知んねえけど、信念について
想鐘 虎鷹
大昔の人は大地は平らで、其の下には象や亀、其の他諸諸がいて支えてる、と此の世界を想像してた、という話がある。
世界の果てでは海が滝の様に落ちていると信じてる人が多かった時代、コロンブスが此の世界は球で、必ずインドに行き着くはずだと考え、結局アメリカ大陸の人人を蹂躙する端緒となった大航海時代は白色人種の有色人種に対する虐殺や収奪の幕開けで、誰が誰に対して後悔するのが適切なのだろう。
太陽が此の世界を周ってるのではなく、地球と言われる此の世界の方が太陽の周りを公転してる、と言った科學者を宗教団体が弾圧した時代もあった。
其れから、時が進み、現在は此の太陽系自体が、電子の様に宇宙の中を絶えず廻ってる、そう聴いている。
だが、其れは、自分にとって風聞でしかなく、「そうなのか」とボンヤリ信じているというか、「嗚呼、そうなの。でも、其れを実際に見た訳でも、感じてる訳でもあらへんが」と。
だって、感覚として、朝起きて、太陽は昇って来るから、此方から見れば動いてるのは御日様やし。
つまり、[人の言う処を今の自身の心]に留め、此れが即ち〔信念〕なのだと。
どうやって、そんな難しい事に氣づいたのか、わかったかはとっても謎で驚嘆で、自分の想像を超えてる、としか。
自身が生きてるのは殆ど信念によってであり、自身が氣づいたり、発見したもんなんてないも同然で、昔の人の世界観を笑う人も多いけど……
でも、現在の此の科學による世界観も後の世の人人に笑われる可能性はないんかね。
おらあ、「ある」と想ってるし、「其の方が面白え」と期待してる。
「出鱈目だったら、面白い」という歌詞もある。
何が正しく、何が間違ってる、かは其れこそ、人人の数が決めてる、其の様にしか感じられん。
其は即ち[信念]であり、どんなに出鱈目でも、間違ってても、おらあ、愉しい方が好きやし、其れを単なる[今の心]に抱いて、所謂〈抱念〉して生きてる。