第3章 呉越同舟 (1) 大人の世界って?(2023.9改)
緊急事態宣言解除後でも「コロナの対応が遅い」「なぜ、国会を開いて審議しないのだ?憲法違反だ」等と動きが遅いと非難を浴び続ける政府に輪をかけるかのように、様々な事案が日々降りかかる。
政府として何もしていない訳ではないのだが、台湾、韓国、ベトナム、ニュージーランド等の国々の政府が迅速な対応を取って、コロナ対策で成果を上げ始める一方で「日本政府は何やってるの?少しは他国を見習えよ」という声が、日増しに強くなっていた。
食料品、生活物資の値上がりに対して、政府は高齢者や生活困窮者に対しての支援策を講じると慌てて言い出しているが、全てが後手後手だった。日本政府が矢面になるのも、コロナが世界中の問題となっており、各国政府ごとの対策が比較されて紹介されるのでどうしても見劣りする。
政府としてアクションを起こしたものは4月の緊急事態宣言、6月中旬ではまだ配給されていない10万円支給とアホノマスクとなる。
欧米ではいち早く減税策や生活支援金の配布がとっくに始まっているのに、国民には支援の手が及んでいなければ非難を浴びるのも当然だ。
以降も晩秋まで国会は開かれず、コロナ対策では何の成果も挙げられないまま時間ばかりが過ぎてゆくのだが、コロナで政府が動き出すのはワクチン調達に動きだしてからとなる。つまり、翌年になるまでノープラン状態が延々と続き、緊急事態宣言を再度発令してみたりして「やってる感」を政府として滲ませるだけとなる。
そんな体たらくな状態がこの先も暫く続くのだが、6月末にはコロナ禍での都知事選、富山知事選が始まろうとしている頃、トップニュースではないが「コロナなのに経済活動が活発に行われている」という某地方からのニュースが全国で流れるようになる。
まずは6月の中旬だった。ニュースでは報じられなかったが、日本政府には理解できない事態が生じていた。ロシアとオーストラリアの穀物運搬船、計4隻が富山の新湊港に接岸し、新湊にある穀物倉庫を満杯にしたという。
日本では小麦の調達を政府が一手に引き受けて全国並びに企業に供給するようになっているが、シンガポール企業のプルシアンブルー社が調達したので、国内ルールの対象外と見なされて入庫したらしい。
本件には富山の県議たちが輸入に際する検疫や船舶乗務員のコロナ検査などを裏で支援したようで、政府と与党は黙殺し、マスコミにも公開しなかった。
外務省はモリが両国大使館に訪問した際に議題になった案件だと認識していたが、想定を遥かに超える小麦の量に驚いた。また、小麦の価格が最も安くなる6月の調達なので「備蓄用ではないか?」と同社の動きを農林水産省が注視し始める。ベトナムデルタの同社農地でジャポニカ米の栽培を始め、タイ中央部でも新たに耕作放棄地を獲得しており、収穫後のコメの販売先についても追わねばならない。
最初に報じられたのは、新聞の国際欄のやや大きな記事だった。タイのソンブリ県内でプルシアンブルー社のサービスを導入すると報じられると、タイ各地の田園地帯が同社のサービスを受けたいと各地の農協経由でタイの農水省に要望が届きはじめているという。
タイより先行しているベトナムでも同社のサービスが急速に広まっており、小松港からベトナムへ向かう輸送船が絶えない状況だという。
この辺りのニュースから「富山発」のニュースが時折、全国のニュースで度々報じられるようになる。
太平洋側の輸出入が殆どストップしている中で、特定の国相手とはいえビジネスが継続しており、日本の輸出総額から見れば些少な取引であっても「日本国内で不足しているもの」が届くと、ニュースとなり、話題となる。
当初は日本からベトナムへの機器輸出のニュースだったが、それだけではなかった。ベトナムから到着する物資が話題となる。積み荷には、国内で不足して入手困難な状況にあったマスクや消毒用のアルコール、医師が着用する感染防止ウエアの数々が次々と届き始めた。
アホノマスクの支給前で安価な紙製マスクだったので、販売した北陸では売れに売れまくった。
また、巣籠り需要の急増で生産が追いつかず、品薄となっている清涼飲料水、ジュース等の飲料やビール、菓子類も次々と運びこまれ、富山市と金沢市の特定の地元スーパーで、格安品として販売を始められるようになる。
日本コカ()ーラ社や、ペプシコ()ラ販売元のサンドリー社からは海外生産品を持ち込むのはルール違反ではないか、と指摘する声もあったが、国内生産が追いつかずに品薄になっている状況では致し方なしとなる。
何よりも品薄のモノが潤沢に店頭に並ぶと客と店舗からも歓迎され、不問となる。国内よりも安い値段というのも輪をかけた。
菓子メーカー大手のケルビー社や老舗インスタント食品の日清々食品は、ベトナムやタイのご当地商品も販売しているので、特に異を唱えなかった。
特定のスーパーのみの販売ではあったが、客が殺到している映像が流れる。
「お一人様、X本限り」「X個限り」と限定販売だったが潤沢に商品は配送された。
