【プロコーチ的読書・ドラマ・映画評】 1「光る君へ」
こんにちは、Tabbyコーチング 齋藤恵美です。
コーチの目線で本・ドラマ・映画などの読み解き、「コーチング的気づき」を勝手に見出す、コーチとしての学びと趣味のためのコラムを書いていこうと思っています。
なお、ネタの選定は完全に趣味に走っておりますこと、ご了承ください笑
今回のテーマは 2024年 HNK大河ドラマ「光る君へ」 です。
非常に珍しい、平安時代×文学大河
大河ドラマといえば戦国時代ものが多く、人気作品が多い中で、平安時代が舞台で、文学作家が主人公となる大河ドラマは非常に異色です。
紫式部だけで1年もつのか?と疑問に思ったものですが、なんのなんの…毎週ディープな人間模様と平安世界にどっぷり浸かっています笑
細かい演出や脚本が本当に好みで、毎週夢中で視聴しています。
当コラムはプロコーチの視線で考察してみよう、という趣旨ですので、今回は2組のシスターフッドに注目してみたいと思います。
※執筆時、だいたい36話あたり(彰子様に第一皇子が産まれたあたり)です
主従を超えた2組のシスターフッド
「光る君へ」では、おそらく意図的に、
・定子と清少納言
・彰子と紫式部
の2組の主従を対比的に描いています。(本ドラマでなくとも、この主従はよく比較されますね)
いずれもお互いのことを敬愛しあい、強い信頼関係で結ばれているのですが、2組の関係性は、それぞれ少しずつ異なるものだと感じています。
定子と清少納言
まずは定子(高畑充希さん)と清少納言(ファーストサマー・ウイカさん)。その関係は、初期のころは「絶対的な推しとそのファン」、その後は「対等な親友・姉妹」といったところでしょうか。
どちらも聡明で賢く、洗練されており、「香炉峰の雪」のようなオシャレなエピソードも、阿吽の呼吸でさらっとやってのけてしまいます。
少納言は定子の一番の理解者であり、定子の意向を第一に踏まえて行動しています。少納言の行動原理は、すべて
・定子の意思を尊重すること
・定子の名誉が守られること
を前提としている、といっても過言ではないかと思います。
定子もまた、少納言を絶対的に信頼し、ときに、夫である帝や兄にも言えないことも、少納言だけには打ち明けたりしています。
この二人を表す動詞としては、個人的には「支える(support)」がしっくりくるのかなと感じています。
彰子と紫式部
一方の彰子(見上愛さん)と紫式部(吉高由里子さん)。
二人は今のところ「幼い生徒と家庭教師」といったところでしょうか。※こちらは現在進行形なので、また変化するかもしれませんね。
彰子ははじめ内向的で、口数が少なく、意思を見せないため、言い方は悪いですが家族からも「木偶の坊」と思われており、入内後も帝や女房達に自分の意思を表現することが苦手な少女でした。
それが、道長の計らいでまひろ(紫式部)が女房となり、ときに源氏物語を通じ、またときに紫式部との会話プロセスによって、彰子は自らの意思を、言葉や表情豊かに表に表すことができるようになっていきます。
紫式部は、彰子の両親とはまた違う距離感で、彰子の視線や振る舞いをよく観察し、彰子の中に息づく本心や気持ちを感じ取り、それを彰子にフィードバックすることによって、本人に自らの心の状態を気づかせ、彰子に彼女自身の心に従った行動を促します。
そんな紫式部を、彰子もまた信頼し、誰にも言えなかった本心を、紫式部に内緒で伝えるようになります。
この二人には、「支える(support)」よりも、紫式部が彰子を「いざなう(invite)」ほうがよりフィットしそうな気がしています。
どちらの関係にもコーチング的発見がある
こうしてみると、清少納言・紫式部、どちらも素晴らしいコーチ的マインドをもっていますね。あるじを第一に尊重している点は共通していますが、
・あるじの思いをくみ取り支える清少納言
・あるじが自らの思いに気づくよういざなう紫式部
と、あるじとの関係性やかかわり方は、結構違いがあるように思います。どちらも、プロコーチとして非常に学びがあります。
そして、この違いには、定子・彰子のそれぞれの性格や心の状態も大きく影響しているのだと思います。
相手の「今」を見つめ、それに真摯に対応した結果が、清少納言・紫式部の、女房としての在り方の違いになったのではないでしょうか。
私もプロコーチとして、お客様の「今」を見つめながら、時に支え、時にいざなうことができるよう、精進していきたいものです。
いかがでしたでしょうか。
今後も、自分への備忘も含め、コーチング的気付きを感じたドラマ、本、映画などをご紹介できればと思っています。面白いと思っていただけましたら、またお付き合いくださいね。
Tabbyコーチング 齋藤 恵美