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1日写真漬けの日を過ごしたら、寿司をオシャレに食う必要性に至った話

これまで『表現の自由マガジン』を執筆するために、美術だったり色だったり、いろんな書籍を手に取り考えてきました。
今は『生と死』をテーマに文献を当たっているところです。

そんななか、写真そのものの勉強も並行して始めていまして。
はじめて東京都写真美術館に足を運んでまいりました。
1日写真漬けになるべく。

写真のタレがしみしみになった結果、寿司ってもっとオシャレに食った方が満足度いいのだ、という結論に至ったお話し。
共感してもらうつもりはないので、あざ笑うかの如くご覧ください。。。

美術館での一日

今回は企画展2つ観覧、そして図書室での資料閲覧をしてきました。

APAアワード2023
深瀬昌久 1961-1991 レトロスペクティブ
東京都写真美術館 図書室

それぞれ感想を。

恵比寿ガーデンプレイスタワーにも登ってきました

APAアワード2023

第51回公益社団法人日本広告写真家協会公募展。
素晴らしい写真家さんが力作を発表されていました。

テーマ性のある写真から私写真、抽象まで様々。
個人的に驚いたのが作品の撮影・SNS投稿がOKな点。
時代に即した試み。

それでもプリントの質感とか、直視したときの迫力とか、そういったものは見に行かないと分からないもの。
どなたもインスタレーションなしという制約の中で様々な表現をされており、興味深く見られた展示でした。

構造物を抽象的にとらえた作品
デュシャンの試みからの系譜が読み取れます
経済産業大臣賞受賞作品
生き物としての迫力もさることながら
命をいただくことの畏怖のようなものも
感じました
生と死の対比
本を読んでいるタイミングだったので
いろいろ考えさせられる作品

深瀬昌久 1961-1991 レトロスペクティブ

写真家・深瀬昌久の生涯を追う回顧展。
以前からトモ・コスガさんのYouTubeやnoteを見たり、写真史の本を読んだりして興味は抱いていたので、楽しみにしていました。
(トモ・コスガさんの当該展示の宣伝動画も併せてご覧ください)

いやーーーーー
なんかこう
写真である理由、そんなものを感じました。

物量もさることながら、被写体の変遷、時代背景に至るまで様々感じ取ることができます。
音とか温度、においまで伝わってきそうなくらい。

私写真と評されるものもありながら、アヴァンギャルドな表現もあり、ミニマルな表現もあり。
この力強さはぜひ吸収したいと思いました。

図書館で文献あさり

『表現の自由研究マガジン』ですが、最終稿を「写真」で執筆予定でして。
恐らくは15~20冊程度、本や写真集を見て見解を出す想定です。
そんななか、プレミアが付いてたりそもそも手に入りにくかったり、そういった本を閲覧するのに便利だったのがココ。

今回閲覧したのはこちら。
・provoke 1-3
・理想の猫じゃない インベカヲリ★
・給水塔 ベルント・ベッヒャー、ヒラ・ベッヒャー
・日本写真史 1945-2017 ヨーロッパからみた「日本の写真」の多様性 レーナ・フリッチュ
・家族 深瀬昌久
・洋子 深瀬昌久

時間帯での完全入れ替え制で最終枠だったので、2時間という制限時間がありまして。
正直時間が足りなかった…本も借りられないし。
またどこかのタイミングで行こうと思いましたし、利便性の面からしてもリピートはアリだなと。

寿司をオシャレに食う必要性

これまで、様々写真展示を見てきました。
スナップ、ポートレート、ノンジャンル、回顧展などなど。
見てきて思うのが、展示の方法も写真表現であって、写真の評価を分ける要素である、ということ。

今回の展示でも、特にAPAアワードで、写真のイメージとプリントの方法がいかにマッチしているかが、見たときの印象を左右していました。
光沢があれば煌びやか・無機質に映りますし、マットな質感なら心象に訴えかけるような。

そこでこう思ったのです。
スーパーで買う寿司も、それっぽく盛り付けたらいい感じに見えるのでは、と。
パックのままでなくて、おしゃな皿で食えば優勝なのでは、と。
そこでダイソーの200円プレートにスーパーのパック寿司を盛り付けて食うことに。

高級店感
いまだに物撮り苦手

うん。いい感じ。
麻布十番で自分にご褒美♪
なんて書いてInstagramに投稿してもばれない。

さらに塩でも撒いてみよう

設定うまくいってなかったっぽくて
「パック寿司たちが襲い掛かってきた!」
みたいになっちゃった

これはもう「寿司は素材の味を楽しんでほしい」と豪語する板前さんが目の前にいるお店ですよ。
さっきまで2割引きのシールが貼られていたとは思えない。
実際、味は元値の3割増しくらいに感じられたりした(主観)。

直近で、「ゆる言語学ラジオ」でも同じような内容の放送がありまして。
人間は色や触覚によって、味の受け取り方が変わってしまう、と。

写真にしても食べ物にしても、純粋な1つの情報を研ぎ澄まして受け取ることは困難。
音や色などの周囲の環境、その日の気分や体調など、さまざまな要素が複雑に影響を及ぼします。
1から10まで完璧にコントロールすることは出来ずとも、受け取り方のレール敷設はある程度必要なのです。

実際お皿に盛りつけたことで、パック寿司でも味以外に満足感がありました。
なんかいい感じのご飯を楽しく食べられたな、
みたいな。
自分を喜ばせることも、視覚をコントロールするという知見も、どちらも大切だと身をもって知れました。

本題:写真がわからない

キャッチ―な寿司要素は終わりました。
ネタです。
寿司だけに。

ここからは私の感想です。

2つの展示、そしていくつかの文献を閲覧して感じたこと。

「写真がわからん」

どんな写真が「いい」のか、という論は星の数ほどあります。
画質なのか、機材なのか、技術なのか。
モデルの容姿なのか、スタイリストなのか、セットのクオリティなのか。
「いい」と「うまい」の違いとはとか。

評価されている写真は何がいいのか、評価されなかった写真は何が悪いのか。
評価されなかった写真の価値とは。

下手にいろいろ手を出したせいで、もう分からない。
写真展を見に行ってみて、それ自体は技術にならないという点もそう。
勉強したって「うまく」はならないし、すぐさま評価にも転化しない。
撮ってたって「うまく」も「よく」もならない。
じゃあ写真ってなんなんだ、と。

この辺の私見は後々書くとして。
気付きはあるのにゴールへ近づいている感覚がない。
今はとにかく積み上げるフェーズだと自分に言い聞かせつつ、宛てのない旅路を歩み続けるしかないのです。
これが結構きつい。

だれか悩みを共有してトークできたら嬉しいなと思う日々でございます。
怪しい人間ですが反社会的な人物ではないので、どうかお気軽にコメントくださいますと人間的な振る舞いでお返事いたします。
ぜひ。

それでは。

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たかはしあさぎ
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