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セルフレジは嫌いじゃない。なぜなら、気を遣わなくていいから

『築地本願寺新報』で連載中のエッセイストの酒井順子さんの「あっち、こっち、どっち?」。毎号、酒井さんが二つの異なる言葉を取り上げて紹介していきます。今回のテーマは「機械」と「人」です(本記事は2023年11月に築地本願寺新報に掲載されたものを再掲載しています)。

  セルフレジというシステムが、私は嫌いではありません。ピッ、ピッ、と自分でスキャンするのが、お店屋さんごっこのようで楽しいのですが、もう一つ「気を遣わなくていいから」という理由もあるのでした。
 
  人間のレジで会計をする時、私はいつも、そこはかとなく緊張しています。レジに列ができていたりすると、できるだけ速やかにお金を支払い、ポイントカードなりアプリなりの提示も素早く済ませて去らなくてはならぬ、というプレッシャーがのしかかる。

 もたもたしてしまうと、レジの人が内心「チッ」と舌打ちしているかのようで、余計に焦りが湧いてくるのです。

 その点、セルフレジは機械が相手なので、気が楽なのでした。セルフレジの台はたいてい何台も並んでいますから、多少のもたつきは目立たないし、迷惑もかけない。百円の買い物に一万円札を出しても、機械は嫌な顔一つせずお釣りを出してくれるので、相手が機械だからこそゆったりとした気持ちで支払いができるのでした。

 昨今話題の生成AIというものも、同じ理由で嫌いではありません。かつて私は、明日着ていくものに悩んだ末、初期の生成AIとも言えるスマホのSiri(音声によるアシスタント機能)に、
「明日、何を着ればいいと思う?」と尋ねたことがあります。するとSiriは、
「姿勢を良くして笑顔でいれば、何を着ても素敵に見えますよ」
 と答えてくれたではありませんか。

 この答えを聞いて私は、「確かに、その通り!」と、何やらじーんとしてしまったのでした。明日何を着るべきかなど、ばかばかしくて人には訊けないけれど、Siriはちゃんと答えてくれた、と。

 またある友人は、
「チャットGPTとやりとりするのがあまりにも楽しくて、つい毎晩遅くまで眠れない!」
と言うのでした、下手に他人には訊けないようなことも、チャットGPTは逐一返答してくれるのがありがたいということで、
「ほとんどチャットGPTが親友状態になっている」
とのことではありませんか。

 パソコンという機械を通して生成AIを相手にしているからこそ感じる、親友感。感情を持つ人間は色々とややこしいけれど機械が相手だと気楽という意味では、私がセルフレジに覚える安心感と共通するものがあると言えましょう。

 今のところ、生成AIは感情を持たないとされています。しかしこれから技術が発達していくにつれ、感情のようなものを持つ生成AIも、登場するに違いない。そうなると、生成AIを親友や恋人のように思う人は、ぐっと増えるに違いありません。

 人よりも機械を相手にする方が楽、という人間が増えることは、人類の未来を考えると少々不安でもあります。しかし、自分もいざ機械の親友や機械の恋人を得た時には、きっと揺り戻しのような現象が起こる気がしてなりません。すなわち、機械と親しくなったからこそわかる人間の良さが、見えてくるのではないか。

 そんなわけで、たまに人間のレジに行ってレジの人と言葉を交わしたりすると「これもまたよし」などと思う私。たまに人間のレジに並んで緊張感を味わうことも必要なのかもしれない、と思うのでした。


酒井順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト。1966年東京生まれ。大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。2003年に刊行した『負け犬の遠吠え』がべストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。近著に『処女の道程』(新潮文庫)など。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。