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”常に人事評価が低いと感じている人”が気づいていない3つの原因と対策 - 相対評価・バイアス・表現力 -

エピソード

どの会社でも行われる人事評価、これによってボーナスや昇格・昇給が変わってくる。色々な人の話を聞いていると、評価の良し悪しにかかわらず、”常に自分の評価が低いと感じている人”とそうでない人がいる。”常に自分の評価が低いと感じている人”の話を聞く中で、評価の納得性が低くなる3つの原因が見えてきた。その原因と対策は何か?
ポイントは、相対評価・バイアス・表現力、それぞれの理解にあった。

人事評価の納得性が低くなる3つの原因

1.相対評価

もし人事評価が学校の算数のテストのように、誰が見ても何点とわかれば、納得性が低い、ということは起こりえない。点数が悪かったら完全に自分が悪い。これは学校のテストが絶対評価だからである(同時に、”全員が100点”や”全員が0点”ということも起こりうる)。
これに対し、多くの企業では、人事評価の中に”相対評価”が含まれている。”全員が最高評価”ということがない(何らかの差がつく)。
なぜ相対評価が含まれるかというと、評価に応じて会社が支払うボーナスには総額の上限があるからである。あらかじめS/A/B/Cなどの評価ごとに何%ずつの割合にする、と決められている。もし仮に全員に最高評価を一律で与えたとするならば、結局それは”全員一律”と言っているだけであり、ボーナスの額が”全員平均額”となる(”全員最高評価”という名の”全員B評価”になる)ので、その場合やっている人からするとモチベーションの観点で不満が出る。同じ達成率の人がどれだけいても、何らかの指標(行動特性など)で相対評価しなければならない
そして、人が人を相対的に評価する以上、そこには少なからず「主観」が入り込んでくる
ましてや、多くの企業では一次評価者(直属上長)以外の、二次評価者・三次評価者の相対評価(主観)も入り込んでくる。
主観は目に見えない。結果的に複数の目に見えないもので評価されるので納得性が低くなる。どれだけ評価者と被評価者間でこの”目に見えないもの”をコミュニケーションするかが肝である。

2.バイアス

上記のような人の主観が入り込むときに発生するのが「バイアス」である。バイアスとは、人間が無意識に持つ先入観・偏見・傾向。これはゼロにはならないだろうし、評価者のバイアス度合いはコントロールしようがない。
逆にできることとしては、”バイアスが入り込む可能性があることを理解し利用する(うまく立ち回る)”くらいかと思う。
バイアスにはいくつかあるが、下記の2つなどは比較的発生しやすいように思う。(参考:人事評価のバイアスとは?

  • ハロー効果
    一つの特性に引きずられ、全体を評価する傾向のこと。目立つ特徴に影響を受けると、ほかのことを正しく判断できなくなる。

  • 期末誤差(近接誤差)
    評価期間の期末に対する評価が、期間全体を通しての評価となってしまう傾向のこと。

3.実力×表現力=評価

時々「私は結果を出しているのに評価されない」「あの人は大してやっていないのに評価されている」ということを聞く。これは「実力×表現力=評価」ということが理解されていないことにあると思う。
相対評価で、人の主観が評価に少なからず入ってくる以上、”人知れず結果を出すだけでは正しく評価されない”ということを理解する。実績や結果が自分や他者を通じて、評価者に届いて初めて評価の種となる。
大事なのは、これは”足し算”ではなく”掛け算”であること。どれだけ実力があっても、評価者への表現がなければ評価は増えない。

以下のようなイメージ。上述のセリフが発生する要因である。
 Aさん 実力:40 × 表現力:70 = 評価:2,800
 Bさん 実力:90 × 表現力:20 = 評価:1,800

これは媚びへつらうこととは全く別次元の話である。顧客にプレゼンするときに、どれだけお客様のことを想って考えていても、話せない・資料もグダグダでは何も伝わらないのと同じである。

対策(考え方)

大きく2つあると思っている。

1.”相対評価・バイアス・表現力”に対応する

かつて、井上ひさしさんが小説「一週間」のなかにこんな一節を残している

「人間が生きて行くためには、世界がどんなふうにできているかという世界観と、世界がそんなふうにできているならこう生きようという処世訓が必要だ」

小説「一週間」(井上ひさし)

相対評価も、バイアスも、実力×表現力も、否定しても始まらない。むしろそうなっていることがわかったなら、それを利用してうまくやってやろう、と考える。実力だけでなく、表現力(評価者や関係者へのアピール、リレーション構築)もつけ、両方を最大限発揮する。

2.評価を気にしない

逆説的な話にはなるが、結局、人が評価するものなんて主観が入り込む以上コントロールできないので、気にしても仕方がない、と考える。どうなっているかを理解したうえで、気にすることをやめる。
案外、評価を気にせず自由気ままに活動したら、実は周りから評価されていた、ということもある。

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そんなことを考えていたら、以前読んだ『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』(ふろむだ著)に、以下の興味深いことが書かれていたことを思い出した。
”おわりに”から一部抜粋したが、本文では”錯覚資産”という概念を使い、実力だけでなく、表現力が重要なことが、非常にわかりやすく書かれている。

おわりに

実力主義っていうのは、健全で、フェアで、すがすがしく、気持ちよく、本当に夢がある。しかし、夢に浮かれて現実を見ないと、足をすくわれて転ぶ。
現実世界は、「実力が正しく評価される健全でフェアで気持ちのいい世界」なんかじゃない。思考の錯覚の泥沼の中で、錯覚資産という卑怯な武器で殴り合う、油断のならないジャングルなのだ。
リアルの戦いで勝ちにいくつもりなら、そろそろ夢から覚めるべき頃合いだ。

「実力中心」の世界観で生きる人間より、「錯覚資産‐運‐実力」の世界観で生きる人間のほうが、圧倒的に強い。
なぜなら、「実力中心」モデルは、端的に、間違っているからだ。
「錯覚資産‐運‐実力」モデルのほうが、はるかに現実に近いからだ。
実世界の戦いでは、現実が見えているほうが勝つのは、当たり前なのだ。

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている(ふろむだ著)
ダイヤモンド社

参考になった書籍

まとめ

  • 人事評価への納得感が低い場合、相対評価・バイアス・表現力の3つの観点で自分の認識していないことがないかを振り返る

  • その上で、それをうまく利用し対応する方法もあれば、評価を気にしないという方法もある

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