大切な人に深刻な病気が見つかりました。【仏教で答える悩み相談23】
人の数だけ、悩みは尽きぬもの。
皆さまから寄せられた悩みに、お坊さんや仏教関係者たちが答えます。
今月のお悩み
Q 大切な人に腫瘍が見つかり、手術が必要になりました。真宗では仏さまにお願いをしてはいけないと伺いますが、どうしても何かにすがりたい気持ちになります。念仏者として、どのような気持ちで過ごせばよいのでしょうか。(60代・男性)
A1 病を受け止め、最善を尽くす
掛け替えのない大切な方に腫瘍が見つかったとのこと、もし悪性であれば寛解を願うことは当然のことだと思います。
私の妻も十数年前癌になり様々な治療をしましたが、残念ながら2年後に息を引き取りました。
ステージ4との診断で手術では腫瘍の一部は切除できないとのことでしたが、友人の紹介してくれた病院で摘出することができました。一安心もつかの間、1年後に再発し抗癌剤治療のかいなく結果的には病院で亡くなりました。
祈祷やまじないを信じない真宗の世界観は、「鬼神を祠ること」や「良日吉日を視ること」を本来の仏道からは外れたことと位置づけられた親鸞聖人の教えを受け継いで大切にしているからです。
富山の売薬は有名ですが、その背景には浄土真宗の祈祷やまじないを否定する真宗の世界観があったとの指摘もあります。奇跡を祈る気持ちは当然起こるのですが、病を受け止め今できる最善をつくすしか道はありません。結果がいかようになるとも今めぐまれているいのちは弥陀の願いの中にあるのです。
(西照寺住職・酒井淳昭)
A2 自然な気持ちだと思います
そうですか。大切な方を見守りながら、揺れる心を自覚なさっているのですね。
すがりたくなるのは自然な気持ちだと思います。ゆえに、自分の力ではどうしようもない苦しみにある人こそ救いのめあてとされたのが仏さま、なのだと思います。
ここで鈴木章子さんの『癌告知のあとで』という本を紹介します。彼女はお寺の坊守さんでしたが、40代でがんが見つかり、数年間、病と仏と向き合う中で表出したことばが綴られています。ハウツーではありませんし、読めば誰もがそうなれるとも思いません。ですが「がんになってよかった」と語れる世界があることを、私はただただ聞かせてもらうばかりです。
築地本願寺内には、がん患者と家族の語らいの場である「東京ビハーラ」もあります。不安や悩みをそのまま話すこと、聞いてもらうことができます。どうか丁寧にお過ごしください。
(編集委員・藤本真教)
A3 お寺でお待ちしております
生きていると、何かにすがりたい気持ちになること、ありますね。
ご自身は、自分がたとえ命を懸けてお念仏をとなえても、大切な方の腫瘍が消えたりはしないとお感じでしょうか。
確かに仏教は、これをすれば病気が治るというような答えは持ち合わせていません。
ただ、全ての物事は移り変わり、同じ状態がずっと続くことはないといいます。その変化は、時として、良いことだけではないかもしれません。
しかしながら、良いと捉えるか悪いと捉えるか、立場や状況によってこれもまた変化し、一定ではありません。
お辛いこともあると存じますが、私たちにできることは、目の前の物事と誠実に向き合って、一歩ずつ進んでいくことではないかと思います。心のうちを吐き出したい時には、お寺でもお待ちしております。
(築地本願寺コンタクトセンター担当・相馬顕子)
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※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。