概念工学とは|LEXUSとAIR RACE
渋谷ではレッドブルが主催するエアレースの最終戦が10月に行われる。とはいえ、実際に飛行機が空を舞うわけではない。世界各地でそれぞれに飛ぶ選手たちの姿をXR技術によって渋谷に集める試みは、デジタルラウンドと呼ばれている。単純な映像配信を意味するリモートラウンド・第一戦、第二戦とは全く違った観戦体験を提供してくれるだろう。リアルでの開催は新型コロナウイルスの蔓延をきっかけに、収益性の観点からも2019年に幕を閉じてしまった。幕張海浜公園に鳴り響くエンジンの音が懐かしい。確かに、全長5kmに亘る三次元のレーストラックを安全に運営するための負担は小さくないはずだ。伝統あるモータースポーツでさえファン集めに苦労する中、さすがのレッドブルも目測を誤ったのだろうか。しかし、勝負を見せたいと奮闘する選手とチームがある。
現在、シリーズトップは室屋義秀選手である。アジア人初のエアレースパイロットでもある室屋氏は前回大会に引き続き、総合優勝を狙える位置にいる。そして氏を支えるのがLEXUSである。ともにLEXUS PATHFINDER AIR RACINGチームを立ち上げ、レースを戦っている。しかし、なぜトヨタ自動車のプレミアムブランドであるLEXUSがエアレースなのだろうか。ゴルフの松山英樹選手や、バスケットボールの渡邊雄太選手といった、いわゆる人気アスリートに対するスポンサーシップはブランド力の向上に寄与するけれど、室屋義秀選手の場合はそもそもエアレース自体がその存在を知られていない。一方でLEXUSは機体の開発にも携わっているようだ。エンジンに供給する燃料と空気の混合比や、機体周囲の気流に影響を及ぼすフィンの形状などをLEXUSのエンジニアが調整しているという。その成果はもちろん車づくりに活かされる。
LEXUSは2023年末に新車種、LBXを発売した。会長・豊田章男氏がメゾン・マルジェラのスニーカー「レプリカ」に着想を得て生み出したコンセプトはコンパクトラグジュアリー。気負いなく乗ることのできる高級車はLEXUS史上最も小さな車となった。しかし自らサーキットでハンドルを握る豊田氏のこと、今年に入って300馬力を誇る「MORIZO RR」というハイパフォーマンスグレードを追加した。ここでもエアレースで培った空力技術が使われている。サーキットモードを備えるリアルグレードの登場で、トヨタのヤリスクロスにLEXUSバッジを付けただけだと揶揄されていたLBXはすっかり評価を高めたのだ。そもそも自動車は大きい方が良いとされてきた。大きな車体に大きなエンジンを積んだ方が速く、安全に走ることができるからだ。しかし安全装備が充実し、燃費効率が問われる時代に、大き過ぎる車は運転しにくい車とも言える。車格というヒエラルキーを超えて、コンパクトカーの概念を覆そうとしたのがLBXだった。
クリエイター・瀬尾浩二郎氏は著書『メタフィジカルデザイン』(左右社、2024)にて、「概念工学」の面白さを説く。あまり聞き慣れないこの言葉は哲学の一分野を指すようだ。問いを立てることに始まる哲学を、ものづくりに活かそうとするときに参考になる。「私達が物事を認識するためのツール」である概念を、「改良、もしくは新しく発明することで、人々の要望に応えたり、社会にある課題を解決していこうとする営み」とのこと。例えば、コンパクトカーの概念が一般的に「小さくて手頃な車」と定義付けられていると分かれば、なぜ小さな高級車が成功しないのかが見えてくる。高級車を欲するような人々は車格が低いと思われている車には乗りたくないのだ。多少不便でも、世間体を気にして大きな車を買わざるを得ない。すでに子どもたちが独立し、家族4人で乗る機会なんて滅多に無いにも関わらず、後席が立派な車を運転せざるを得ない。だとしたら、コンパクトカーの概念自体を変えてしまうことで、解決される社会課題があるだろう。
もちろんその道のりは平坦ではない。LBXを売り出すだけで、コンパクトカーの概念が変わるわけではない。だからこそ、MORIZO RRというホットハッチをモデルに加えることで、また別の価値観を提示してみせる。そもそもカーブランドとは何なのだろうか。LBXにチャレンジしたLEXUSはそのブランド自体をも概念工学し続けている。毎年のようにミラノデザインウィークへの出展を続け、アートの観点からも答えを探っている。そして、BMWやAudiといった先行するグローバルブランドとは違った形で未来を作ろうとしている。エアレースへの参戦も、もしかするとその一環なのかも知れない。実はLEXUSは商品ラインナップにヨットを並べるブランドなのだから。そう思うと、概念工学とは既成概念を壊し、多様性を受け入れるために必要なアプローチだと気付かされるだろう。
瀬尾氏は先の書籍にて、差異化と類似化の違いを明確にし、その組み合わせによる課題解決法を提唱する。哲学的思想により分け隔てられてしまった男女や世代、人種をさらに細かく分類するのではなく、類似性を持って別の枠組みで捉えることによって新たなアイデアが生まれてくる。これこそが本来の多様性だと言えるだろう。コンパクトカーに乗るのは女性や、若い人や、日本人ばかりではない。LEXUSを好むのは、なにも車に乗る人ばかりではない。それを認めた時に初めて、多くの人にとって暮らしやすい社会が作られるはずだ。果たしてエアレースはリアルでなくても楽しむことができるのか、渋谷の空を眺めながら乗り物の概念について考えてみても良いと思うのだ。
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