【宇宙】の誕生、【生命】の誕生〘微積を外して「見える」モノ〙
■おさらい
■宇宙は「ねじれた(多次元の)一つの時空間」ではなく、「四つの宇宙と自己」
から、本来私たちの住む【世界】は「一つの【宇宙】」ではなく「四つの界の混合した自己を巡るエネルギーそのもの」と解釈可能であることが分かります。
どういうことかと申しますと、
【世界】とは【宇宙】を巡る「エネルギー体(情報)保存の法則」により一貫した説明が可能であるからです。
一つ考えてみてください。
いかに自分の考えが無根拠な思いに取り込まれていたか、お気付きになられた事でしょう。
納得の有無、或いは反感とは無関係に、反駁が不可能な仮説を正しいと受け入れるのが、正当な学問の取るべき態度である、とするのは間違っておりますでしょうか?
(❄︎推論の連作ですから、先ず是非、以下マガジンをリンク先とあわせましてお読みくださいませね。「知の革命」であることがお分かり頂けます)
私たちの在る【世界】は
【物質】(A)
と
【非物質(意識)】(非A)
と
【自己】(物質と非物質の境界、又は「物質と非物質に挟まれたモノ」)
そしてその何れでもない
所謂【非(物質+非物質+自己)を指示する何か = 「梵我一如」】
で【宇宙】が構成されていることが分かりました。
加えまして、
それら【三つの宇宙と自己】を巡る【情報】或いは【エネルギー体】を加えますと全宇宙の描写が限りなく正しく叶います。
(限りなく正しく)正確に言語表現ができない、と申しますのは、全てが非ずの対義関係にある非ずの範囲・意味を固定してしまう(要するに「名付ける」)度に、新しい意味が生じてしまうという原理に由来致します。
つまり、「生まれる度に崩壊を運命づけられている」
それこそ宇宙が動である由縁である、というお話をこれから致します。
■正しい【宇宙像】
さて、ここからが肝心です。
そして過去、幾度となく指摘をしておりましたように【非物質】は(そう定義してしまえば)【意識】として無矛盾の説明言語体系を築けます。
正しいとは言えないまでも、間違っていない【宇宙像】とは要するにその説明言語体系内に矛盾が存在しないことを意味します。
過去記事にも記しましたが、【事象の地平面】や【量子パラドックス】などという矛盾の存在は「(ねじれた)多次元の時空間」であるという現在の【宇宙像】が過てる故に陥った誤謬です。
実際、「存在の方程式」によった【宇宙像】から、それらの問題が解決可能であることは、過去記事にてお示し致しました通りです。
■如何に【宇宙】と【生命】の誕生したか
■言葉を指示してはみ出すモノ = 世界の誕生・命の誕生
【物質】の対義を【心】と指示してしまうと間違ってしまいます。
対義は【非物質】ですが、【物質では無い】モノは【心】に限りません。
まず【心】は沢山ありますよね。
問題のポイントは非「A」とは何かを命名できないという事です。
逆に「A」、例えば「物質」も同じ問題を抱えていることに気づきます。
Aを【心】とした場合の「非A」とは【非心】です。
集合論に沿って申しますと【心】と【物質】は
【心】⊂【非物質】
【物質】⊂【非心】
この二対の関係の正確なカタチとしては
【非心】対義【非物質】
となるのが正しい。
しかし【時間】の発生は「命名という機能」を有し、何れ【非物質】を【心】に(いってみれば)「限定」してしまいます。
これが【個(体)】の発生です。
そしてこれこそ【対称性の破れ】る瞬間です。
是非、ご自身で「意味論」として順を追って「生体の発生」についてお考えください。現実の【生命】も同じ様をもって生まれていくことがご理解頂けますことを確信しております。
これが意味と現実の接地することの本来の姿です。
抽象化して申します。
A と言います。すると 非A と Aと非Aの境界 が生じます。
生じた 非A は B というモノ(個体)になります。これは 非A を (B と呼ぼうが呼ぶまいが) B と名付けたと同義です。
すると B と 非B と Bと非Bの境界 が生じます。
これが悠久に続くわけです。。。
お気づきの通り、A をもしプロトン(陽子)と名付けたら所謂「宇宙の誕生」の説明と同様になりますし、A を受精卵と 名付ければ「生命の誕生」のシステムそのものです。
■【命】とは(without生命)
【生命】に尽きまして正確を期して記しますと、詳細は「あおいのきせき」本編に当たっていただきたいのですが、「個体として恒常性を有した自立的なシステム」をその明確な定義とされておりますが、加えまして
【「固有のシステム」(A)と「外部システム」(非A)の「相違」が恒常性を破る一点を超えた時分に分裂を始めるシステム】
