シェア
黒豆珈琲の修行時代
2023年6月26日 12:29
この論文は昭和二十二年に発表された。福田は、文学の効用を考えるにあたり、まず芸術至上主義とは何を意味するかを問う。人はよく芸術のための芸術を批判して、人生のための芸術を説く。それに対して福田はこう反論する。屁だってくしゃみだって、身体の健康のために行っている行為なのだ。すなわち人生のために行っている行為なのだ。ただそれをいちいち意識していないだけのことである。つまり同じように、芸術のため
2023年6月25日 10:47
「福田恆存を読む」において行っていたことが、『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(千葉雅也)を読むことで、少しばかり自分の中で明瞭になった気がする。 「福田恆存を読む」は、私という一個の人間が五感をフルに使って福田恆存という人間に対面しようという試みだった。少なくとも意識的な動機はそのようなものだった。これまで私は出来る限り正確に、福田の意を読み取ろうとして注釈を続けてきた。しかし、私
2023年5月2日 10:47
まず冒頭の引用から始める。いかなる言葉を選択するかで問題の所在が決定される。そう前置きをしてから、福田は「文学者の戦争責任」という言葉について論じ始める。福田曰く、それは明らかに言葉の濫用である。そんなものはどこにも存在しないからだ。福田は言う。仮に、戦時中に国民に対して宣伝的文章を筆にした作家に非難を加えるとするならば、詰問すべきは「文学者の戦争責任」ではなく「文学者としての責任」である