見出し画像

「かけがえのないもの」と「くだらないもの」の差は、実は些細なものなのかもしれない【多田修の落語寺・天狗裁】

落語は仏教の説法から始まりました。だから落語には、仏教に縁の深い話がいろいろあります。このコラムでは、そんな落語と仏教の関係を紹介していきます。今号の演題は「 天狗裁(てんぐさばき)」です。

ある長屋で、夫が昼寝をしています。

妻は夫を起こして「どんな夢見てたの?」と聞きます。夫は「夢なんか見てない」と答え、「見たでしょ」「見てない」と夫婦ゲンカが始まります。仲裁に入った人まで夢の話を知りたがって騒ぎが大きくなり、奉行所で裁きを受けることになります。すると「くだらないことで奉行所を煩わせるな!」。

これで一件落着と思いきや、お奉行さまが「夢の話、聞かせてくれるであろう」。男が「夢なんか見てないんです」と言うと、拷問にかけられてしまいます。

男は気を失い、気がつくと高尾の山中。目の前には天狗がいます。天狗は男に「夢の話など聞きたくはない!が、お前が話したいのなら聞いてやってもよいぞ」。男が「見てないのにみんなが〈見ただろ〉って言ってるだけなんです」と返すと、天狗は「やさしく言っているうちに話したほうが、身のためだぞ」。男は無事に帰れるでしょうか?

「天狗」という言葉は仏教の経典にもありますが、巨大な流星のことで、日本の天狗とは別です。日本の天狗について、一説には、山岳修行者を見間違えたものだと言われますが、謎の存在です。いずれにせよ、山は不可解なことが起こりやすいものです。

「他人から見ればどうでもいい話だけど、当人にとっては一大事」なことは、よくあります。同じものでも立場が変われば「かけがえのないもの」にも「くだらないもの」にもなるのです。
  
『天狗裁き』を楽しみたい人へ、おすすめの一枚
 柳家権太楼(やなぎやごんたろう)師匠のCD「朝日名人会ライヴシリーズ5柳家権太楼1幽霊の辻/天狗裁き」(ソニー・ミュージックエンタテインメント)をご紹介します。この落語のオチについて、権太楼師匠の演出を私は気に入っています。

多田修(ただ・おさむ)
1972年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、龍谷大学大学院博士課程仏教学専攻単位取得。現在、浄土真宗本願寺派真光寺住職、東京仏教学院講師。大学時代に落語研究会に所属。

※本記事は『築地本願寺新報』に掲載された記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。