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【多読と精読、両方大事】
【多読と精読、両方大事】
読書は心を豊かにします。
本を読めば視野が広がります。
ただガムシャラに読みさえすればいいというものではありません。
良書・名著を読むことが肝要です。
読み方も重要です。
多読と精読の両方大事です。
これに関して、
『修養 自分を磨く小さな習慣』(著者 新渡戸稲造 三笠書房)
の中に、こう書いてあります。
「私は必要があって、久しく手にしなかった厚い書物を読むことがある。
見ると、ところどころに自分でつけた符号がある。
読んでいくうちに、
かつて読んだことがあるような心持ちがする。
するはずである。
読んだに相違ないのである。
よくこういう厚いものを読んだものだと、
自分ながらに感心することがある。
雑誌などでもまたそうである。
自分で感心するようなことがある。
しかし、
それが少しも用に立っていない。
読んだことがあるというにすぎない。
また、
たいていの人の説は、
それを聞いてもいっこうにめずらしい心地がしない。
どことは判然とせぬが、
なんだかかつて読んだことのあるような心地がする。
それでいて、
ややしばらく考えなければ、
どこが出所なのかちょっと思い出せない。
いわば頭脳が紙屑でうまっているようである。
まったく自分の棚卸をするようであるが、
実際、自分は目的もなく多読したのを悔いている。
そこで、
私は自分の経験から割り出して、
多読の利益のあるところだけを取って、
害のあるところを捨てるように勧めたい。
それにはどうするかといえば、
一つの標準とする最良の書物を決めて精読するのである。
充分に精読する価値のあるものを決め、
そしてこの書物を反復して精読し、
表紙のはじめから、なかはもちろん、
最後の何年出版、何書店発行というところまでも読破するくらいの勢いで読むのである。
この書物を全精力をあげて読み、
その他の書物はこの書物の参考や補助として読む。
つまり、
標準書をすべて頭脳の中に入れて、
他の書物から得た知識は、
標準書を補足するのに用いるのである。
たとえば『論語』を標準書としたとすれば、
スペンサーでもミル(イギリスの哲学者・経済学者)でも、
すべてこの『論語』の参考として読むようにするという意味である。
それでは、
この標準書はどうやって定めるのか。
それは重大で困難な問題である。
目的とか、その人格とかによって種々ことなるのである。
だからその選択は困難であろうが、
いま述べた方法は多読をもっとも有益に応用する方法である。」(170頁〜172頁)
多読を有益にする方法は、
テーマを決めることと、
精読する本を定めることです。
私は、
ディーパック・チョプラ博士の著書を精読しています。
あなたは誰の本を精読しますか?
(推薦図書)
『修養 自分を磨く小さな習慣』
(著者 新渡戸稲造 三笠書房)
ご購入はこちら↓↓↓
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