学ぶことで見える世界が広がるのは、とても素敵なことなんじゃないか
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こんにちは、旅人先生Xです。
今日は、「学ぶことで広がる世界」について書いていきたいと思います。
良かったら、のんびり目を通していってみてください。
目次は、以下の通りです。
少し学ぶだけで、見え方が変わることもある。
学校の勉強に限らず、何かを学ぶとものの見え方が変わることがあると私は思っています。
例えば、理科で「流れる水のはたらき」をしったら、流れている水や削られた地面を見た時に「これが水で運ばれるのにどれくらいの時間がかかったのかな」とか、「ここに水が流れたんだなぁ」と考えることができるようになります。
それまで素通りしてきた景色の捉え方が変わるというというのはとてもすごいことのように感じられます。
それを知ったから何の役に立つとか、意味があるとかないとか、そういうことを考え始めたら、そうした学びの効果にどれだけ有用性があるのかは正直わからない部分はあります。
ですが、「学んで見方が変わる・広がる」というだけでも十分素敵な学びなんじゃないかなと私は思います。
極端な話、「ただ、知る」というだけでも良いと思うのです。
意味とか、目的とか、そういうの抜きにして、「なんか不思議だなと思った」、「何となくやってみた」というのをきっかけに何かを知る。
それだけでも意識せぬ間に、世界は広がっていくような気がします。
成果や目的、意味や点数。
いつのまにか、そういうものに縛られすぎて、「学ぶ」ということを自分でつまらなくしてしまっている部分があるんじゃないか。
最近は、そんな気がしています。
学ぶことで人の思いに触れる力が磨かれる?
何かを作ることを学ぶ。
ものや行動に込められた想いを学ぶ。
そういう学びをすると、普段の生活の中で人の思いに触れやすくなる気がします。
調理実習をしたら、家の人がどういう思いをしているか、どんな気持ちで料理をしてくれているか、知ることができるでしょう。
給食の時やレストランで食事をする時に、お店の人が作っている場面、準備や片付けをしている場面を実感を伴って想像できるようになると思います。
農業について学べば、スーパーマーケットや八百屋で野菜を見た時に、野菜作りをしている人の姿や気持ち、売る人や運ぶ人の存在をよりイメージできるようになるでしょう。
ただ、食事をしていた場面やただ買い物をしていた場面でみていたものが学ぶことで、より鮮明に、そこに関わる人の想いや行動を想像できるようになるわけです。
ものを見ていただけだったのがそこにある想いも見れるようになるというのは、とても素敵なことなんじゃないかなと思います。
こうして考えてみると「学ぶ」ってすごく面白いことではないかなと改めて感じます。
成績や点数、成果や目的というのも大切な部分があると思いますが、そういうのに縛られすぎず、学ぶことそのものを楽しめる時間を増やしていけたらいいなと思いました。
※2月くらいにも似たようなことを考えたことがあったのを思い出し、調べてみたら、記事がありましたので、良かったらこちらも読んでみて下さい。
今回は以上になります。
最後までお読みいただきありがとうございます😊
ではまた、次の記事でお会いしましょう。
みなさま、皆様、良い一日をお過ごしください。