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人間には間違いがつきもの。肝心なのは、その後どうするか【多田修の落語寺】

落語は仏教の説法から始まりました。だから落語には、仏教に縁の深い話がいろいろあります。このコラムでは、そんな落語と仏教の関係を紹介していきます。今回の演題は『大師の杵』です。

 弘法大師(空海)が若い頃の話です。弘法大師が武蔵国平間村(川崎市)で教えを説いていると、名主の娘が弘法大師に惚れ込んでしまいました。名主も大師に婿入りするよう頼みますが、大師は修行の身だからと断ります。それでも娘は諦めず、大師の寝室に忍び込みます。

 すると、布団には大師ではなく杵がありました。娘は拒否されたと察して、多摩川に身を投げました。それを知った大師は、供養のためのお堂を建てました。これが後の川崎大師。この杵が川崎大師に安置されていると聞いた人が尋ねると、「それは臼(嘘)です」。

 川崎大師の創建について、この落語の話は臼(嘘)です。川崎大師の寺伝によると、弘法大師の300年ほど後、漁師の平間兼乗が海中から弘法大師像を引き上げて、安置する小さなお堂を建てたことに始まります。ここを訪れた僧・尊賢が兼乗と協力して1128(大治3)年、このお堂を寺院としました。この寺院は、兼乗の名字から「平間寺」と名付けられました。現在も正式名は平間寺で、川崎大師は通称です。

 落語の中で、弘法大師が仏道修行を優先したら、一人の女性が命を落としました。現実でも、正しいはずの行為が悪い結果になることは、珍しくありません。人間に間違いは付きものです。問題は、悪い結果が出た後です。「(自分以外の)○○が悪い!」と言っている間は進歩がありません。「私のしたことはうまくいかなかった。では、この後どうするか」を考えれば、そこに改善の糸口があります。
 
多田 修(ただ・おさむ)
1972年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、龍谷大学大学院博士課程仏教学専攻単位取得。現在、浄土真宗本願寺派真光寺住職、東京仏教学院講師。大学時代に落語研究会に所属。
 
『大師の杵』を楽しみたい人へ、おすすめの一枚
五代目三遊亭円楽師匠のCD「五代目三遊亭圓楽落語名演集(7)紺屋高尾/大師の杵」(コロムビアミュージックエンタテインメント)をご紹介します。円楽師匠が自身の経験を交えながら、若き日の弘法大師を語ります。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。