ショートケーキを食べるたびに感じる、深い孤独感
実は、ショートケーキが苦手です。
絶対に食べられないわけでもないし、アレルギーというわけでもありません。ただ、子どもの頃から何となく好きではなく、自分からは決して手を出さないし、人生の中でこれからずっと食べなくても平気、という程度。
しかしショートケーキが好きな人は、世に多いものです。と言うよりもたいていの人はショートケーキが好き。
「ショートケーキが苦手」という感覚は、子ども時代の私を大いに悩ませました。それというのも小学生の頃、友達の家で開かれるお誕生会において出てくるバースデーケーキは、ほぼ100パーセント、ショートケーキだったから。
「全ての子どもは、生クリームと苺が好きだろう」という感覚があったのだと思うのですが、私はショートケーキの大量すぎる生クリームや、生クリームと生の果物の組み合わせが、苦手だったのです。
お誕生会では主役がケーキのロウソクを吹き消した後に、ショートケーキが切り分けられます。生クリームたっぷりのそれを、平気な顔で食べなくてはならないのが、私にとっては辛かった……。
我が親はそれを知っていましたので、私のお誕生会で供(きょう)されるのはいつも、生クリームが全く乗っていない、漆黒のチョコレートケーキでした。ショートケーキを嬉しそうに食べなくてもいいのが、自分の誕生日における最大のプレゼントだったと言えましょう。
しかし私は今でも、
「ショートケーキが苦手なんです」
と、なかなか言うことができないのです。ショートケーキは万人が愛するもの、という感覚を皆が持っているので、「苦手などと言ってしまったら、悪人だと思われるのではないか」とか、「この場の雰囲気が悪くなるのでは」といった思いが頭を巡る。今も誕生日前後に、サプライズでケーキを用意してくださる人などがいて本当にありがたいのですが、そこに出てくるのはやはり、ショートケーキ。小学生の時と同様に、私は嬉しそうに食べるふりをしているのです。
しかしショートケーキを食べつつ思うのは、「こういう思いをしている人が、実は多いのではないか」ということです。あらゆる場面で、人は多数派と少数派に分かれるものですが、とある意見が圧倒的多数の場合、少数派の人は自分の意見を表明することもできずに、多数派のふりをしているに違いない、と。
私の場合は、「ケーキの好み」という瑣末(さまつ)な事象において圧倒的少数派であるわけですが、もっと深刻な問題において少数派の人は、とてもつらい思いをしているはずです。「実はショートケーキが苦手」とすら言いづらい世において、たくさんの「実は……」が、埋れているのではないでしょうか。
普段の私は、おそらく多数派として生きているのだと思います。さほど特殊な意見を持っているわけでもなく、日本にいる限りはマイノリティーでもない。しかしショートケーキを食べる時にいつも感じる深い孤独を思い出すと、少数派の孤独に、自分がどれほど思いを寄せていたのか、と反省が募るのでした。
自分が普通だと思っていることも普通とは思えない人がいるということを教えてくれる食べ物、それが私にとってはショートケーキ。少数派の他者の存在を忘れないようにするためにも、私はこれからもたまに、ショートケーキを食べるのでしょう。
酒井順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト。1966年東京生まれ。大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。2003年に刊行した『負け犬の遠吠え』がベストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。近著に『鉄道無常』(角川文庫)など。