数値化された成績だけが成長じゃない
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こんにちは、旅人先生Xです。
今日は「成績に現れないこと」についてです。
数値化、数値化と言われる世の中ですが、可視化されないことやされにくいことの中にある確かな価値を忘れないようにしたいなと思いながら、考えたことを記事につらつらと書き連ねてみました。
ぜひ、のんびり目を通していってみてください。
目次は、以下の通りです。
①テストの点数や通知票に現れないこと
小学校も学年末を迎え、一年のまとめのテストを返却したり、通知票を配付したりする時期になりました
教科のテストでは、点数を知ることができます。
また、成績表の○やABCでは、達成度などを知ることができます。
やってきたことの評価を見るのは、自分の取り組みを振り返る手段の1つとして、効果はあるかなと思います。
一方で、テストの点数や通知表の成績には現れない、もしくは現れにくいことがあるなとも感じます。
例えば、
といったことがあるのではないでしょうか。
こういった数値化されない、されにくいことに関しては、ABCの数のようにわかりやすい形で変容を知ることは難しいと思います。
だから、「目に見える形で現れていないから、成長していないんだ。」と考えてしまうのはもったいないです。
そのため、テストの点数や通知表に現れないこともあるということを知っておくということは、自分の行動や成長を振り返る時に大切なポイントとなるのではないでしょうか。
②成績に現れないことにも確かな価値がある
私は、成績に現れないことにも確かな価値があると考えています。
例えば、先ほど挙げた
人を思いやって行動すること。
誰かのために動くこと。
先のことを見据えて、判断をすること。
自分で新しいことにチャレンジしてみること。
聞いたり、考えたりしたことを実行してみること。
といったことは、学校以外の場所でも、成人してからでも、役立つ力だと考えられます。
テストの点数や成績のABCの中にも、これらの内容が含まれている部分はあるとは思いますが、教科の成績ほど詳細に表されているわけではありません。
また、あくまで基本的には他者(学校の成績でしたら教員たち)の視点からみとれたことのみが記載されているということも忘れてはいけないところです。
テストの点数や通知票に現れないことは価値がないどころか、むしろとても価値があると私は考えています。
しかし、通知票やテストの点数で表されないため、子供達の中には軽んじてしまう人もいるかもしれません。
「だって、価値があることならば、通知票で評価するから結局そうじゃないんでしょう。」
「通知票にのらないのなら進学や受験で役立たないから別にがんばらなくてもいい」
そんな風に考える子も出てくるかもしれません。
ですが、「自分の成長」という視点で少し想像を膨らませてみたら、きっと成績に現れないことにも確かな価値があるということを感じられるのではないでしょうか。
「目に見える成績だけが成長じゃない」
成績や通知票も1つの結果として、受け止めつつ、そんな風に捉えることができたら、小さな成長や数値化されない変化にも目を向けることができるのではないでしょうか。
今回は以上になります。
最後までお読みいただきありがとうございます😊
ではまた、次の記事でお会いしましょう。
みなさま、皆様、良い一日をお過ごしください。