何もかもどうでもいいという気持ち
生きづらさを抱えている人は、
その多くが多かれ少なかれ
『なんかもう何もかもどうでもいい』
という絶望みたいな気持ちを体験したことが
あるのではないかと思います。
それまで大切だと思って、
目指していたゴール。
大切だと思って、
修復しようとしていた人間関係。
必死で働いてきた職場や、
大好きだった趣味…
そんなものが、その瞬間
もうどうでも良くなってしまう。
何の意味もないんだとしか
感じられなくなる。
この『なんかもうどうでもいい』
という気持ち…そして
その気持ちを持ったパーツですが、
一体何の目的を果たしているんだろう?
とふと思ったんですね。
内的家族システム療法の考え方では、
全てのパーツには最終的に『「私」を守る』という
目的があることになっています。
例え怒りを撒き散らしてしまうパーツや、
不安でパニックになってしまうパーツも、
そうすることで『私』を守ろうとしている。
ただ、そのやり方が過激すぎて
ちょっと困ってしまっている…というのが
『生きづらさ』の要因でもある。
といった感じです。
でも、この
『もうどうでもいい』
『もう何をしてもどうにもならない』
という気持ちって…
単純につらいですよね。
やるべきことも
やりたかったはずのことも
何にもする気にならない。
気分も悪いし、何もできない…
この気持ちに一体何の目的があるのかな、と
考えてみてもよくわからなくて、
1週間くらい頭の端っこで
ずっと考えていました。
そうしたら、ある時、ふと
そうか、『もう失望したくない』
ってことなんだ。
これ以上失望したら、
その失望の痛みに耐えられないと思っているから
もう諦めろって子供のパーツに
言ってるパーツなんだ。
って思ったんですね。
たくさん失望して、
たくさん傷ついてきたから…
もう諦めろって。
何だかひどいメッセージみたいですが、
それを言っているパーツは、
実は私たちに
『もう傷つかないでほしい』
と思ってくれているわけです。
(そのやり方のせいで
さらに傷ついてもいるんですが…)
このように、パーツって
本当に不器用なんですね。
不器用で、ひどいことも言ってくるし、
自分の人生を滅茶苦茶にする
悪魔のようなパーツにも思える。
でも実際は、ただ「私」を
守ろうとしているだけだったりします。
それに気がつくと、何だか少しだけ
肩の力が抜けますよね。
そして、パーツの目的がわかることで、
どうやって声をかけたらいいのかも
見えてきますよね。
考えてみれば、この気持ちが出てくる時って
大体自分に無理をさせ続けたときかもしれない。
『私を守りたいのなら、
絶望させるのではなく
自分に優しくして休んでいいよ
って言ってくれるのでいいんだよ』
『今は何も考えずに休もうって
そう言ってくれればそれでいいんだよ』
そんなふうに声をかけたいかもしれないし。
『今は弱ってるから、
これ以上傷ついたら耐えられないって
教えてくれてるんだね。
今まで忠告を無視して、
無理してきてごめんね。』
そんなふうに謝りたいかもしれない。
いつも読んでくださって
ありがとうございます。