自分だけ「取り残される」のはつらい。でも、離れすぎると気にならなくなった。
●取り残された20代
「社会人」
22歳のとき、就職出来なくて同じ歳の友人が「社会人」として頑張っているのをみて、焦った。私の大学は就職率100%と言われていたので、本当に、「私だけ」ではないかと思った。
私が就職していない事を知った人が、「新卒採用できるうちに頑張れ」と応援してくれた。「置いて行かれている」と、ハローワークで必死に自分が出来そうな仕事を探した。
でも、次の年も、その次の年も就職できなかった。
アルバイトをしていた。年下の人が就職して辞めていった。私はいつまで経ってもリーダーになれない頼りないアルバイターだった。
そのアルバイトすら、1日に8時間働くのが(人間関係が)死ぬほどつらくて、4年目に辞めた。
30代になって、今は3つの違うアルバイトを2時間ずつという働き方に落ち着いた。
人間関係にもなやまず、ほどよく社会に貢献している実感を味わえている。
会社勤めの友人は、部下もできて、博多から東京に転勤して忙しくも充実しているようだった。でも、今は嫉妬も焦りもなく、違う人生として話を聞くことができるようになった。それは30代を超えてから感じるようになった。
「結婚」
すると、次に訪れたのは、「結婚」と「子ども」のラッシュだった。20代後半になると、一気に来た。数少ない友人の結婚式に参加した。「次は誰の式かなぁ」なんて人ごとのようのように話していた。
私は結婚する気もなかったのに、2年半付き合った彼氏に浮気された衝動で、浮気と縁のなさそうな人と結婚してしまった。
(正気では無かったかもしれない)
「子ども」
祖父母や両親が期待しているのを感じると、ごめん!と思う。そして、友人が3人目を産んだ話を聞いて、「産めるうちに」となぜか焦っている自分がいる。
それは、まだ近すぎるからだ。新卒採用のリミットのように、まだ親になれるリミットに間に合う気がしてしまうからだ。
いっそ80歳とか、悩む必要がないくらい離れてしまえばいいのになぁと無駄なことを考えたりする。
●離れすぎたら
本当にわがままだと思う。
就職しても、しなくても、
結婚しても、しなくても、
子どもが居ても、いなくても、
何かしら悩んでいたし、何とかなってる。
でも、「もし、こうしていたら」と考えてしまう。
ぜーんぶ理解していても、たまにものすごく不安になる。
“分かっていても”不安になるもんだと最近分かって、ちょっと面白かった。
だから、同じような悩みを友人に相談されたら、アドバイスはしないようにしようと思う。きっと、その人も、全部分かっていても、不安になっているだけなんだ。
不安になろーぜ。
そして、
ずーっと遠くに離れたら
その不安を遠くから
見てやろうぜ。
To→いつかの私へ
by→今日の私より