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写真について

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#カメラのたのしみ方

「神は死んだ」的写真観(戯言)

あなたの写真は意味がありますか? 写真である理由、写真でなければならない理由はありますか? そんなお話し。 ※戯言です 「神は死んだ」言わずと知れたニーチェの「虚無主義(=ニヒリズム)」を表す代表的なフレーズの一つ。 一つ注意すると私はニーチェについてなーんにも知らないということだけ。 「神は死んだ」の言わんとしているところは ・近代化、産業化に伴う宗教的・哲学的観念の滅亡 ・人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがない と、ここでは解釈して話

「可愛いだけで終わらせない」ポートレートの撮り方で、大切な友達を撮ってきた

ポートレート、特に日本のポートレート界隈でよく聞くワード。 「彼女感」 「デート風」 こういったワードに対してのアンチテーゼを掲げ、一人の女性を撮るうえで重要な 「あなただからこその写真」 「自分ウケ最優先」 を目指すための、私なりの考え方を紹介する記事。 役者さんが多く共感してくれる「可愛いだけで終わらない」ポートレートを求めた私のメソッドです。 強めの言葉を使っているので苦手な方はブラウザバック推奨。 どこか他人と差別化できる写真を撮ってみたい方。 撮られたいん

青春なんてクソくらえ

Twitterの写真界隈てちょっとした、炎上までいかないボヤ騒ぎみたいなことが起きていました。 曰く。 確かに、制服の人物写真というジャンルは存在します。 いわばフォーマット化・様式化したような世界です。 その表現は(個人情報や性的な問題等がない限り)存在自体を否定されるようなものではありません。 また、写真にメッセージ性が必要かといえば、必ずしもそうとは言えません。 当該ツイート主の考えも十分尊重に値しますが、少々視野が狭いように思われました。 ただ私はこう思うのです

「じゃないレンズ」で撮る写真が好き

レンズ。 それは「沼」と称される”場”を形成してしまう呪物。 あるものはレンズに溺れ、またあるものはレンズに身を亡ぼす。 …冗談は置いといて。 写真において、レンズが果たす役割は無視できません。 なんせ光を記録する媒体ですので、その光を屈折・通過させる機構が無視できるはずないのです。 すると「どのレンズが最適か」という議論が後を絶ちません。 私が撮っているポートレートやプロレスの界隈でも、定番とされるスペックや型番について語られているのです。 今回はポートレート界隈のは

いい写真を撮るために割り切ったこと&役に立ちそうなこと

冒頭からタイトル詐欺を自白します。 私は「いい写真」が何かわかっていません。 ここから書かれる文章は「上級者とも初心者ともいえない自分が思い悩んだ末に試行錯誤して吟味したtips」です。 それが結果的に「いい写真を撮るための施策」になってたらいいなーという情報共有。 割り切ったこと3つ 役に立ったこと3つ をそれぞれご紹介。 さっそく行ってみましょう。 割り切ったこと①「○○構図」は道具 初心者向けの写真講座を見ると、たいていとっかかり「まず三分割構図で!」「脱、日の

女性が撮る写真、男性が撮る写真、自分が撮る写真

ひとつ間違うと危うい論になるテーマですが、あえてこのタイトルでしたためます。 「写真を撮った人物の性差は、写真そのものの評価に影響を及ぼすか」 そんなお話し。 結論:影響を及ぼすとっかかり結論から。 「誰が撮ったか」「どんな人物が撮ったか」という情報は作品に影響を及ぼします。 時には作品のクオリティ以上に重要視されます。 性差・性別についても同様です。 私の主観であるという予防線を張りつつ、話を進めます。 本稿では、以下の構成で進めます。 ヌードはアートか 女性が撮る

1日写真漬けの日を過ごしたら、寿司をオシャレに食う必要性に至った話

これまで『表現の自由マガジン』を執筆するために、美術だったり色だったり、いろんな書籍を手に取り考えてきました。 今は『生と死』をテーマに文献を当たっているところです。 そんななか、写真そのものの勉強も並行して始めていまして。 はじめて東京都写真美術館に足を運んでまいりました。 1日写真漬けになるべく。 写真のタレがしみしみになった結果、寿司ってもっとオシャレに食った方が満足度いいのだ、という結論に至ったお話し。 共感してもらうつもりはないので、あざ笑うかの如くご覧ください

