江東寺訪問~涅槃像と松倉重政、板倉重昌の墓(2023/8) @長崎県島原市
蔵出し投稿です。
昨年8月、夏の暑い日に島原市にある江東寺を訪問しました。
江東寺は島原市内の町中にある曹洞宗のお寺です。
位置関係はこんな感じで、湧水庭園四明荘など観光名所の近くにあります。島原城からも歩いて15分ほどの距離ですね。
島原の観光パンフレットに大きな涅槃像の写真が掲載されているのを見ますが、その涅槃像があるのがこちらの江東寺になります。
板倉重昌と松倉重政の供養!?
そうなんです。こちら江東寺は松倉家の菩提寺となります。
松倉重政(1574~1630)は、島原城を築城した初代島原藩主。
元和2年(1616)有馬晴信の旧領であった肥前国日野江4万3千石に入封。有馬氏の居城であった日野江城、原城を廃し新たに壮麗な島原城を築城。石高に対し分不相応な築城のため領民に重税を課し、領内のキリシタンを激しく弾圧したといわれ、後の島原天草一揆につながったといわれている。寛永7年(1630)小浜温泉にて急死(暗殺説あり)。
板倉重昌(1588~1638)は、島原・天草一揆の際に幕府の上使として派遣されながら、功を焦って一揆軍に総攻撃を仕掛けたところ、逆に眉間を撃たれて戦死した武将。
(島原半島に関わりのあるこのお二方、同じく「しげまさ」で少々紛らわしい・・)
境内にはこのお二方の墓碑が涅槃像と並んで建っています。
松倉重政、板倉重昌ともに後世の評価が今一つ芳しくない武将ですが、江東寺の小高い場所に大切に祀られていました。
松倉重政については、前任地の大和国五條では名君として「豊後様」と称えられており、謎が多い人物ですが、近年、島原発展の基礎を築いた殿様として再評価の動きがあります。
私も以前、松倉重政および島原天草一揆に関する記事を書きましたので、併せてお読みいただけると幸いです。
(その後に得た新たな知見もあり、今後リライトするかも・・。)
*原城跡と島原天草一揆に関する記事です。城内に板倉重昌の死後約160年後に建てられた顕彰碑があります。
以上、お読みいただきましてありがとうございました。
参考文献
・『島原城まるわかりブック』(2024.3/吉岡慈文監修/島原城築城400年記念事業実行委員会)
*こちら、島原市のHPも参考にさせていただきました。