土用の丑の日の前に知っておきたい名作落語【多田修の落語寺・後生鰻】
ある隠居さんは信心深く、殺生を嫌っています。
その隠居さんが鰻屋の前を通ると、主人が鰻をさばこうとしているところ。隠居さんが「それは殺生だ」と止めようとすると、主人は商売だと説明します。隠居さんはその鰻を買い取って川に放し、「いい功徳(くどく)を積んだ」。
これが何日も続き、店はこの隠居さんのおかげでかなり稼げるようになりました。ところがある日、隠居さんが来ても店に鰻がありません。そこで主人はとっさにあるものを代わりにし、隠居さんはそれを川に放りこみます(何を放ったかは伏せますが、かなりのブラックユーモアです)。
隠居さんの動機は「殺生から救おう」でした。それは正しいことです。でも、その結果はよいものだったのでしょうか? 鰻屋の主人が収入を得ようとするのは当然ですが、鰻の代わりは何でもよかったのでしょうか?
この落語に限ったことではありません。ものごとが正しいかどうかを、一つの基準だけで決めるのは、ある意味簡単です。しかし、一つの「正しさ」を突き詰めようとすると、かえって大きな悪事になりやすくなります。悪を小さく収めるために必要なのは、正しさの基準を複数備えておくことなのでしょう。
ところで、土用丑(どよううし)の日は「う」のつく物を食べて精をつけるのであって、鰻でなくても梅干し、瓜(うり)(スイカ、キュウリなど)、うどんなどもよいそうです。
多田 修(ただ・おさむ)
1972年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、龍谷大学大学院博士課程仏教学専攻単位取得。現在、浄土真宗本願寺派真光寺副住職、東京仏教学院講師。大学時代に落語研究会に所属。