「カフカ的不条理」|写真に写る人・撮る人の関係性の鎖

注)真面目に不真面目する記事です。 まったくもって不条理で、非現実的で、解決の糸口もなく、ただただ不幸に身を委ねるしかない。 カフカの作品は、そんな物語。 ふと。 私にも、似たような不条理が。 自らの選択でなく、逃れようがないというか逃れるべきでないというか。 今回は「写真に写る人・撮る人の関係性」に「カフカ的不条理」を、そして「作者の気持ち」を見たお話し。 ちなみにですが、カフカ作品に対する深い考証を持った人間ではないので、お遊びの言論としてお楽しみください。 「モ

安心してください。モデルのあなたに期待していません。いい意味で。

期待というのは往々にして裏切られるものです。 思い通りに進まないから。 期待が膨らんでる状態は、ある意味幸福です。 夢見心地ですからね。 期待が結実したあとのことを考えるだけで、生きている喜びを実感できることでしょう。 私も期待します。 6億円くらいまとまったお金が非課税で振り込まれないかなーとか。 実力も実績もある役者さんから声掛からないかなーとか。 1カ月のスケジュールがポートレートの依頼で埋まってほしいなーとか。 現実的なところで、いい写真撮りたいという期待・希望

2022年の私的結論「写真はイルカの夢をみる」

2022年最後のnoteとなります。 本年も大変お世話になりました。 2022年はいろいろ転換したし、転換させた年でした。 そのせいかメンタルの浮き沈みが激しく、疲弊してしまう日も多くありました。 その原因の一つは、写真について勉強し始めたこと。 もとい、美術史や美術史における写真の立ち位置など、歴史的背景や現代アートに続く流れを追っていました。 浅い知識で行きついた結論として。 写真である必要はない について書いてみます。 写真である必要はない結論から。 何か創

「せっかく撮ってもらうから」が私を救う

せっかく撮ってもらうから、美容院行ってきました せっかく撮ってもらうから、ネイル新しくしてきました せっかく撮ってもらうから、新しい服着てみました この言葉は、私を救う魔法の言葉です。 撮影への期待度は見えにくい私はネガティブ思考が強い人間でして。 まぁ大体は認知の歪みから来ているのですが。 ポートレートを撮る約束を付けたとしても、(自分だけが楽しみなんじゃなかろうか…)と不安になることもしばしば。 役者さんとはチャットで連絡を取っていまして。 当日の流れとか概要が

やめます。写真で賞を目指すこと。

この投稿でnote100週連続投稿達成となります。 ですがハッピーな記事は木曜日に回して、先にネガティブ志向な記事を書くことにしました。 これは主に、すでにお付き合いのある役者さん、そしてこれからご依頼を考えている役者さんに向けての記事であり。 あとから自分の考えを見直すにあたっての記事でもあります。 写真には賞や認定というものがあるご存じの方もいるかと思いますが、写真には賞があります。 国や地方自治体が主催のものもあれば、民間団体が主催のものもあります。 一般に写真家

今年も憧れのフォトグラファーさんの個展に行った話|1人を理解すること

昨年、憧れのフォトグラファーさんの個展に伺ったことを記事にしました。 ありがたいことに、多くの方にご覧いただきまして。 主催者様であるビーバーさんにもご覧いただき、恐悦至極の体験でした。 ビーバーさんは今年も柊里杏さんとの写真でグランプリを見事獲得され、個展開催。 すばらしいの言葉では足りないほどの偉業です。 その個展「つなぐ」に、今年も伺ってまいりました。 これまで2年間ポートレートを撮ってきましたが、0.1%くらいかすかに、自分の写真を言語化するという段階へようやく

趣味が高じて集めちゃった撮影の小道具たちを見ていってほしい(2022.12.29更新)

どうも、役者ポートレートのたかはしです。 今回は調子に乗って集めてしまった小道具たちをご紹介。 かつモデルさんに見てもらうためのカタログにできたらなぁと思ってます。 ・撮影依頼のリクエストに ・小道具の参考情報として ・違った角度からインテリアを探したい そんな方に響いたら嬉しいです👍 造花(1輪)バラ(赤) バラ(ピンク) ツバキ(赤) ツバキ(ピンク) ピオニー(ピンク) サクラの花びら バラの花びら 造花(ブーケ)レース カントリー調 季節もの