マガジンのカバー画像

ゲーテ研究

9
リサーチクエスチョンは『ゲーテは如何にして別離を乗り越えたか』
運営しているクリエイター

記事一覧

ゲーテと雨の日

ゲーテと雨の日

外は雨でした。私は家で『イタリア紀行』を読んでいました。

この、なんとなくどんよりとした気分を、晴れやかにしてくれる気がしたからです。

ゲーテを乗せた馬車は、ゆっくりと峠道を進んでいます。ゲーテはいま、イタリアへ向かう途上にいます。

道中、ゲーテは目にした山々や雲の形に驚き、気温や湿気を肌で感じています。通り過ぎる土地土地の気候をつぶさに観察し、鉱物や岩石にも細やかに眼をとどめ、梨やぶどうを

もっとみる
ゲーテとリスボン大地震

ゲーテとリスボン大地震

1775年11月1日、ゲーテが6歳のとき、西ヨーロッパに巨大な地震が発生しました。リスボン大地震です。

この大地震は、ポルトガルのリスボンを中心に甚大な被害を出しました。当時の西ヨーロッパ社会全体を、物理的にも、政治的にも、そして精神的・思想的にも、大きく揺り動かしたのです。

ゲーテは、自伝『詩と真実』において、当時のことを下のように書き記しています。

ゲーテ少年は衝撃を受けました。そして、

もっとみる
生粋の叙情詩人ゲーテ

生粋の叙情詩人ゲーテ

ゲーテは、極めて、自我の強い人間であったと言われています。

多くのゲーテ研究者が同様の見解を述べていますし、ゲーテと同時代に生き、実際にゲーテと交流のあった数多くの人たちが、直接間接を問わず、そのような意味の証言を残しています。

実際、私自身もゲーテの作品を読んでいると、そのように感じることは多いです。

きっとゲーテは自我の強い人間だったに違いありません。

そして、ゲーテは生涯、自らの自我

もっとみる
ゲーテの豊かさの秘密

ゲーテの豊かさの秘密

私がゲーテを読んでいて、常に感じることはその豊かさです。そして、その多面性です。ゲーテの豊かさは、世界の豊かさそのものを示しているようにすら感じられます。

一体なぜでしょうか。

その疑問こそ、私をゲーテに最初に惹きつけた「きっかけ」とも呼べるものだと思いますが、それを解くための鍵は、ゲーテ特有の洞察の仕方に隠されているのかもしれません。

神秘思想家・哲学者・教育者として有名な、ルドルフ・シュ

もっとみる
ゲーテにおける6つの時期と代表作品

ゲーテにおける6つの時期と代表作品

ゲーテの人生は83年に及ぶ長いものでありました。そして、最期のときまで、創造の泉は枯れることがなかったといえます。以下、ゲーテの創造的な人生を、私なりに6つの時期に分けてみたいと思います。

①形成期(0歳~22歳)

代表作品『いとしい方はむずがり屋』『同罪者』『ゼーゼンハイムの歌』『ドイツ建築について』『シェイクスピアの日に』

②青年期(22歳~30歳)

代表作品『ゲッツ・フォン・ベルリヒ

もっとみる
ゲーテ研究のはじめに~ゲーテは如何にして別離を乗り越えたか

ゲーテ研究のはじめに~ゲーテは如何にして別離を乗り越えたか

ゲーテは私にとって特別な作家です。ゲーテの言葉に幾度も支えられながら、私は、これまでの人生を生きてきました。

ドイツには「ゲーテはすべてを語った」という諺が存在するようです。それほど、ゲーテはこの世の中のありとあらゆることを深く洞察し、考えた人物であるということだと思います。

ゲーテの言葉に励まされ、元気づけられ、生きる力をもらってきた人間はおそらく数え切れないほどいることでしょう。

いうな

もっとみる
エゴイスト・ゲーテの信仰

エゴイスト・ゲーテの信仰

「ウェルテルはなぜ死んだんですか?
失恋したからですか?」

私はそうじゃないと思います。
人間存在というものは、どこまでいってもエゴとエゴのぶつかり合いでしかないことに、うんざしたからだと考えています。

「ではなぜ作者である当のゲーテは、ウェルテルと一緒に死ななかったんですか?ゲーテは人間のエゴにうんざりしなかったんですか?」

もちろんうんざりしたでしょう。
しかし、それと同時に、彼には強い

もっとみる
ゲーテと釈尊

ゲーテと釈尊

 言葉は、人間がつくりだしたものである。だが、決して意識的につくられたものではない。それは歴史の中で、必要に沿って、自然に育ち、徐々に養われ、形を変え、いつしか逆に、人間を形づくってきたものである。

『法句経(ダンマ・パダ)』という書物がある。釈尊の死後、彼の言葉を詩の形にして集成した詩華集である。

先日、ふとしたことがきっかけで、この書物を手に取ることがあった。最初のページから順に読んでいき

もっとみる
ゲーテの眼について

ゲーテの眼について

 ゲーテは「眼の人」だとよく言われる。「もの」を非常によく「見た」、という意味である。が、彼の恐るべき点は、眼の人でありながら見たものに捉われていない点にあると私は感じる。そのことが暗示する一般的な真実があるとするならば、最高度に洗練された力はその力から自由になる、ということではないか。

こう書いてみて、ふと私は、中島敦の『名人伝』を思い出した。弓矢の技を極度に窮めた名人は、遂に弓矢を持たずとも

もっとみる