と新しく定義可能になります。
「存在の方程式」の文脈にりますと、
【恒常性(生命体)】と【非恒常性(環境)】の「境界」の増加に相違なく増殖する、ということに相成ります。これは細胞の数に縛られません。
これらの言及において、お分かり頂けましたとおり【真理】からはほとんど全てのことが「分かり」ます。
検証に当たりましては、現状の科学的知見の正当性(生命の定義など)他、時間とはなんであったかについての再検討と合わせませんと矛盾が生じますがその際は根拠有無が有用になります。
■「隠されていた」日本思想とは
そうして、過去記事、「坂本龍一さんからバトンを受けて」にて詳細にお示しさせていただきましたように、
これこそ
「伊勢神宮」や「明治神宮」などに明示されている、すなわち日本古来よりの思想 に他なりません。
内宮・外宮、そして遷宮の本来の指示するところであります。
【内宮・外宮】というありようと、人の手を介しての式年遷宮という仕組みが、如何に見事に美しく 【真理】を喩えていた(る)のか是非、ご自身でご高察賜りたく存じます。
このことに気づいたのは、坂本龍一さんに導かれて明治神宮について中沢新一さんの敷かれた思考の補助線を頼りに「あおいのきせきの知見(存在の方程式)」を「あてはめて」考察したのが初めてでありました。
過去の賢人たちの所業の偉大さに、絶句したわけですが、と同時にえもいわれぬ畏れを抱いたわけです。(誠に有難く存じる、とはこのようなことを意味します。)
〖そして是非外苑の再開発問題の核心がいずこに在るのかお考えください。
現実に即して申しますと、木を切る切らないは本質ではありません。
話題からすっかり逸らされておりますが、巨大なビルが三棟も立つということと、権威と権力の結びつき(要するに金の力)による払い下げ地という公共の場の暴力的な独占の是非がとわれております。比喩的に申せば、これは「存在の方程式」の破壊行為です〗
■運動する【宇宙】と【生命】の宿る【宇宙】は別
もう一度、立ち返って考察致します。
A(宇宙)が存在し、非A(非宇宙)が存在します。これがシンメトリーとして在るのは確かです。
しかしAと非Aは、非AがBとなった途端、(宇宙)はシンメトリーとして存在できません。
そしてその原因は Aと非Aの境界 の存在にあります。
即ちわたしたち「生命」です。
「生命」こそ「外れ値」そのものでありこの静なる宇宙にダイナミズムをもたらしているモノなのです。
ちょっと待った。星の運動は?
最前から申しておりますが、運動(移動)と時間は異なります。
命の介さずとも運動が予測可能である世界と、それ以外の世界は別なのです。(レイヤー・「シン科学」)
Aを「生命の関与する世界」としますと
非Aは「生命の関与せざる世界」となります。
そうして、こう考えることで、今の科学よりも無矛盾で世界(宇宙)の説明言語体系が構築できることは間違いがありません。
おそらくは、現在私たちに共有されている【宇宙像】からすると、受け入れがたい【宇宙像】でしょうが、しかし上の【仮説】は疑いようも無い【真理】から論証・論考を確実であるように積み上げてたどり着くモノであります。
是非、お疑いの方はご自身で根拠を以て疑えるか否かお試し願いたいのですが、むしろ無根拠な前提によって組み立てた【宇宙像】は「現代科学」によった【宇宙像】であるとご理解頂けることと思います。
なにより、現在の【宇宙像】は「無の近似値は無」であるという完全に現実から逸脱した公理の果てに見える【宇宙像】です。
「多次元のねじれた時空間(with out human)」という【宇宙像】が間違いであるとは論証済みです。
【真理】とはそれを根拠にできる、ということに他なりません。
■非ずの関係にある世界を結ぶ【わたし】
上の仕組みこそが「物理学」で言うところの「対称性の破れ」の指示するダイナミズムの根本原理なのです。要するに「自発的に崩壊する(自壊する)宇宙」の説明原理と同等の物になりえましょう。
【運動の世界】と【非運動の世界】を結ぶ【わたし】の中で何が生起しているかといえば
【意味】の連続です。
別の言い方で記しますと、
非ずの関係にある【宇宙】を結ぶとは「意味に於いて意味づけする」ということに他なりません。
どいういことか。
つまり、意味を持たせる、ということです。
自然の中(運動の世界)で「食べるもの」「敵」「味方」「恋人」何でもかまいません。生命とは対象に意味を見いだす存在といって無矛盾であることは、現代科学に於いても明らかでしょう。(ただそういう「言い方」をしていないだけで別の言葉で指示されています。例えば「目的」とか)
