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そう言や

想鐘 虎鷹


歯科医の友人はおらあが、入院した時、其れは其れは豪勢なフルーツバスケットを2度もくれた。

本当に彼はいい奴なんだ。

だが、彼は、おらあに自分より幸せでいて欲しくはなく、出来得るなら、おらあに強烈な羨望の眼差しを向けられる事を望んでる、のだろう。

「ナヤに勝った」

中學最後の期末テストが終わり、とても喜んでいた彼の様子を見て、おらあ、本当に嬉しかったんだ。

でも、何十年も経て、其の事を話した時、奴は怪訝な顔をしていた。

多分、おらあに心からの悔しさを感じて欲しかったのだろう。

「何で此奴、自分より勉強してねえ(時間的な事等らしい)筈なのに、成績いいんだろう」と彼は何度か言っていた。

どうやら彼には、勉強とは無理強いであり、競争で勝つ事で、社会的に成功する為に必要最低限の労力でテストに受かる、事らしい。

旧制中学だった高校に門戸を開けて貰えず、地元の底辺高に進む事になったおらあを、戦後の新たなる県都の新興進學高のナンバースクールとしては2番手の学校に受かった彼は、お父さんが支配人をされていたホテルでのバイトに誘ってくれた。

春休みも終わりを迎える少し前、彼のお父さんの車で送られ、帰宅すがら、賜ったお言葉は「鶏口となるとも牛尾となる勿れ」釈然としなかった。

おらあ、勉強がとても楽しかった。

だって、知らなかった事を知れば、世界が拡がるから。

何より、本当の事を知りてえし、可能な限り多くの人と共に幸せになる世界を創れるという希望のもと、哲學を専攻した。

彼から二昔前聞いたところによると、彼の選択は[最小限で大金持ちになれる方策]を追求した結果だと言ってた。

其れから、何十年も経ち、彼は其のバイトの時、仕事中なのに口笛を吹いていた、と言って、おらあを責めた。

ただ、皿洗いが愉しかったから、想わずそうした、のに。

おらあ、数II迄しか習ってねえし、当然、数Ⅲも習った彼に[非ユークリッド幾何學]について質問したら、「知らない」と言った。

大學を6年かけて、漸く卒業して、間も無くの頃、ガソリンスタンドでアルバイトをしてた時、大學の違う學部の後輩にあたる職場での先輩の男性と話をしたら、彼が進學したのは、[大卒]というチケットを得て、社会的に有利になる為、と言っていた。

多分、そういう価値観で生きている人が相当数なのだろう。

勉強なんかしたくねえのに、[強いて勉めてる]人はどれくらいの数にのぼるんやろ。

世間の殆どのテストが、今や択一式の解答を求める方式のものとなってしまっている。

凡ゆる[學び問う]生き方を実践するには、他者や友人と交流し、共に道を模索するのが、最上である、と考える。

試験というものをすべて記述式という本来の姿で行ったら、色色なユニークな解答が噴出して、此の世界を豊かにするだろう。

ネットの商品を購入したり、動画を視聴するというのは、数ある其れらのものから、選択する、という事であり、現行のテストの在り方が、人人の生き方を助長させている、そうじゃないだろうか。

生きる事が、他者よりいい生活と言われるものを手に入れる為の競争で、幸せとは他の人人から、羨望される境遇にある様に見える様に多額のお金を絶えず生み出す仕事なんかをこなす事であるのなら、幸せになんて行き着く事も出来ず、充たされる事はあっても、そんなのは束の間であり、疲弊の内に生は潰える、そう感ずる。

毎日が人との交流を愉しむ事であり、共に幸せを感じ、拡大させる活動なら、問題は課題であり、例え、生が潰えても、生き方に共感してくれた有志がより好い世界を齎してくれる、だろう。

此の世界は不思議で驚嘆する出来事が一杯で、温かくやさしい、自分にとって此れが実感で、そんな子供のまんまの自らを生き表現するのが、人生や出逢う人人や存在への感謝で恩返しであり、幸せなんだ。

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