〜たかふみ〜 TakaFumi
──古より続く詩想する魂の旅程──
恋愛や結婚について、両親を見ていて、気づいたこと。
新たなる楽郷へと
古くは関東大震災から、今日迄、本邦を襲いし地震災害は、人工によるものらしい。 三陸を襲った津波が、今でも脳裏を過る東日本大震災の直後、自分は内陸の冷凍倉庫で、大型ショッピングモールの食品を只管、運搬する人材派遣会社員として、働いていた。 過去から、現在に至るA國の他國への、恣なる専横を国際社会は如何せむ、という映画でも創作したら、如何だろう。 他にもE國やF國など、世界は其の収奪を放ったらかしにした儘なのか。 間違いを改めぬを誤ちと言う、と過去の思想家は説いていた。
選択するのが生きる事、正答するのが人生と、永き間に教えられ 疑問も持たず、大勢が認めるものを正しさと、所有を求め働いて 其れを残して死ぬるのが、理想の生と漠然と、心に想い想わされ 数字を求め、求められ、其の反動で食欲が抑えられず身が肥えて 金子の額が正義なり、生きる意味よ、とメソッドを売りて、彌益 肥ゆる身よ…… 小判鮫は育てども、己と同じ功を成す者は依然と現れず 幸せ不幸は功の成るか否かに関わらず、生きて死に行く 人生の過程の内なる毎日の活動の中、愛感じ、愛
心は何時も泣いていて 酒を呑みても収まらず 煙管を片手に煙に巻く 寂しさ哀しみ何処より 吾に去来し、覆いたる 陽の中、風の吹く外に ペダル廻して風を斬る 甘き虚構希いて幾星霜 耐えて望んで疲れ果て あれは嘘だと望み捨て 生きて行くのも困難で なにを怨むや否むべき
世界は想念、つまり、相手の心×今心にありし事、による。 此の可能世界=マルチバースは、他己(自身以外の己=すべての存在)と自身の心の積により、構成・躍動・存在している。 構成と躍動及び存在は三位一体で、夢×現×幻の総体。 上の次元から、眺るに、過去・現在・未来が、同時に構成×躍動×存在してる、と認識すれば、此の世界は始まりも終わりも無く、絶えず、恒常的な生成だ。 吾吾は常に何ものかとして、存在して来たし、存在し続け、無益な受難と考え感じている。 要約せば、此の宇宙世
此の世界を会社と顧客からなる大きなMarketやとimagineして── 「そんなに暇人じゃない」 まあ、そう、文句ば垂れてば垂れでも構わね んだども、想像すてみでけろ 吾吾、衆生は顧客いうか無知無明の無妙なる存在 ゴータマ・シッダルタいう創業者の此の世界の大いなるコンツェルン・仏號吽誰が為に鐘鳴らす社の富源サットバは『課長 島耕作』の様なもんやと、想ってね 號吽社は此の世界の者すべての幸福即ち解脱の為にある。 だが、そうなったら、最も困るのは、富源をはじめとす
想鐘 虎鷹 1 「誰もが、一編だけは物語を書ける」と、有名な戯作者が言ってた。 其れは、自身の半生の事らしい。 だが、過去は未来と同じく、フィクションつまりは虚構だ。 人は過去は変えられないが、未来は変えられる、誰もがそう述べ、おらあも嘗てそう何かに書いた。 だが、過去の事実は果たして事実やろか。 多くの場合、過去は記憶である。 中學の時の友人は、合唱コンクールの時の出来事を何十年も経ってから、数人のクラスメイトに語ったが、おらあの他は誰もそんな出来事を記憶し
或る人は言った 「山の彼方(あなた)の空遠く……」 何時も欲して求めてて 手を伸ばして得ようとしても 獲得出来た事なんてなくて── だから、求めるのは辞めよう 手を伸ばすのは無駄と 言い聞かせても やっぱり欲しくて でも、得られるなんて信じられなくて 何時も失望をする為に生きてるって そうとしか、想えなくて 感動的な物語やドラマを見ても 自分には関係ない事柄だから 決して心なんか動かさない そう決めてた自分がいて 山の彼方の空遠く 幸い住むと
想鐘 虎鷹ユートピアとは羅甸語で[何処にもない場所]=理想郷という意味である、らしい。 文法的に語句的に正しいかまったく、わからぬが、ヌロテンポレを[無時]=夢想時代とでも名づけ、論を進める。 以下に述るのはすべて間違いなので、よーく聴いていただければ嬉しい。 物品やサービスというのは、利用され活用されてこそ、意義があり、吾吾も其れで最大限に幸せになれる。 店舗に置かれてる商品は売れなければ、死蔵してると言える。 だから、世界的実験をしたら、如何だろう。 つまりは
