人が死んだらどうなる? 落語好きなご隠居の答えとは【多田修の落語寺・浮世根問】
ある隠居さんは読書家で、いろいろなことを知っています。そこへ近所の男がやってきて、「なんで鶴と亀はめでたいんですか?」と聞きます。
「長生きするからだ。鶴は千年、亀は万年と言う」
「この前、縁日で亀を買ったら次の日死んじゃいました」
「ちょうどその日が万年目だったんだ」
この後もさまざまな質問が続き、
「人が死んだらどうなるんですか?」
「極楽に行く」
「極楽はどこにあるんですか?」
隠居さんは「見せてやろう」とお仏壇を指して「極楽とはこのような所だ」と答えます。男が「鶴や亀が死んだらどうなるんですか?」と聞くと、隠居さん「ロウソク立てになる」。
この演題にある「根問」とは「根本を問いただす」という意味です。この落語のオチは、真宗大谷派などの燭台は、亀の上に鶴が立った形をしていることが元になっています。
この落語の隠居さんは物知りですが、強引に答えた質問もありました。どんなに博識な人でも、すべてを知ることはできません。その道にくわしい人は、それが途方もなく奥深いことを知っていますから、わからないことがあったら素直に「わかりません」と言えます。そこに至ってない人が、知ったかぶりをするものです。
落語の中で隠居さんが言うように、仏壇は仏の世界をモデルにしています。だから、ご本尊となる仏さま(浄土真宗なら阿弥陀如来)が仏壇の中心です。仏壇には、仏の世界にふさわしい物をお供えするようにしましょう。
多田修(ただ・おさむ)
1972年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、龍谷大学大学院博士課程仏教学専攻単位取得。現在、浄土真宗本願寺派真光寺住職、東京仏教学院講師。大学時代に落語研究会に所属。