■有言か非有言か、かまわずそれは言葉
まず【定義】の問題に過ぎないとも言えますが、大事なポイントとして、ヒトは言葉を持ちますが、生命もそうだ、ということです。
ここまでの文脈から導かれますが、生命はまず食べ物を「見いだし」ます。
つまり、命名です。「食べ物」と「非食べ物」。生き物は食べ物が「分かり」ます。)
すると。。。。「宇宙の誕生」のように「世界」が広がります。
そしてその広さこそその「生き物」の「その生き物らしさ」に他なりません。
■【物理】の話をしましょう(勿論「微積」は無しで)
【意識】と【物質】の境界に【わたし(認識主体)自己】がある
ということを
【非物質】と【非意識】の交わるところが【わたし(認識主体)自己】と言い換えるとより正確な【宇宙像】となり得ます。
【わたし(認識主体)自己】は【非物質】である【精神】と【非精神】である【肉体】で構成されていることも過去記事に考察いたしました。
【精神】に宿るのが【意味】を持つ【言語】です
【非物質(≒意識)】という【場】が【肉体(脳)】において【心】として「宿り」
そこに「接した」
非【非物質】【非意識】かつ【非自己】である【梵我一如】という【場】から
【意味】 ≒ 【言葉】 ≒ 【イメージ】 ≒ 【夢】
が、ふっと 湧き出すのです。不思議ですね。
【物理】として「説明」するとすれば、単に【物質】というモノが生じたにすぎません。
【素粒子】の通過です。
何処を?
【身体(特に脳)】をです。
■【ブラックホール】が【脳】であるとは
■【意識】と【心】が繋がることで【物質】が生まれる
と仮定して説明がどこまで無矛盾で進むか考察が待たれます。
【ブラックホール】が【脳】であり得ることの無矛盾であることは上の過去記事に考察がございます。是非お読みいただきたく思います。
■【ブラックホール】の正体
ここから別のアプローチをしてみます。
【ブラックホール】から【微積分】を外してみるとどうなりますでしょうか。
思考実験として「見えない場所(部分)」と考えられます。
「自己(認識主体)」から「見えない」ところは二カ所
「遠く」或いは「近く」または「自分」です。
光を吸い込むのは
「目(認識主体)」です。
ふざけているようで、大真面目です。
【宇宙論】で導かれた【ブラックホール】の存在は主に「光速を軸に微積分計算の果て」にたどり着いた仮説ですが、事実、「存在」していました。
それも【微積分】と【関数】を使いますよね。それ、全部「嘘」として取り払って、認識主体で見渡してみると、それそのまま【ブラックホール】は身の回りに沢山というか「無数」にあります。
「ちっちゃいところ」は「光が届かず」見えません。
「おっきいところ」も「光が届かず」見えません。
あとは「自分自身」も「見えません」
全部【ブラックホール】の「定義」と微積分なしで、無矛盾として説明可能です。
いかがでしょうか。是非お考えください。「見えないところが【微積分】や関数計算によって見える」などという妄言は「なし」で、です。
因みに、繰り返し致しますが、微積が(内密に)採用している公理(∞ = 0)を言い換えますと、
一番遠くが、一番近い。
一番近くが、一番遠い。
空間距離については上と同義に相成りますが、
さて時間「距離」につきましては、いかになりましょうかね?
一番遠くも
一番近くも、
宇宙は虚(非空間・非物質)へ。
【万有引力】によって【有】が【無】になる【特異点】って、どういう事かと言えば「計算式」にそう仕組まれているだけではありませんか?
逆に(逆じゃありませんけど)
【ブラックホール】のありか【視界の果て】と【自分(の脳)】が繋がっているのは「当たり前」ではありませんでしたか?
或いは以前にお話しいたしました、
【有】と【無】或いは【虚数】と【整数】を繋ぐのは【人(の脳)】であり、【微積分】がそれに「背乗り」したという、その事を指します。
要するに【意識】と【物質】を【心】が繋ぐ、というあのお話しです。
つまり【脳】の役割は【ブラックホール(純度100%の微分)】と同じでしょう。
幾何学の盲点である「0次元が空間に存在する」という大きな【矛盾】が演算の果てに【ブラックホール】という形で「可視化」されただけ。
(最も大きいモノが最も小さい(というか無い))
要するに、【無】が存在するとしたら、【脳】(【心】を通じての意識)に於いてだけです。
何故こんな「当たり前」が「当たり前」と思えなかったのかはもう書きましたよね。そう前回の記事。
■【ブラックホール】は何処にあるか?
しかし、【ブラックホール】は観測されたではありませんか?
