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エゴイスト・ゲーテの信仰
「ウェルテルはなぜ死んだんですか?
失恋したからですか?」
私はそうじゃないと思います。
人間存在というものは、どこまでいってもエゴとエゴのぶつかり合いでしかないことに、うんざしたからだと考えています。
「ではなぜ作者である当のゲーテは、ウェルテルと一緒に死ななかったんですか?ゲーテは人間のエゴにうんざりしなかったんですか?」
もちろんうんざりしたでしょう。
しかし、それと同時に、彼には強い信仰心がありました。
「どのような信仰ですか?」
ゲーテという人は、
森羅万象の中に神を見てとった人です。
万物の生成・発展を神の力の現れと見なした人です。
そんな彼にとって、エゴの否定はそのまま神の否定になります。
だからこそ、ゲーテはあくまでエゴを肯定しました。自らもエゴイストとして生きることを決意しました。
エゴに則って行けるところまで行こう、そう決めたのです。
当然、何度も他人のエゴと衝突しました。その度に、エゴの節制の必要を感じはしますが、またしばらく経つと、情熱的に行動を起こし、他人のエゴにぶち当たっては、懲りることなく苦しみました。
ゲーテの生涯は、私の目から見れば、
その繰り返しに他なりません。
「なぜ同じことを繰り返すんですか?
馬鹿なんですか?」
違います。
これは一種の諦めです。悟りです。
生きるとはそういうものだと、彼は諦めたのです。
「諦めた?何を?」
エゴの否定をです。
重要なことですが、ゲーテは決して、エゴを、つまり神の現れの一種である人間存在を、否定することはありませんでした。
ゲーテの人間への信頼は、神への信頼に支えられているのです。
これこそ彼の強固な信仰の力に他ならないと思います。その信仰があったからこそ、彼はエゴを肯定し続けることができたのです。
仮に人間のエゴが裁かれるとするならば、それは神のみぞ知ることであります。人間に人間のエゴを否定することはできません。それは相対的な正義の押し付けあいにしかならないからです。
彼はそのことを知っていたのです。