当然とは
想鐘 虎鷹
「そんな人をそんな様な処に配置すべきじゃないよね」
と店主は当たり前という口調で、彼の正面のカウンター席のお客に対して、同意を求めていた。
もう二昔前の、既に当時は有名店となっていた飲食店でのやり取りの様子が浮かぶ。
詳しい内容はまったく、覚えておらぬのだが、彼の其の時の信念とは
[障がい者を受付などという重要なポストに置くのは間違っている]というものであったと記憶している。
何らかの不利益や滞りなどを被ったのかも知れぬが、果たして、あなたもそう感ずるであろうか。
実際、自分も彼と同じ場所を訪れ、同じ受付の方と接してみなければ、単なる筆者の見解による不当な断罪に過ぎぬ。
しかし、彼の此の見解を聞いただけで、数席左側のカウンター席にいた自分はとても哀しく感じていた。
彼は既に、其の時、人の親となっていたと記憶している。
遇遇、自分の子供たちは健常者だったのだろうが、若し、彼のお子さんが障がい者だったとしたら、彼は此の発言をしたのだろうか。
障がいを持ちながらも、受付をやってる自身の子供に誇らしさとかを感じ、其の組織の温かな想いやりに心からの感謝で一杯になってたのでは。
彼の店には、禁煙になった事をきっかけに永らく行ってない。
また、行く氣は毛頭(けあたま)ない。
吾が町の市に出店してる処を見かけたりもする。
5年位前は、其の時、何がしかを求め、少し話した。
「働いてるの?」
「働いてない。でも、働きはある」
と返答したら、もう大きくなった自身の娘に対して、
「この人働いていないんだよ」
と戒める様に言っていた。
一体、此の様な状態のおらあの何が、彼を羨ましく感じさせているのだろう。
幾ら昔、親しく交わり、遊んだりもした客に対してだからと言って、其の様な彼の行いは見苦しい、今そう感ずる。
なべて、世の人人はお金を生む仕事をしてない人間は屑で、障がい者などは往来などするな、そういう感じ……
彼の店舗は現在かなり増えて来ているみたいである。
歯科医の友人だった人物とか彼みたいな成功者って云う存在は、そんな価値観を抱いてる、のか。
前者はおらあが「自分は幸せだ」と言ったら、「そんなの嘘だ」と言って、決しておらあの幸せなど望んでいなかったと、たった今氣づいた。
沢山のあるものに囲まれて、贅沢な生活を送れている自分はこんなに苦労を毎日して、遊ぶ事が出来ててどうにかこうにか幸せなのに、何ひとつ持ち合わせてもいねえお前が[幸せ]なのはおかしい、嘘だ、許せねえ、そんな処だろう。
彼らは成功出来てる事に心から感謝出来ていない、多分、そう。
一方、おらあは頭のネジが5本程無いも同然なので、持っていないものだらけなのに、本当に周りの人人の温かさに感激し、I can't get no satisfactionであるにも関わらず、心は嬉しさで一杯。
たった其れだけなのに──
多分、毎日が忙殺されてて、ゆとりなどまったく無いんやろ。
気の毒に、お疲れ〜