そう。「見えた」んです。
だから、むしろそれは何故かを考えなくてはなりません。
するとやはり、【光】のせいじゃないか、と分かるのです。
仮説として、【光】は【脳】からどのようにしてか、星になって、まるで電池の懐中電灯の如く光るのです。
そう【物質】の発生して動くのです。
しっくりきませんよね。私もです。
だって、星と脳は離れていて。。。
いや。【脳】は【微積分】と同じ働きをしているのでした。
∞ = 0(正しくは、∞ = i)
距離ってなんだって話でしょう。
いや、電波望遠鏡で得たDATAを微分して解析してますよね。
そりゃ、「見えます」よ。
しかしいずれにしても【無】から【有】を生み出すこと(出来事・現象)を
【意志】と呼べば説明言語に整合性はとれそうです。
【脳】が【星】とリンクしているという仮説を疑うかどうかホーキング博士がご存命であれば伺いたかったですね。
或いはペンローズ教授ならどう答えてくださるでしょうか?
彼らの提示した【仮説】に「存在の方程式」からの説明言語を組み込んでも、相反することはなさそうですが。
■ホーキング放射
■あおいのきせききで、ホーキング放射を
因みにですが上の図の出来事(現象)の原理が「存在の方程式」であることは皆様、平易ご理解頂けますよね。
これは
を言い換えただけなのですが、ホーキング先生の仰ることと(ほぼ)同義です。
■【ホーキング放射】と同じ事が【脳】で起きる
ここまでの推論と検証から【ブラックホール】が【脳】であるので、上のことが「仮説」として思いつきます。
【物質】と【意識】を連結しているのが【心】であるとすれば、【意識】から【言葉】が生じ【心】に「届く」
と、「時をあわせて」
反対に、【心】から【物質】が生じ惑星に「届く」
さらに【恒星(星々)太陽】からも「何か」が届く。
このことは以下の「仮説」(太陽の中心に【ブラックホール】がある)から矛盾無く導かれる推論であります。
「届く」のは「仮説」として例えばμ粒子。
ただし、ホーキング博士のご説には論理的な欠陥がございますので、ここまでの推論と【ホーキング放射】仮説と矛盾するところが出てきます。すなわち「境界」の不在です。
言い換えますと、
ホーキング博士らは、「言葉」を「物理存在」としてカウントしておりませんので、物質二つ(Aと非A)しかご説に登場しません。
これで【物質】の誕生につきましては説明が叶ったと言うことになります。
もちろん「言葉の上」ですが。
■数学は純粋概念のお遊び(ただし見えるところは別)
■役に立つ数学・ただの妄言の数学
【有理数】と【無理数】あたりからずいぶんと話が「可笑しく」なりませんか?
現実の世界で有用でない部分の計算は害悪といって過言ではありません。
なぜなら自然存在に矛盾してしまうからです。
もちろん算数は簡単な数学こそ役に立つものではあります。
平等に分ける。あげる。作る。数えられるモノを扱うにはうってつけのアイディアでしょう。
地面に線が引ければ有用、と言い換えてもよいでしょう。ここからここまで、と分かればいろいろと役立ちます。
一方、
【地球汚染】とはほぼ【微積分】に代表される【計算式】で表せる人為的な行為により為されています。
それらによって【精製】【製造】された物が【自然分解】の叶わない故に【地球】を壊していきます。
或いは【素粒子】に還元され得ず困っているのが、【地震】であり【台風】など所謂【気象変動】の主な要因であることも、まもなく、「あおいのきせきの知見 with IISIA の知見」から明示されます事、お待ちいただきたく思います。
見えない物を在るとするのはまるで新興宗教と同じです。
シンボルクラウデイング問題(記号接地問題)とは、【意味】の内実の有無のことであり、人工知能を持ち出すまでも無く、「数」というものはそれ自体内実を伴わないあらかじめ準備された比喩(例え)に過ぎません。
それをあたかも実在と思い込むことの弊害こそが、「現代社会の闇」といえます。
【意味】とは【シニフィアン】と【シニフィエ】が接地していることを指示します。
【言葉】と【モノ・コト】がリンクしているという事であります。
「実体」を伴わない【シニフィアン】のみの出来事が一体何処にございますでしょうか?
唯一「頭の中」にございます。それを私たちは「妄想」と申しているのではありませんでしたか?
いつも「妄想」ばかりを書き記している方々は猛省してください。
ここで見えない物が無い、とは言っておりません事にご留意願います。
ただそれは光とは何か分かっていないことに起因するとだけ申し上げまして次回以降の記事につなげたいと存じます。
【光】とは、これら「存在の方程式」よりの文脈(言語説明体系)由来の説明を致しますと、
【意識】=【非物質】そのもの、と、言い得ることのお分かり頂けるかと存じます。
【重力】に関して申しますと、今は未だ「分かりません」
命懸けの"戦争"中なんで悪しからず。
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