商品を卸しているのはシンガポール企業のプルシアンブルー社の日本法人だと、富山内では知られるようになる。販売しているスーパーに最近出資して、テイクアウト料理の屋台をスーパーの店舗で始めたのは、市民もよく知っていた。
国内で最も話題となったのが、小麦の販売だった。巣籠り需要で、小麦の販売価格が世界的に上昇し7月から値上げをすると政府が発表するとプルシアンブルー社が早速動いて、入荷したばかりの小麦の販売を始めた。
富山の商工会に属する飲食店、パン屋、製麺会社に値上げ前の価格で小麦を提供するとプルシアンブルー社が提案し、富山県内の商工会全体で必要な量を購入する事になった。
小麦を必要とする小売店は全国的に値上げに踏み切ったが、富山県内だけが据え置きとなる。
「なぜ、富山県だけが出来て、他県では出来ないのか?」誰もがそう思う。
県会議員が取材に応じて「小麦価格が上昇するのは事前に分かっていたので、事前に対策できた」とコメントした。他県の人々は「富山県議会は凄い、小麦を取り纏めている日本政府は一体何をやっているのか?」と勘違いしたが、富山県民は事実を知っていた「富山県は調達していない。仕入れたのはプルシアンブルー社だ。金森候補者のお陰だ」となる。
兎にも角にもプルシアンブルー社の手掛けている事業は順調に動き出していた。
特定のスーパーが儲かっているのを見ると、安い飲料や菓子類、マスクなどを当社でも扱いたいと問合せと相談が舞い込んでいたし、富士山麓や南アルプスでの鹿狩りが成功していると知れば、北アルプス、中央アルプス、北海道石狩、熊本阿蘇、宮崎九重などの山麓での狩りの支援要請も、同社に殺到し始めていた。ハンターを集めるのもコロナで憚られるので、獣医とエンジニアという少人数で対応できるという側面も作用した。
そんな状況下で、タイ中央部向けのサービスインに向けて、急ピッチでマシンの増産体制を取り、タイ駐在スタッフの人選が進められていた。
富山、石川両県でプルシアンブルー社とブルーインパクト社が売上のトップテン入りすると、両県の県民に絶えず目に留まる企業の一つになってゆく。
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富山駅前のプルシアンブルージャパン(以下PBJ社)に人事部が出来た。サミアが元同僚の山下智恵を引き抜き、山下が人事や総務経理担当の5名を引き連れて富山入りした。
新工場建設が進んでいるが工場の従業員の採用前に、スーパー向け食品卸会社に資本を入れて子会社化したのだが、物流倉庫や輸送の人員の増員が先行し、採用活動が始まっていた。富山だけでなく北陸全体を見回しても、賃金等の条件を都内並みに設定したので転職組が大半を占める。
初回の採用活動なので「好条件」の噂は必要と山下はサミアとモリに主張した。次回以降の採用活動にもプラスになるし、「金森の息子の企業は給料が高い」という評判が広がれば得票にも繋がるはずだと。
金森候補者の選挙公約の一つには、「在任期間中に首都圏並みの賃金取得を実現する」とあったが、PBJ社が率先して賃金上昇をする波及効果に期待していた。
このタイミングでPBJ社に富山県と消費者庁、公正取引委員会などから訪問要請の通達が届いた。サミアから「同席して欲しい」と要請が届く。
そろそろ来るだろうと思っていたモリは、レターに書かれた部門に電話し、平日定時後であれば消費者庁などに訪問できると言って、アポを取った。富山県とサミアはリモート参加とした。
するとその翌日外務省の里中氏からのメールで、「外務省の方にお越し下さい」と場所が変更なり、富山県とPBJ本社のネット参加は不要となった。
これは想定外だった、少々ややこしい事態になるかもしれないと感じた。
夕刻学校を出て、ラッシュを気にせず田園都市線で都内へ向かい地下鉄にそのまま乗り入れる。大使館巡りから始まって、いよいよ国を相手にするようになったかと思うと、それはそれで感慨深いものがある。「存在として、無視できなくなった」と判定されたとすれば、光栄と受け止めても良いだろうと思う。
ただ、プロジェクトを破壊される段階は既に過ぎ去っている。ベトナムとタイという国家が介在した以上、ここで難癖をつければ外交問題になりかねない。政府もそこまで愚かではない。すると、条件をつけてくるか、介入してくるか、だろう。外務省として是が非でも関与して「実績」にしたいのかもしれない。
食料品輸入販売の難癖は回避できたかもしれない。
霞ヶ関駅で降りて地上に上がる。久しぶりの官庁街だと思いながら、傘をさしたまま外務省の門を入っていった。
受付で名刺を出そうとすると、後ろから里中氏に声を掛けられる。過去はどうあれ、頭を下げて礼は保つ。
「お越しいただきありがとうございます。上に上がる前にちょっとだけ宜しいですか?」
里中氏がロビーのソファーを指すので、仕方なく従う。
「大使館のあと、上にも頼んでビジネスジェットだけど政府専用機と自衛隊輸送機3機の計4機を用立てるようにしました。タイ側にも伝達済です」
