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多様性を履き違えるな😠
LGBTQ
かつては、性同一性障害や同性愛者など、精神疾患として治るものだと思われていた。生粋のレズビアンである私からすれば、腹を抱えるほどおかしな話だ。
しかしながら、中東、アラブ圏では未だタブーとされており、下手すりゃ死罪なので、まだ現代の日本は寛容になったのではないかと思う。
思い起こせば、幼稚園のお遊戯会では、男の子に混じって、新聞紙で作った刀を振り回したり、小学校の学習発表会で男物の袴を着て、悪代官の役をやらせてくれるなど、数十年前にしては、理解のある環境だったのでは?と感じる。
中学入学後は、制服のスカートが嫌で嫌でたまらなくて、学校に着いたと同時に着替えていた。
成長すれば立ちションができるようになると信じていた時期もあり、今でも『男に生まれていれば家庭を築けたのに…。』と年に一度は羨ましく思うこともある。(となると、100%レズビアンではなく、トランスジェンダーもあるかも?)
それでも、周囲には恵まれたため、好奇な視線や侮蔑的な言葉を投げかけられたことはなかった。学校でも以前よりかは「ホモ」だの「レズ」だの、悪口としてLGBTQに関するワードが聞かれることは少なくなったように感じる。
ただ、私が恵まれていただけで、一人孤独に悩んでいる子どももいるだろう。
昨今、性の多様性に配慮し、制服が選べるようになった。性別に関係なく、スカートとスラックスを選べる学校が増えている。
以前勤務した学校で、制服の選択制が導入されたときの話である。
その時、学年の生徒指導を担当していたため、週に一度の生徒指導部会に参加していた。
あのパワハラ校長が、
「多様性に配慮して、来年度から制服を選択制にする。」と決めたのである。
『保守的で差別主義なところがあなたの持ち味なのに、人間変わるもんだなー。』と驚いた。
「女子がスラックスを履いてもいいし、男子がスカートを履いてもいい。」
『うんうん。私もこの時代に生まれたかったよ。』
「多様性なんだから、スカートにネクタイをしてもいいし、スラックスにリボンでもいい。」(赤べこのように頷くごますり生徒指導主事)
『ん???それは違うんじゃないか?』
100歩譲ってクールビズでネクタイを外すことはあるけれども、スーツにスニーカー履くのは、相手に対して失礼ではないだろうか。
制服が正装の着こなしを学ぶためにあるのであれば、何でもありなら、いっそのこと制服を廃止すればいい。
性別に関係なく、スカートやスラックスを選択できることには大賛成であるが、着こなしはまた別問題である。
礼節。人間関係や社会生活の秩序を維持するために人が守るべき行動様式であり、特に敬意を表す作法である。
もし子どもが将来、白のスーツに柄物のネクタイ+健康サンダルで葬儀に現れ、「多様性だから認めてくださいよー。」なんて言ったらどうするんだ。敬意も常識もへったくれもない。
わがままと多様性をごっちゃにしてはいけない。
ところで、学ランの学校はどのように対応しているのか、気になるところではあるが、まずOBやOGが「伝統が○×△☆♯♭○□△☆※!」と騒ぎ立てるだろう。
もし、学ラン&セーラー服を採用している学校で、制服選択制が導入された例があれば、ぜひ教えていただきたい。
どこかの誰かの何かの足しになりますように。