かに属することが苦手だ。
こちらの宗教について少し調べてもみたが、絵本はまた別物のように思えた。
それでも、きっと間違った解釈や、言葉足らずなところもあると思うが、そこはご容赦願いたい。
ところで、"みほとけ" とは一体何者であろうか…
簡単に調べてみた。
自分には、漠然としているように思える。
ただ、絵本の冒頭にはこのように書かれていた。
"みほとけ" が何者か…などとは考えなくて良いのだろう。
いつもそばにいる…のであれば、自分自身でも良いようだ。
自分は、"みほとけ" について考えたとき、まず、育ててくれた祖父母を思い出した。
そしてご先祖さま…
自分にとって大切な人々やモノたちに当てはめてみると、漠然としていたものが何となくハッキリと見えてきた。
自分が今生きていられるのは、きっと自分にとっての "みほとけ" のおかげだろう。
目に見えないもの、五感で感じ取ることができないものなどを信じることは難しい。
それでも、否定することはできない。
この世には、目に見えなくても存在するらしいものが沢山ある。
身近なものでいうと、例えば電波。
今まさにそれを使ってnoteを書いているはずだけれども、目で見ることも感じることもできない。
それでも確かにここにある。
きっと、まだ発見されていない、もしくは存在を証明できないだけで、気付かずとも存在するものはまだまだ沢山あるのかもしれない、と自分は思う。
だからこそ、何か危険な状態から脱することができた時など、そこに亡くなった祖父母の存在を感じたことが何度もある。
自分の勘違いかもしれないが、もしそれが、こちらの絵本でいわれるような "みほとけ" であれば、こんなに嬉しいことはない。
育ててくれた、厳しくも優しい(そして少し変わり者の…)祖父母が見守ってくれているならば、何も怖いことなどない。
書き始めて思ったが、絵本であるからこそ、感想を細かく書くのは難しい。
ほとんどネタバレ(?)になってしまう…
そのため、特に気になったページの文章などを、一部抜粋しながら、写真などと一緒に書いていこう。
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[16ページ目]
自分は、最近ではお化粧せずに外出できるようになっていた。
しかし、帰省した際、母から「まゆげなし子さん」と言われた。
そして、「眉毛は描いたほうが良い」と。
一方、母の眉毛は元々濃く、描く必要はないようだった。
こちらを読んで、外出する際は、たとえ近所であっても眉は描こうと思った。
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[20ページ目]
更に高みを目指そうと思えることも "幸せなこと" だと。
確かにその通りだ。
気力や体力がなくなってしまってはそう思うこともできない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・[29ページ目]
感謝の心で輝ける!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・[30ページ目]
誰かに期待されるのは正直困る。
プレッシャーでしかない。
それでも、"みほとけ(祖父母)" であれば、何となく大丈夫だと思えてしまう不思議。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・[32ページ目]
こちらの文章を読んで、真っ先に荻原規子さんのファンタジー小説を思い出した。
『RDG レッドデータガール』での真響(まゆら)の台詞。
確か、なかなか人を信じられない主人公の泉水子に対して、「〜人には想像力があるのよ。」と。
その台詞がとても温かく響いた。
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[35ページ目]
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【思いやり】
1 他人の身の上や心情に心を配ること。
また、その気持ち。同情。
2 想像。推察。
3 思慮。分別。
デジタル大辞泉より。
.....................................................................................絵本に書かれていた言葉は、きっと上記の意味の更に延長線上にあること。
全ての人に対して同じように接することは難しいかもしれない。
それでも、せめて身近な、大切な人たちに対して、そうなりたいと思った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・[38ページ目]
2つのエピソードを思い出した。
ひとつは、自分が初めて一人で小学校へ行った時、後ろから、父が隠れて着いてきてくれていたらしい。
あるある話かもしれないが、自分の父もそうだったのか… と、最近になって知った。
本当に… 今でも優しすぎる父親だ。
ふたつめは、実家から帰る際の電車の中での出来事。
通路を赤ちゃんがハイハイしながらどこかへ向かっていた。
すぐ後ろには、お祖父さまらしき人がピッタリとついている。
帰省中に会った親戚の赤ちゃんを思い出しながら、「可愛いなー」と思って見ていたら、こちらに気付いてニコッと笑ってくれた。
しばらくして、赤ちゃんが向かって行っていた方向からお母さまがいらした。
赤ちゃんは、きっとお母さんを探しにハイハイしていたのだ。
そして、お母さまに抱かれながらもこちらにも手を振ってくれた。
一人で帰る電車の中、本当に心が温まった。
心を癒やして下さった素敵なご家族に感謝だ。✨
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・[43ページ目]
自分の中で見守ってくれている祖父母も、もう変わることはない。
それぞれ最後に会った日…
祖母は、それまで見たこともなかったようなやさしい笑顔をしていた。
祖父は、身体も満足に動かせない状態で、必死に目を見開いてこちらを見つめてくれていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・[47ページ目]
こちらの文章からは、真っ先にSNS上での自分の失敗を思い出してしまった。
昨年の冬に始めてからまだ1年半ほど…
ではあるけれども、もう既に数え切れない。
最近では、Twitter(X)のアカウントをまた作ろうかどうか考え始めている。
もちろん他の人の投稿を見るだけで、何かを発信するつもりはない。
ニュースはネットニュースで十分だけれども、自分の好きなことや趣味などに関しての情報は、ほとんどTwitterでしか得られない。
その後押しをもらった!
…と思ったが、"Twitterが有料になる可能性がある" との記事を見つけて、また迷っている。
いずれにせよ、noteであっても他のSNSであっても、「次は気をつけよう!」。
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[69ページ目]
他の人の幸せを願うだけでは、きっと誰も幸せになれない。
自分自身が "幸せ" を知らなければ、ただの押し付けになってしまうのかもしれない。
他人任せではなく、自分がまず "幸せ" を知って、大切にできるようになろうと思った。
本当はもっと感想を書きたいページがたくさんある。
しかし、あまりに長くなってしまうため、割愛させていただこう。
こちらに書いているものも、絵本の中のほんの一部に過ぎない。
本の紹介をさせて頂いたけれども、残念ながら、今はどこも売り切れのようだ。
もし、古本屋さんや図書館などで目にされた際には、是非とも手にとって頂きたいと思うおすすめの本だ。
最後に、著者である、伊藤真聰さんについて。
最初に書いた通り、自分は宗教などについて詳しくはない。
ただ、もし人々が宗教などの違いによって対立するようなことがあるならば、それぞれの宗教との "融和を実践" されていらっしゃることには、とても興味がある。
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そして、素敵な絵を描かれた方については、調べてみたが分からなかった。
「装丁・絵 Feel-K」とだけ書いてあるが、一体どなたであろうか…
自分も、こちらの絵本に描かれていたような、色鮮やかで心癒やされるような絵も描けるようになりたいと思う。
改めて、こちらの絵本をプレゼントしてくれた、心優しく、思いやりにあふれた親戚に感謝だ。🙏✨