ソファーに移動しながら里中氏が切り出す。ソファーに向かって手を出したので座る。
「それで、そちらは何がお望みなんですか?」
「その前に哀しいお知らせが一つあります。マイク・リーさんが2日前に亡くなりました。
ジャカルタ出張でコロナに感染してそのまま病院で」
モリは絶句する。シンガポール政府の外務副官で、今回裏でいろいろ手を回してくれた。ワシントンの大使館勤務時は猟仲間だった。あまりに突然の話に頭を抱えてしまう。
「マイクさんが林 泰山である、あなたをサポートしていたのを、マイクさんの奥様から教えて頂きました。この話は誰にも話していないので安心して下さい」
「黙っててやるから、言うことを聞けとおっしゃるのか?」下を向いたまま話す。
「そんなことは申しません。プルシアンブルー社は完全に立ち上がった。マイクさんが居なくとも、大丈夫なんでしょう?」
「それはそうですが・・」・・困った話が一つだけ残ってしまう。
「シンガポール法人を日本法人に移転させるか、あなた名義の会社にするしかないのではないでしょうか?」
「そうですね・・それは考えねばなりませんね・・」
「私からの提案ですが、日本政府としてODAの適用が出来ないか外務省として検討しています」
ODA(政府開発援助)、モリの学生時代は紐付き援助と呼ばれて批判の対象だった。ダムやプラント建設などの大型案件が多かった。
「タイだけでなく、ASEANの稲作地帯向けのプロジェクトとして進めるのです」
そうなったら、入札などを介するので実施まで時間がかかるのでは?それよりも、日本政府の援助案件になってしまう・・
「色々悩んでいるのは分かりますが、御社側へのメリットを申し上げると、プルシアンブルー社はタイを始め各国の査察対象から外れます。ダミー会社であっても問われません」
「しかし、日本側の調査対象にはなる」
「おっしゃる通りです。そこでまずは日本法人のプルシアンブルージャパン社で申請して、我々が承認してしまうのです。外相のサイン押印は私が取り付けますのでご安心下さい。プロジェクトがスタートして数年後の査察までに、ダミー会社を実体化すれば良いのです」
「それって犯罪では?」
「大した問題ではありません。御社の製品は他社には無いユニークな製品ですので指名入札を形式上は取ります。ODA案件としてスタートするのは来年度予算、早ければ当年度予算で年明けとなります。その間、タイ農民銀行に先行融資頂いて、ODA案件となってからタイ農民銀行に返済融資として支払います。何しろ即時性が求められる案件です。
しかも御社のサービスでありソリューションは高いものではない、賄賂の心配も全く無い」
「そろそろ時間です。移動しながら話しませんか?」
「ええ」2人でソファから同時に立ち上がる。
「今回購入する耕作放棄地はODAとは別にしたほうがいいでしょう。あれはウチの利益の源泉だとして後々で指摘されかねない」
「そうですね。何か方法を考えないと・・その、ちょっとは恩返しになりそうですか?」
「恩返しって・・」
「世間知らずだった私に、大人の世界を教えてくれたお礼です。さ、こちらです」
エレベーターに乗り込んで、同乗者が居たので2人で黙り込む。
話が変わってしまうのか?、このアイディアに乗っかっていいのか?とモリは自問自答していた。
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夜遅く家に帰ると、幸乃さんが2人居る・・細胞分裂?
「双子だったんですか?」と訊ねたら、片方がガッツポーズをして、片方が項垂れていた。
項垂れていたのは8つ下の妹さんで志乃さんというお名前だそうで、「はじめまして」「突然お邪魔して申し訳ありません」と挨拶を交わす。
玲子と姉の幸乃さんの笑いに既視感を覚えながらも、着替えに自室へ入っていった。
「まさか、新メンバーって話じゃないよな?」と思ったが、8つも下なら30代前半なので「まだまだ現役、おっさんなんか不要だ」と思って、気分は晴れた。
着替えて戻ると、玲子が甲斐甲斐しくビールと冷奴と枝豆を出してくる。
「お疲れ様でした」と注がれるのはタイのシンハービールだ。富山で提携しているスーパーで株主優待で箱買いして持ってきた。冷奴は五箇山豆腐で、薬味は庭のシソの葉とニラ、枝豆は翔子の会社の冷凍食品のようだ。
「どうでした、外務省?」姉の幸乃さんが聞いてくる。彼女の娘の彩乃とウチの娘がパジャマ姿で現れると左右に座りこむ。
2人ともブラしてないから先っちょがトンガってるし、君たちに話したって分かんないんじゃないかな?と思ってたじろいで居たら、玲子が自分の胸を叩いて「お姉さんに任せなさい」というような表情をしているので、頭を下げた。
「取り敢えず、金森鮎、当選確定いたしました。皆様、どうもありがとうございました」
と、今度は深々と頭を下げた。
顔を上げると、皆「は?」という表情をしていた。
(つづく)