子供にとって、家と学校だけが世界のすべて〜Mistreated〜
音無静子です。
児童虐待には、4種類のタイプがあります。
出典:児童虐待の定義と現状 |厚生労働省|
私の場合は、両親からのネグレクト、心理的虐待(言葉の暴力)が主でした。
身体的虐待もあり、叩かれたり、冬にほぼ裸で外に出されたりしました。
父が母に暴力をふるう面前DVも、心理的虐待に含まれます。
父も母もキレやすい、瞬間湯沸かし器。
狭い部屋の中で、ただ震えながら親の顔色をうかがう。
いつ何が起きるか、まったく予測がつかない。
また、私は父によくディープ◯スをされてて、嫌がっていたと母が言ってましたが記憶になくて、トラウマに向き合うワークの最中に思い出しました。
舌を入れられただけでなく身体全体を舐められました。
性器を挿入された方からすると「軽度だ」と思われるかもしれませんが、子が嫌がるのに過度の接触をすることは虐待です。
母親にも助けてもらえませんでした。
また、裸の写真も撮られました(誰にも言えず、今ここではじめて書きました)。
私はACの概念を知る前は、自分が虐待被害者だと気付きませんでした。
叩くのはどこの家でもある躾で、あまり食事が与えられない、親不在でずっとひとりというのも
仕事で忙しいからだと思ってました。
性虐待のことは、あまりにもつらすぎるからかカウンセリングを受けるまで記憶が封印されてました。
(トラウマの記憶が消えることは、トラウマ症状としてよくあることだとわかりました)
子供の頃のことを簡単に記します。
・小学校入学以前
いきなりですが、非嫡出子として生まれました。
出生届は出されず、無戸籍でした。
母は私の実父からDVを受け、4歳で母親と2人で暮らすようになりました。
母はDVのトラウマや労働、貧困のストレスからか常にヒステリックで、
愚痴や私の実父の悪口や私に対する暴言が日常茶飯事でした。
社会的に孤立し、経済的に余裕がなく、幼稚園や保育園にも行けませんでした。
母を探しに、家を飛び出して交通事故に遭ったそうですが、覚えてません。
※交通事故も複雑性トラウマのひとつになり、「外界=危険」という感覚が染みついたかもしれません。
小学校に入学するまで、何回か外出しました。
食事をあたえられることが少なかったので栄養不足でした。
・小学生時代
口数が少なく内向的でしたが、小2頃から明るく元気なふりをし始めました。
また、食事を与えられないことが多かったからか、対人不安からか、胃腸の機能が働かず、腹痛で給食を食べきれず、いじめられるようになりました。
母親からもよく貶され、「バ◯」「ブ◯」とさんざん罵られました。
学校でも同じことを言われ、加えて「貧乏」「病弱」と言われました。
いじめに関して、母から「ひどいね!でも、いじめられる方も問題がある」と言われ、
二度と相談しないと心に決めました。
小1のクリスマスの夜に母がプレゼントを持ってきてくれましたが、
見知らぬ男性を連れてきて、「友達のS田さんよ」と紹介してきた。
母が私の知らないところで恋愛?してると気づいて、複雑な気持ちでした。
私が小4の頃に母が勤め先からラジカセを持ってきて、
教わってないけどなんとなく操作できるようになりました。
歌番組放映中にテレビの前にラジカセを置いて録音したり、ラジオ番組を録音してました。
小4の夏休みか冬休みに母が家事手伝いをしているお家にお邪魔したときに
さわらせてもらったワープロもすんなり操作できて、「あんた機械に強いね」と初めて褒められました。
そのお家の息子さんに、80年代頃の音楽を聞かせてもらいました。
特にN森A菜さんの曲がお気に入りでした。
(母は私が聞いてた曲に「趣味が悪い」「くだらない」などと文句を言ってきましたが、
N森A菜さんのことは認めてて、「聞いてもいい」って言われました)
家では、だんだんひとりで歌ったり踊ったりするようになりました。
この頃から「音楽・歌・ダンス・楽器」は興味関心の対象で、それは今も変わりません。
また、アニメも心の支えでした。
キャラクターの絵を描いたり、声真似をしてました。
普通に食事できるようになってからは、病弱脱却しました。
それでも、よく同級生の男子たちの暴力行為(集団リンチ)に遭いました。
「なんであたしのこといじめるの!?」と言ったら、
「てめーがブ◯◯クだからだよ!キモいんだよ!」と罵られました。
また、他の子と比べて手持ちの服が少なかったので、「また同じ服着てる。汚ねえ!バイ菌!」と蔑まれました。
親からも同級生からも容姿を貶されたトラウマで、身体醜形恐怖症にもなりました。
女の子の友達は何人かいて、小3で初めて母親が誕生日会を開いてくれましたが、
男子に「音無と仲良くしたらお前らもいじめるぞ」と脅されてから、距離を置かれました。
でも、学校以外での友達(母親の友人の娘さんたち)と遊びました。
誕生日会はビックリしましたが、母が優しくなるときは、母に一時的に恋人(?)かパトロンができたときだけ。
小1の頃のクリスマスもそう。
言ってることがコロコロ変わる、最期まで一貫性がなかったです。
誰にも助けてもらえない。家にも学校にも居場所がありませんでした。
自分の身は自分で守るしかないと思い、ひたすら体力をつける努力をしました。
やられたらやり返す、を繰り返しました。
中学に入ってからは、ヤンキーの子と友達になって、夜遊びしたり学校サボりました。
学校外の子や高校生とも遊びました。
不良少年少女ってだいたい虐待されてるか元いじめられっ子で、自分を守るためにグレる。
そうして、「スケープゴート」は誕生する。