想鐘 虎鷹 歯科医の友人はおらあが、入院した時、其れは其れは豪勢なフルーツバスケットを2度もくれた。 本当に彼はいい奴なんだ。 だが、彼は、おらあに自分より幸せでいて欲しくはなく、出来得るなら、おらあに強烈な羨望の眼差しを向けられる事を望んでる、のだろう。 「ナヤに勝った」 中學最後の期末テストが終わり、とても喜んでいた彼の様子を見て、おらあ、本当に嬉しかったんだ。 でも、何十年も経て、其の事を話した時、奴は怪訝な顔をしていた。 多分、おらあに心からの悔しさを感じ
想鐘 虎鷹「そんな人をそんな様な処に配置すべきじゃないよね」 と店主は当たり前という口調で、彼の正面のカウンター席のお客に対して、同意を求めていた。 もう二昔前の、既に当時は有名店となっていた飲食店でのやり取りの様子が浮かぶ。 詳しい内容はまったく、覚えておらぬのだが、彼の其の時の信念とは [障がい者を受付などという重要なポストに置くのは間違っている]というものであったと記憶している。 何らかの不利益や滞りなどを被ったのかも知れぬが、果たして、あなたもそう感ずるであろう
想鐘 虎鷹 7年半程前、中學からの友人であった男に絶交された。 彼は中3の時、転校して来て、ハンサムな男だった。 当然、女子からも人氣はあった。 彼とは1番後ろの席で隣りで、担任の大谷律子先生の数學の授業中、教科書を立て、隠した『俺の空』を一緒に読み進め、一瞬、授業で何をやってるのか、2人共把握出来ず、先生に質問をする羽目に陥った事もあった。 彼曰く「先生はあの時、自分たちが漫画本を読んでた事に絶対気付いてた」 一昔位前、彼は「大谷先生にお会いした」と述べ、仕切りに
想鐘 虎鷹 田や人工湖に今年も又、白鳥たちが集っている。 此の七歳、ほぼ独り、又、明治天皇の誕生日を迎える。 デフォルトが独りなのだから、慣れてはいる、積もりだ。 だが、望む状況は訪れず、本年も暮れ行く、のだろう。 幸せそうな家族連れなどを眺め、鹿角を細工して作った煙管にシャグを詰め、ベンチに座り、喫し、自身を顧みる。 与えたものが与えられ、後は天に任せよ、と何度告げらても、「確かに其れはそうなのではあるが、此の飢渇を如何にせよ、と言うのか」と不満を抱き、こうして
想鐘 虎鷹 「人の不幸は蜜の味」とかいう言葉がある。 自らの人生で余程、酷い事をされたりした人物に対してなら、そう感じてしまうだろう、と自分を振り返り想う。 半世紀以上の年月を放浪して来て、出会した人の中には、憎んでしまう程の人物も何人かはいた。 幾人の人人には、此の自分自身も、其の様な存在であったのだろう、そう想像している。 人が他者に辛くあたってしまう、という事態の根抵には、其の人物が充たされぬものを抱え、不幸な状況下でも懸命に生きてる、という、そんな健氣で儚い
想鐘 虎鷹 大昔の人は大地は平らで、其の下には象や亀、其の他諸諸がいて支えてる、と此の世界を想像してた、という話がある。 世界の果てでは海が滝の様に落ちていると信じてる人が多かった時代、コロンブスが此の世界は球で、必ずインドに行き着くはずだと考え、結局アメリカ大陸の人人を蹂躙する端緒となった大航海時代は白色人種の有色人種に対する虐殺や収奪の幕開けで、誰が誰に対して後悔するのが適切なのだろう。 太陽が此の世界を周ってるのではなく、地球と言われる此の世界の方が太陽の周りを公
想鐘 虎鷹 人は生きている中で、自身の嬉しさや悲しみ等、様様な体験をしている最中、或る事に此れ以上ない幸せを感ずると其れを何者かに感謝する。 其れを運命と呼ぶか神と呼ぶか将又自身の努力の賜物と想うのかは人其其ではあるが、此れ以上もない悲しみなどに遭遇すると其の同じものを恨んだり、詰ったりもする。 斯様に人即ち其は此れを記している自身の事なのであるが、自身の事を他の人も同様であると断じ、自らを慰めているだけなのかも知れぬ。 真理なるものを提示されると人人は其れを発見した