見出し画像

こんな小説いったい誰が読むんだ——『HHhH』の場合。

 レジュメを書いたとたんに、こんな気持ちに襲われたのは、たぶん著者のローラン・ビネに嫉妬したからだろう。フランス文壇を代表する文学賞の一つであるゴンクール賞の新人賞を取ったくらいだから才能があるのは言うまでもない。原作者の才能にいちいち嫉妬していたのでは翻訳者の身も心も持たない。さくさく仕事をしてさっさと終わらせ、次の仕事に取り掛かる。これが翻訳業の鉄則だ。そう言い聞かせてこれまでこの仕事をしてきた。
 でも、ローラン・ビネの処女作『HHhH』はそうではなかった。
 自分が書きたかったような作品がここにある。
 遠い昔にあきらめ、放棄してきたものが、まるで若き日の自分をなじるように、あるいは嘲るように目の前に出現してきた、そんな気がしたのである。
 じつは東京で三十数年暮らし、妻と死に別れ、子供たちも成年に達したとき、パリに移り住もうかと思ったことがある。実際、下調べのようなつもりで、パリ在住の知人と連絡をとり、パリの地図やガイドブックを買い込み、パリのあちこちを歩き回った。不動産屋の前を通りかかると、ウィンドウに張り出されている物件案内の前でついた立ち止まったりもした。
 でも、すぐに結論が出た。
 ここは自分の住む場所ではない。
 パリに住む知人の誰一人として、うらやましいと感じさせる人はいなかった。むしろ、向こうのほうがこちらをうらやんでいるような有様だった。
 日本では、出版業は東京の地場産業だと言われたりする。大阪、京都の一部の出版社を除けば、地方出版はすでに壊滅していた。
 パリに住み、パリの書店で見つけた本を東京の出版社に紹介して、それでビジネスが成り立つとはとても思えなかった。
 パリで新たな仕事と人間関係を開拓するには歳をとりすぎていた。
 そしてフランスから帰ってきてまもなく、発作的に生まれ育った町に帰ろうと思ったのである。子供たちは結婚してすでに家を出ていた。それまで家族四人で暮らしていた家に一人で暮らすのはほとんど耐えられなかった。
 と同時に、翻訳一辺倒の生活からも足を洗いたかった。
 東京の家を売り払い、故郷の家を取り壊し、そこに新たな家を建てると、最初にしたのは地元の大学やカルチャーセンターの講師の口を探すことだった。
 そうやって最低限の生活手段を確保したうえで、自前の作品を模索しはじめたのである。
 そんな矢先にローラン・ビネという若い作家の処女作が送られてきた。
 圧倒的な若々しさ、みずみずしさ、切れ味のいい知性、私の失いかけているものがすべてそこにあった。
 誰がこんなものを読むんだ?
 そう、自問したのは自分が感動しても、日本の大方の読者には伝わらないのではないかと思ったからである。
 翻訳業のすべてを放棄しようと思っていたわけではなく、やるのなら売れる本、生活の支えになるような本を選んで仕事をしたいと思っていたのである。
 いい本だけど、売れませんよ、これは。
 というようなことを本を送ってきた担当編集者に口走った記憶がある。
 450ページもある小説の翻訳を引き受けたら、一年間はその仕事で忙殺される。時間を食われるだけでなく、こちらにかろうじて残っている気力、感受性のようなものも吸い取られてしまうような気もした。
 それほどローラン・ビネの才能は輝いていた。
 この小説は、小説家を志す青年の、いわゆる「自分探し」の物語である。
 語り手の「僕」は、ほぼ作者のローラン・ビネと重なる。そのように書かれているが、虚実ないまぜになっていると言ったほうが正確だろう。
 文庫版の解説を書いている評論家の佐々木敦さんとお話しする機会があって、そのとき彼は語り手の一人称を「僕」にしたのがよかったんじゃないですかね、というようなことを言っていた。
 そうかもしれない。でも、考えた末に「僕」を選んだわけではなく、原書を読んでいる時点ですでに語り手のJe(フランス語の一人称単数の主語)は「僕」しかないだろうと思っていた。思っていたというより、自然とそんなふうに読んでいた(というのもおかしい。なぜなら、原書を読むときは必ずしも日本語に直して読んでいるわけではないので)。
 いずれにせよ、語り手の「僕」は一九九六年にスロヴァキアの首都プラティスラヴァにやってきて、兵役の一環として、スロヴァキアの軍事学校のフランス語教師として赴任する。そこでアウーレリアという女の子と恋に落ち、今ではチェコとスロヴァキアに別れてそれぞれ独立した国の歴史について教えてもらうという設定になっている。
 「僕」は、第二次世界大戦終盤の一九四二年にチェコの首都プラハで起こった総督暗殺事件に強く惹かれていく。この事件で襲撃され、一命を取り留めたものの数日後に亡くなってしまうナチス占領下のチェコ総督こそ、ヒトラーに次ぐナチスNo.2、ヒムラーの「頭脳」と呼ばれたハイドリヒだった。
「僕」はこの事件を小説にすべく、徹底的な資料漁りを開始する。ナチス関係のノンフィクション、それを題材にしたフィクションは、それこそ無数にある。資料の全貌だって窺い知れない。
 自分はどういうものを書けばいいのか? ノンフィクション? 歴史小説? 彼はノンフィクションについて、歴史小説について、さらには「歴史」と呼ばれるものについて考え悩みながら、資料を漁り、草稿やメモを書きつけていく。
 この作品を書く過程で考えたことこそが、彼の「自分探し」であり、たんに探しているというより、作品を創作する過程こそが、作家としての自分を創作する過程へと重なっていく。
 これは画期的な小説だと思うと同時に、小説家ならば誰でも心当たりのある、処女作を書くときの通過儀礼ではないか、と思わせることろがこの小説の最大の魅力だと私は考えた。
 だから、こんなもの誰が読むんだ? 自分以外に、と思ったのである。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集